第十一話 あ、あのぅ……。

 —――目を開いた時、見えたものは、お世辞にも綺麗と言えないひび割れた天井。

 消毒液の匂いがプーンと漂ってきた。

 それらの情報の断片から、私は今の状況を推理する。

 —――ここは……、学校の保健室。

 多分、急に倒れた私のことを、沙百合さゆりが保健室に運んでくれたんだと思う。


 「あら、起きたのね」


 保健の先生が、私の顔を覗き込む。


 「寝不足よ。倒れた原因は貧血」


 —――……。

 最近、寝る前に陸也のこと考えちゃって、あんまり寝付けなかったから……。


 「あなた、見たところ、まだ身長は止まってなさそうね。まだまだ伸びるわよ?だから、ちゃんと寝なさい」


 保健の先生にビシッと言われ、私はうなずく。


 「わかったなら、もう少しだけ寝ていてね」


 大人しく横になった。

 —――目を閉じたけど、浮かんでくるのは陸也りくやのこと。

 なぜか陸也の笑顔だけが頭の中でリフレインする。

 もうちょっと、寝られそうなことを考えよう。

 —――そういえば、私、なんで陸也が好きなんだろう……。

 そう考えたら、記憶の奥の奥、何かが反応した。





 あれは、小学二年生のことだったと思う。

 クラスに君臨していた、男子のいじめっ子がいた。

 当時の私はそれはそれは怖がって、学校に行くのも嫌なほどだった。

 ある日、普段は短パンを好んではいている私が、一目惚れして、誕生日に買って貰ったワンピースを着て行った。

 学校につくと、友達の女の子たちが寄ってきて、かわいい、スカートも似合うね、と口々に言ってくれた。


 「お前、スカート全く似合わねーな」


 女子の高めの声の中に、低い声が混ざった。


 「そんなかわいい系の服、お前に似合うとでも思ってんの?」


 嘲笑とともに私への罵倒を並べ立てたのは、あのいじめっ子だった。

 私がほとんど泣きそうな表情になった時—――……、


 「やめなよ」


 私の瞳からこぼれた涙を隠すように、私の前に立ちはだかったのは—――……陸也だった。

 —――ヒーローみたい。


 「そんなことしてて楽しいの?」


 陸也の言葉は、当たり前のことだった。だけど、その場にいた人たちは、それが言えなかった。—――私も含めて。


 「やめなよ」

 陸也はもう一度強く言った。

 いじめっ子はきまり悪そうに、走って教室を出て行った。


 「大丈夫だった?」


 そう私に聞く陸也の声は、あのいじめっ子に対しての声とは全然違って、すごく優しくて。

 私には、ただうつむくことしかできなかった。

 陸也が眩しかったから。私だったら、いくら陸也がいじめられていたとしても、見て見ぬふりをしてしまうと思う。

 でも、陸也は助けに来てくれた。

 —――ヒーローみたいに。





 「あら、寝てるの?」


 聞きなれた声が聞こえた。

 目を開けると、沙百合が私を覗き込んでいた。いつの間にか寝てしまっていたみたいだ。


 「あ、起きた」


 私は体をベッドから起こした。


 「沙百合、私のこと、ここまで運んでくれたんでしょ。ありがと」

 「私に言うことないわよ?」


 まったまたぁ。謙遜しちゃって。


 「だって、運んでくれたの、教室にいた運動部の男子だもん」


 ……。


 「だから、お礼を言うなら彼に言ってね」


 なーんだぁ。……いや、これはちょっと運んでくれた彼に失礼かな。


 「ところで、今ちょうど昼休みが始まったところなんだけど、香鈴かりんはお昼ご飯どうする?食べられる?」

 「うん、いける。お腹めっちゃすいてる」


 ここで食べちゃっていいのかしら、と沙百合は少し不安そうな顔をした。


 「大丈夫でしょ、そのくらい」

 「そうだったらいいんだけど……」


 そう言いながらもお弁当を広げ始める沙百合。

 私のお弁当も持ってきてくれたみたい。


 「決意は固まった?」

 「な、何の……?」


 何のことかわかってるけど、とぼける私。


 「ちゃんと覚えてるくせに。目が泳いでるわよ?」


 沙百合がすべてを見透かすような瞳で私を見つめてくる。


 「おっ、覚えてるけど……」


 大借り物競争のことだ。

 でも、参加する、ということ自体が好きな人がいる、と知らせることになってしまうのだ。


 「香鈴が参加するなら私も参加しようかしら……」


 わざとらしく考え込む沙百合。

 —――それでも私を頷かせるには十分だった。

 もしかして、沙百合と琉斗りゅうと君のツーショットが見られるかも!?


 「それなら一緒に申し込みに行こっ」


 なぜか沙百合の策略にハマった感じがするけど……ま、いっか。





 「なあ、琉斗。陸也りくやは大丈夫なのか?」


 なおが琉斗にひそひそと話しかけているのが遠くに聞こえる。


 「あー、ほっといて大丈夫だよ。ちょっと香鈴ちゃん不足なだけだから」

 「でも仕事はちゃんとやってるぞ……?手だけ動いてるけど、本当に大丈夫か……?」

 「仕事を終わらせてくれるのならオールオッケー」


 仕方ないじゃないか。香鈴に会えないなら仕事を早く終わらせるしかないと気づいてしまったんだから。 


 「それなら、その思考にもっと早く行き着いてほしかったなぁ……」


 コンコンッ、と控えめなノックの音。


 「はーい、どうぞぉ」


 琉斗の投げやりな返事の後、扉から顔を覗かせたのは—――……香鈴だった。

 正確に言えば沙百合もいたのだが、香鈴欠乏症の陸也には見えていない。

 ドンガラガッシャン!

 —――……これは俺が椅子から転げ落ちた音だ。

 なんで香鈴がいるんだ?


 「おっと、思ったより早く来たね。出場の申し込み?」

 「ええ。二人分お願い」


 琉斗と沙百合は、頬を染めてそっぽを向いている香鈴と床に伸びている陸也をものともせず、手早く手続きを終える。


 「ところで、そこに転がっている高崎たかさき君は生きているのかしら?」

 「んー、大丈夫じゃないかな。多分ちょっとショックを受けてるだけ」


 ショックどころじゃないぞ……。香鈴に好きな奴がいるとは……。


 「陸也」


 腕組みをした香鈴が、決意のこもった声を発する。


 「さっさと仕事終わらせて、私と一緒に帰れるようにしなさいよ!あなたが言い出したことなんだからねっ?!」


 言っていて恥ずかしくなったのか、香鈴は教室を飛び出していった。


 「ねえ、寺内てらうち君。香鈴って、ああいうところ、すごくかわいいわよね」

 「本当に」


 じゃ、私も行くわ、と言い残し、沙百合も教室を去る。


 「さーてとっ」


 琉斗は、体育座りのまま固まっている陸也に目を向ける。


 「おーい、陸也。良かったな」


 ああ。香鈴にそんなこと言ってもらえるなら、どれだけでも作業できる気がする。



 やっぱり、俺は香鈴が好きなんだな……。 

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