第十話 香鈴不足だ……

 —――仕事が。


 「終わんねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ—――!」


 放課後の体育準備室。俺は絶叫した。

 唐突に叫びだした俺を見て、琉斗りゅうとが冷静に注意する。


 「叫んでも終わらないなら、仕事をパーッと終わらせちゃう方が早いと思わない?」


 その通り。その通りなんだが。


 「こんなに多いと思ってなかった、とでも言うんでしょー」


 くッ、読まれている。


 「陸也りくやぁ、佐久間さくまに会えないからって俺たちに八つ当たりするなよ?」


 そう、なおの言うとおり、俺はここ一週間くらい、香鈴かりんに会えていない。

 なぜかって?

 大借り物競争実行委員の仕事が終わらないからだ!

 俺たちは今、朝早く来て仕事、夕方遅くまで残って仕事、の毎日だ。

 もともと違うクラスの上に、登下校も一緒にできないなんて……地獄だ。


 「そうだ、なんでお前ら、付き合ってもいないのに一緒に登下校してんの?」


 よくぞ聞いてくれた。ここだけは俺が自信を持てるところだ。


 「これは恋心を自覚する前なんだけど、陸也、自分から誘ったんだよ。香鈴ちゃんに、『毎日一緒に登下校しないか』って。陸也にしては珍しいよねぇ」


 すると、尚が心底驚いた顔をする。


 「すげぇ……。陸也とは思えない……」

 「……お前ら。何、俺をめてんの?」


 琉斗が上から目線で言う。


 「僕とか尚と比べたら、恋愛経験が少ないしねぇ」


 やめろっ。子を見守る母親のような目で俺を見るなっ。


 「ほらぁ、こんなことしてるから仕事が進まないんだよ」


 それはそうだな。

 それから俺たちは、終始仕事を進めるのに力を注いだ。




 

 「うんっ、そろそろ帰ろっか」


 琉斗の言葉に、俺はガッツポーズ。


 「あー、腹減ったー」


 散らかった体育準備室を出て、俺たちは校門へ向かった。

 校門を出て、普通に駅の方向に歩き出そうとすると……。


 「あっ、僕、こっちから帰るから」


 同じ駅に向かうはずの琉斗が、反対方向に足を向ける。


 「じゃあね、また明日っ」


 あとに残された俺と尚は、どちらからともなく顔を見合わせ、首をひねる。


 「「どうしたんだ、アイツ……」」





 琉斗は、校門を出て、ある喫茶店に向かっていた。

 そこで、沙百合さゆりと待ち合わせているのだ。


 「ごめん、遅れた」


 喫茶店についたとき、すでに約束の時間を五分オーバーしていた。


 「五分くらいだし、大丈夫よ」


 琉斗は席に座り、とりあえずアイスティーを注文した。

 沙百合の前に置かれているカップには、ホットコーヒーが入っているようだ。


 「急に放課後会いたい、なんて、どうしたのよ?」

 「いやー、ちょっと実行委員の仕事ばっかりやってて、ある会合の存在を忘れててさ」


 そこまで聞いた沙百合には、琉斗が言っていることの意味が通じた。


 「ああ、『高崎たかさき陸也と佐久間香鈴の恋を手助けする会』のことね」


 自分で考えておいてあれだけど、この名前、長すぎるな……。

 琉斗は他人から改めて会合の名前を聞き、そう思った。


 「そう、そのことなんだけどさ。陸也がちょっと香鈴ちゃん不足気味で」

 「実行委員の仕事、大変そうだものね」


 琉斗が軽くうなずく。


 「それでさ、そろそろ、香鈴ちゃんを大借り物競争に申し込むように仕向けてくれないかな」

 「もちろんよ」


 その日の秘密の会合は、それでお開きとなった。





 「なあ、琉斗。香鈴不足なんだが」


 翌日、大真面目にそう切り出した陸也を見て、琉斗は吹き出した。


 「りっ、陸也ぁ、それ、そんなに大真面目に言うこと?」


 見事に琉斗のツボにドストライクだった。

 あのなぁ。人が勇気出して口に出したことをそんなに笑うか?


 「い……っや、ご、ごめんって」

 「笑いながら言うなッ」


 しかし、一度ツボに入ってしまったものは仕方がない。

 その後、琉斗は十分間笑い続けた。

 よくそんなに笑えるな、と俺が思い始めたとき、やっと琉斗の笑いが止んだ。


 「ヤバい、表情筋死ぬ」


 確かに、琉斗の顔は、長く笑い続けた反動か、無表情になっていて、顔の怖さが、いつもの五割増しだ。


 「お前、今すぐ鏡を見ることをお勧めする」

 「え、何で?」

 「顔がすっげ―怖い」


 俺がそう言ってやると、琉斗は、えっ、どうしよう、小泉こいずみさんに見られたら絶対ヤダ、などと騒ぎ始めた。

 俺の悩み相談はどこへ行ったんだ……。

 はぁ……、とため息を吐いた。

 と、そのとき、琉斗が興奮状態から覚醒したらしい。


 「あ、陸也の香鈴ちゃん不足なら、大丈夫。一応手は打ってあるよ」


 マジか……。流石さすがだな。


 「じゃあお前を信じて待つことにする」


 それがいいよ、と琉斗は微笑んだ。





 「えっ、沙百合、今なんて言った?」


 朝の教室で、私は素っ頓狂な声を上げてしまう。

 思ったより響いてしまったので、ちょっと恥ずかしくなりながら声を落とした。


 「で、なんて言ったの?」


 私と違って、落ち着いた笑みを浮かべている沙百合は、言葉をもう一度繰り返した。


 「だから、大借り物競争に出てみない、って言ったのよ」


 やっぱり、聞き間違えてはいないみたい。


 「え、えっとぉ、それって……、まさか、陸也サンが実行委員をやってるやつ、とかだったりしますか」

 「ええ、勿論もちろん。そのまさかよ」 


 ちょっと状況の整理が私の頭の中で追いついていないみたい。

 えっと、まず私が、陸也と一緒に帰れない、どうしよう、って沙百合に泣きついたんだよね。

 そしたらなぜか大借り物競争に出ることをお勧めされた……。

 やっぱりわかんないや。どうしたらこの二つが結びつくんだろう。


 「香鈴は知らないかもしれないけど、今年の大借り物競争は、恋愛がテーマなの。参加できるのは、好きな人、もしくは恋人がこの学校にいる人だけよ」

 「へぇ……」


 でも、陸也は実行委員じゃん。陸也と一緒に参加はできないよ?


 「それがねぇ、恋愛がテーマなものだから、お題が超ラッブラブらしいのよ」

 「その情報、どこから仕入れてきてるの?」


 沙百合は、口の端をキュッとつり上げて言った。


 「寺内君よ」


 あー、そっかぁ……。二人は付き合い始めたんだっけ……。


 「寺内君も実行委員をやっているの。委員長を任されているみたい」


 へぇ。まあ、陸也が委員長とか、不安すぎるしね。


 「で、どうする?やるの、やらないの?『好きな人』なーんていうお題が出たら、勢いで告っちゃえるかもしれないわよ?」


 —――……?!

 思考停止。


 「え、香鈴っ?!大丈夫?」


 薄れる意識の中、沙百合が私の肩を掴んでガクンガクン揺らしてくるのがわかる。


 「ごめーん、恋愛初心者の香鈴には、告白はまだ刺激が強かったかしら?」


 そこで私の意識は途絶えた。

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