川風

 宇治川のほとりに建てられた小さな社の前に立つ晴明の頬を、幾分冷たくなってきた風がそっと撫でる。

 あれから三ヶ月ほどがたった。季節は冬に向かっている。鬼女騒ぎはすぐに収まり、山田某も新しい妻と恙無く暮らしているという。

 せめてもの弔いにと、ここに社を建てる許しを得た。今、彼女は、橋姫として祭られている。

 あの夜。

 危うく川に落ちそうになった晴明を寸でで助けたのは金時だった。後からゆるゆると現れた綱は「まさか私を謀るとはね」とだけ嫌みを言って、それ以上は何も言わなかった。

 まだ、心の整理がついたとは言いがたい。未だに自問する。果たして、彼女を止めるべきだったのだろうか。

(逆縁なりとも浮かむべし。提婆が悪も仏の慈悲、……か )

 去り際の頼光に言われた台詞だ。慰めにはなっても、到底納得はできない。

 ももを拾ったときもそうだったが、自分は迷い続けるさだめにあるのかもしれないとふと思う。

 どこからともなく柔らかな香りが漂ってきた。はっとして顔を上げる。あたりを見回すが、誰も居ない。

(……落葉)

 その薫物たきものの香りは、昔、使いに出た屋敷で出会った彼女が纏っていたものだ。忘れられないその残り香を辿るように。

 晴明は目を伏せ、そっと記憶の輪郭をなぞった。

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君沈む川 ユキガミ シガ @GODISNOWHERE

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