13.夏風邪は誰が引くか知ってます?―a


―瑠維―

夜勤の先輩達に申し送りを終えて帰ろうとしたら、目の前で内線のコールが鳴り出した。

「はい、小児科病棟です。」

『循環器病棟です。あ、もしかして片倉?』

「はい…どうしたんですか、元木さん。」

メモを取りかけた手を止める。

『今日はもう、あがりよね?』

「そうですけど。」

『なら、今から見舞い行ってきなさいよ。』

「見舞い?」

首を傾げ、ふと昼間見た青白い横顔が思い浮かんで鼓動が跳ねた。

「だっ…誰のですか。」

『世良先生に決まってるじゃない。』

何で僕が、と反論しかけた台詞を飲み込んだ。何だか、元木さんには色々ばれてしまっている気がする。

「先生、今どこに?」

医局か、そうでなければどこかのベッドか…と思ったら、とっくに帰ったわよ、と言われて面食らった。

『そんな顔色で仕事されたら迷惑ですって、強引に帰らせたの。』

「でも僕、世良先生の家の場所なんか知らないですよ!」

『じゃあ教えてあげるから行ってきなさい。』

「何でそこまでして…?」

あのねえ、と大きなため息が返ってくる。

『あんた仮眠室から出てきた時、すんごい顔してたからね。何があったか知らないけど、仲直りするなら早くしてらっしゃい。せっかくの良い口実じゃない、お見舞い。』

「…で、でも。」

『会いたくないの?』

直球で言われ、一気に頬に血が昇る。

『ほら、メモ準備しなさい。住所言うわよ―』

強引にそう言われて、慌ててペンとメモ用紙を手に取った。


***

「ここで合ってる…よね。」

ダークグレーの高い外壁を見上げる。タワーマンションではないけど、かなり家賃の高そうなデザイナーズマンションだった。

エントランスに入り、元木さんに教えられた部屋番号をプッシュする。しばらくして、インターホンのスイッチが入る気配がした。

けど、特に何も応答が無い。

「あの…もしもし?」

不安になって声をかけてみる。

「世良先生?」

『…何してんの、お前。』

探るように聞かれ、気まずさが込み上げる。

「…っお見舞い、です!」

どこから見えてるか分からないけど、スーパーで買い物してきた袋を掲げてみせる。

「先生、何も食べてないと思って。買い物してきました!」

『…。』

返事がない。やっぱり、いきなり来たのはまずかっただろうか。

そう思っていたら、不意に目の前の自動ドアが開いた。世良先生が開けてくれたらしい。

一瞬迷ったけれど、ここまで来て引き返すのもおかしいと自分を奮い立たせ、自動ドアをくぐった。


エレベーターから降りて、世良先生の部屋の前に立った。小さく深呼吸を一つして、ドア横のインターホンを押す。

しばらく待っているとドアが開いた。世良先生が顔を覗かせる。

「こ…こんばんは。」

「…どーぞ。」

お邪魔します、と言って玄関の中へ入る。スリッパ以外靴が置かれていない玄関口に、スニーカーを揃えて脱いだ。

「何をこんなに買ってきたんだよ。」

僕が持っていたスーパーの袋を手に取りながら、世良先生が怪訝そうに中を覗く。

「おかゆとか作ろうと思って…あ、それ自分で持ちますから。」

世良先生の手から袋を取り返そうとしたけど、ひょいっとかわされてしまった。

「ちょっと先生、具合悪いんでしょ?」

「こんな程度持てないほど、弱ってるように見えるか?」

言われて世良先生の顔を見る。確かに、昼間倒れた時より幾分か血色が良くなった気がする。

「…お見舞いに来たのに、元気じゃ困ります。」

「何だそれ。随分な言い草だな。」

僕の冗談に軽く笑いながらスーパーの袋をキッチンに置いてくれる。

「一応、調理器具はあるけど…別に良いぞ、無理しなくて。」

「何で無理なんですか、おかゆくらい作れます!」

「なんか怖えんだよな。手、切るなよ?」

「大丈夫です!先生は寝ててください。」

キッチンから先生を追い出し、袖を捲って手を洗う。出してくれた包丁やらまな板やらは、やたら綺麗で、買ってから使われた事があるのか疑わしかった。

対面式の広いキッチンの中で顔を上げると、リビングのソファにもたれてスマホを見ていた世良先生と目が合った。反射的に目を逸らしてしまう。

本当は、めちゃめちゃ気まずい。世良先生は、いつも通り飄々としてるけど、昼間に仮眠室から飛び出した時の自分がどんな顔をしていたのか、想像するだけで顔から火が出そうだった。

『―お前、俺のこと好きなんだろ』

『…冗談だって。』

先生の言うこと一つ一つに、一喜一憂して。

気まずいと思ってても、やっぱり顔を見たらちょっとだけ嬉しくなったりして。

…先生。本当は僕の気持ちを、どう思ってるの。

先生の本音が、知りたいよ―…。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る