12.冗談にしないで―b
―瑠維―
「片倉、こっち。」
循環器病棟に辿り着くと、元木さんがステーション内から手招きしていた。
「ご苦労様。仮眠室開けてあるから、とりあえず先生寝かせて。」
「はい…っ。」
「大丈夫?」
「何とか…。」
息も絶え絶えになっている僕を元木さんが心配そうに見てくる。世良先生は痩せてて軽いとはいえ、結構な距離を歩いてきたのでさすがにしんどい。
仮眠室のベッドに、どうにか世良先生を降ろす。先生は僕の背中から降りるなり、力なくベッドに突っ伏してしまった。
「先生、ちょっと待っててくださいね。」
「んー…。」
仮眠室を出てステーションに戻ると、はい、と元木さんに点滴のセットを渡された。
「もう指示貰って準備しておいたから。」
「ありがとうございます。」
受け取り、点滴バッグに貼られたラベルを確認する。抗眩暈剤、制吐剤…特に変わった薬は入っていない。
「世良先生、どうしたんですか?」
聞くと、元木さんは肩をすくめた。
「働き過ぎよ。今ちょっと、気になる患者がいてね…しばらく付きっきりになってたから。」
「そうなんですか…。」
だからって自分が体壊してどうするのか。
小さくため息をつくと、元木さんが微かに苦笑した。
「?何ですか。」
「別に?…あんたが点滴打ってあげれば、先生元気になるんじゃないかしら。」
「え?それどういう…」
「ほら、早く行って来なさい。時間いいの?」
「あっ。行って来ます…」
急いで仮眠室に戻る。もう休憩時間が終わるまで少ししかない。
「先生、点滴しますよ。」
壁側を向いて寝ていた世良先生が、ゆっくり僕の方を振り向く。
「…お前、注射打てるの。」
「は?!どう言う意味ですかっ。僕、看護師ですよ!」
「すげー不安。」
「何言ってるんですかっ。もう、早く腕出して…」
はい、と細い腕が差し出される。くっきり浮き出た青い血管が目に入り、改めて色の白さに驚かされる。
駆血帯で腕を縛り、軽く指で叩いて針を入れる血管を探す。
「刺しますよ。」
翼状針を手に取ると、微かに先生の指が動いた。
「…もしかして先生、実は注射怖い人?」
聞いてみると、むっとしたように眉が顰められた。
「いいから早くやれよ。」
「…じゃあ。」
針を刺す。上手く血管に入った感触があった。
「…いって。」
「えっ、ウソ?!」
「うーそ。」
「…もう!」
駆血帯を外し、サージカルテープで針を固定する。
「じゃあ、僕戻りますから。終わったら誰か呼んでください。」
「…寒い。」
「え、ちょっと待って…」
棚から毛布を出し、足元からゆっくり被せる。
「先生、まさか熱あるんじゃないですよね?」
「さあ…。」
おでこに手を当ててみる。そんなに熱くない…というか、むしろ低い気もする。
「僕、もう行きますね。」
立ち上がるなり、スクラブの上衣を引っ張られた。
「ちょっと何ですかっ。僕、仕事が…。」
「弱ってるドクターのケアするのも、看護師の仕事だろー?」
「看護師の業務に、そんなものありません!」
「冷てー。」
「もう、ちゃんと寝ててください。」
ずれた毛布を掛け直す。
「…片倉。」
「何ですか、今度は。」
「針、痛い。」
「えっ。本当に?」
「本当。」
「見せて…」
毛布を捲る、と同時に手を掴まれた。
「ちょっと!」
「つーかまえた。」
「嘘ばっかり言ってっ!」
「…いいだろ、ちょっとくらい。ここにいろよ。」
拗ねたような口調で言われ、動けなくなった。
掴まれた手の中に、じんわり汗がにじむ。ほっそりした指が、僕の指の間に絡んできた。
「…お前、俺の事好きなんだろ?」
「は?!え、はい…。」
「好きなら、少しでも一緒に居たいとか、思わないの。」
「そ…れは。」
どう答えるのが正解なのか考えているうちに、冗談みたに鼓動が大きくなっていく。
『一緒に居たいですよ、当たり前じゃないですか。』
そう言おうとして、ふと喉の奥が詰まるような感じがした。
どうして、そんな事聞くの。
僕の気持ち知ってるくせに。応えてくれないくせに―。
「…冗談だって。」
口ごもっているうちに、すっと手が離された。はっとなって世良先生を見る。
先生は僕と目が合うと、気まずそうに視線を逸らした。
「…戻らなくていいの。」
…ああ、そっか。冗談だったのか。
馬鹿みたい。まともに受け取って、どう返事したらいいか必死で考えこんで、気まずい空気にしちゃって。
「そう、ですね。もう戻らないと。」
普通に言ったつもりの声が、嘘みたいに震えた。
世良先生が、驚いた様に僕を見上げてくる。その顔が、ふにゃりと歪んで見えた。
「…片倉。」
「失礼しますっ…!」
おい、と焦ったような世良先生の声が聞こえたけど、振り返らずに仮眠室を出た。
「片倉?どうしたの、そんな顔して。」
「何でもないですっ…。」
声をかけてくる元木さんの顔も見れず、足早にフロアを出てバックヤードに出た。
頬を熱いものが伝い落ちる。拭ったそばから、嗚咽が漏れた。
ひどいよ、先生。どうして冗談だなんて言うの。
僕は本当に、先生の事が好きなのに。
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