11.冗談にしないで―a

―瑠維―

何度見たって時間は変わらない。分かってるけど、また腕時計を見てしまう。

職員用の食堂入口で突っ立っていると、たまに邪魔そうな視線をよこされる。スマホを出してみるけど、何も通知は無し。ため息をかろうじて堪える。


世良先生と連絡先を交換して、メッセージアプリでやり取りが出来るようになった。

院内PHSすらまともに出ない世良先生がメールはちゃんと返してくれるなんて、そんな期待はしてなかったけど、一応送れば無視しないでちゃんと返事をくれる。

で、今日は『なかなか仕事中顔見れないし、昼休憩のタイミング合わせて飯食おう』と。

それは、世良先生からの提案だったのに。


忙しいんだろうな、と半ば諦めの気持ちでメッセージアプリを開けた。無理なら仕方ない。僕もお腹がすいたし、早く食べないと休憩時間が終わってしまう。

先食べますよ、とだけ送ってすぐにアプリを終了させるつもりだった。

「…?」

送るなり、あっという間に既読がつく。先生、アプリ開けてるのかな。

すぐに返事がくると思ってそのまま待っていたけれど、一向に何のメッセージも返ってこない。どうしたのか。

『先生、忙しいんですよね?今日はもうやめときましょう』

早打ちし、送信した。やっぱりすぐ既読がつくけど、返事が来ない。

…先生、ひょっとしてスマホで文字打つの苦手なのかな。

電話してみようか、と迷っているうちに急にスマホが震えたので驚いた。慌てて通話ボタンを押す。

「はいっ…世良先生?」

『…片倉。』

「先生、忙しいなら良いんです。無理しないで…」

『違う、そうじゃなくて…』

「どうしたんですか?」

ただでさえハスキーな声が、今日は随分と掠れて聞こえる。

「先生?ちょっと、どうしたんですか。」

しばらく間があって、うめくような声が返ってきた。

『…もち、悪い』

「は?何ですか?」

『気持ちが、悪い…』

「はい?!」


***

「ちょっと先生、どうしたんですか!」

息を切らして駆け寄る。

いつもの旧医局前で、うずくまるように倒れ込んでいた世良先生が辛うじて顔を上げた。

「先生、顔真っ青!」

「…ちょっと、目眩が。」

「どこが、ちょっとなんですか!」

「…お前、うるさい…」

「もう、とにかく部屋にっ…」

抱き起こそうとして、はたと手が止まる。

どうしよう、ここに寝かせておいていいのか。もう休憩時間も終わるし、いつまでも僕は付き添っていられない。

悩んで、胸ポケットからPHSを出した。かけ慣れた番号を早打ちする。

『―はい、循環器病棟です。』

「元木さんっ。今いいですか?」

『あら片倉?どうしたの?』

「世良先生が、具合悪くて倒れちゃって…。」

驚かれるかと思ったら、電話口の向こうからは呆れたようなため息が返ってきた。

『あーあ。その内そうなるだろうと思ってたのよ。』

「え、どういう…」

『片倉、こっちまで世良先生連れて来れる?今ちょうど別の先生いるから、指示もらっとくわ。』

「分かりました。すぐに連れて行きます。』

通話を切り、世良先生の顔を覗く。

「先生、立てます?ストレッチャーか車椅子…」

「いい、歩ける。」

「はい?いや、無理…ちょっと!」

無理やり立ちあがろうとした世良先生が、そのまま僕の方に倒れてきたので慌てて受け止めた。

「無理ですって!もう…」

体を反転して背中を向け、半ば強引に世良先生をおぶる。

「…おい、やめろよ恥ずかしい…」

「いいから、大人しくして!」

一喝し、長い廊下を歩き出す。口先だけはいつも通りでも、抵抗する気力は無いのか、大人しく僕の背中に体重を預けてきた。

目の前に垂れ下がった、白い腕の細さに心配になる。先生、絶対痩せた。ちょっと目を離すとこれだ。食事とか睡眠とか、人として大事な生理的欲求を、この人は絶対無視して生きている。

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