9.ただいま

―貴之―

すっかり明かりの消えた外来フロアを横目に、バックヤードへ回って階段を昇っていく。

鉄製の重い扉を開け、病棟フロアに出る。物音を立てないようにそっと閉めたつもりだったが、夜勤の看護師に早速気づかれてしまった。

「世良先生?!え、いつアメリカから?」

しー、と人差し指を口元に当てる。髪を後ろでお団子にまとめた看護師―名前は元木だったか、に「片倉は?」と小声で聞いた。

「今日は、夜勤じゃないですか。」

「さあ、どうかしら。聞いてみないと分からないけれど。」

元木さんの答えに首を傾げる。

「聞くって?シフト分からないんですか?」

「ああ、そっか。世良先生知らないんだ。」

「…はい?」

「片倉、小児科病棟に異動になったんですよ。世良先生がアメリカに発たれて、すぐだったかな。」

「小児科ぁ?」

ちょっと待って下さいね、と元木さんはステーション内に戻ると内線をかけ始めた。

「もしもし…片倉います?…はい、わかりました。」

すぐに受話器を置き、俺のところへ戻ってくる。

「今日は夜勤じゃないんですって。」

「ん-…そっか…。」

「先生、片倉の連絡先知らないの?」

怪訝な表情をされるが、苦笑を返すしかない。

「知らないですよ。いちいち看護師サン達の連絡先なんて聞かないし…。」

「あら、白々しい。仲良かったくせに。」

そういえば、と元木さんが卓上カレンダーを手に取る。

「今日、花火大会ですよ。」

「…え?」

元木さんと目が合う。意味深に、含み笑いをされた。


―瑠維―

橋の欄干にもたれて押し付けた両腕が、いい加減痛くなってきた。

薄明るい晩夏の夜空に連続して白い閃光が瞬く。破裂音が、あたりに響き渡る。

スマホを出し、時間を確かめた。もうあと数発で終わる頃だろうか。

…仕事を終えて病院の外に出たら、自然とここへ足が向いてしまった。

あれからもう、一年が経った。すっぽかされた気分になった去年と違って今年は何の約束もしていないし、そもそも世良先生は今、日本にいない。

なのに一体、僕は何を期待していたんだろう。

ここに来たって、世良先生が居るわけじゃないのに。

「あーあっ。」

沈みかけた気分を振り払うように、わざと空に向かって大声を張り上げてみる。

「今年も一人かー。」

「デカい独り言だなあ。」

苦笑交じりのハスキーな声に、体が固まった。

うそ。…何で。

舗道の砂利を踏む音が、段々近づいて来る。夜空に一発、真っ赤な花が咲き広がった。

「久しぶり。」

ゆっくり、顔を向けた。信じられない気持ちで、名前を呼ぶ。

「世良先生…?」

「…ただいま。」

いつもの黒縁眼鏡をそっと外し、世良先生は照れくさそうに僕と目を合わせて微笑んだ。

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