第5話 今宵の月のように
南岡豊、年齢24歳。
生まれは隣接する町で、父母と祖父母、妹と暮らしていた。
普通の友人、普通の学校生活、普通の就職…普通、普通、普通…と人生を送ってきた。
しかし、彼には空白の1年があった。
高校1年生の夏、祖父と妹の三人でキャンプに行った際により、意識不明となっていたのだ。山中で遭難し、3名とも崖から滑落し、祖父と妹は助からなかった。
1年が経った頃、ようやく意識を取り戻した豊は家族から祝福され、学校こそ留年してしまったが、皆優しく接してくれてなんとか卒業に漕ぎ着けた。しかし、もう少しというタイミングで、とある噂が漏れ聞こえていた。
『あの2人は、豊に殺された。』
その噂を耳に挟んだ豊は耐えられなかった。
田舎と言うものは酷く残酷で、「そんなまさか」という噂に尾ひれがついて内容が盛られていく。もうすぐ卒業、というのに周りからの視線が痛いほど刺さり、学校にも居づらくなってしまった。
それを見かねた両親は豊の卒業と同時に町を離れた。大学卒業までを地方で過ごし、何の因果か、豊は就職でまた戻りたくない町の隣に引っ越してきたのだった。
意識のないうちに豊は夢を見ていた。
あの日まで山の中で色々なことを祖父と妹と訓練していたのだ。
夢の中で祖父は、「上出来だ…」といつも豊を褒めた。しかし、現実では一度も褒められたことはなかった。だからこれは夢だとずっと分かっていた。
夢が覚めたのは…全ての訓練が終わったあと、祖父から「さぁ帰るぞ!」と言われてすぐのことだった。
「はぁ…はぁ……ここまで逃げたら、追ってもこねぇだろ……」
店から逃げた係長は繁華街の端にある暗い路地裏のゴミ置き場に逃げ込んでいた。肩で息をしていたが、悟られないようゆっくりと呼吸を整え、時が過ぎるのを待っていた。
雑音が溢れる街の中から、ゆっくりとした足音が静かに近づいてきていることを知らず。
「新華さん、この辺りですか?」
係長を追った僕は予備で貰っていたイヤホンの先に尋ねた。
「そうね…その辺…右手までは今のところ追えるね…」
ボソボソと小声で新華さんは答えた。
「それにしてもここ、何処だ…」僕は興奮に任せて動いていたせいか、あまり記憶が確かではなく、頭も酷く痛みながら場所を確認した。
地図アプリで確認すると、先程までいた店から随分と外れまで来ているようだった。
赤ちょうちんを出してる居酒屋や、ネオン看板の煌びやかなスナックが立ち並び、繁華街とはこういうものだという通りだ。店先ではホステスがお客さんを見送っている。
「豊くん…右手に交差点入って…2本目の路地裏のゴミ箱」
「分かりました」
新華さんの誘導でたどり着いた場所は、色んな店から出るゴミの集積所だった。
こんなところ?と思いながら観察していると、モゾモゾと動く人影があった。係長だ。
「いました、行きます」というと、「待ちなサイ!」と忠さんからの通信が入った。
『君は許可受けてナイでしょ!君が手を出した瞬間、この仕事はただの事件になっちゃうンだよ!私か、マスターかカムイくんを待ちなサイ!』
慌てた様子で忠さんが走りながら通信しているのが分かった。
「でも、これは僕の……獲物だ」
あれ、僕今何を言った?
数分前
「マスター!マスター!豊くん、暴走してるヨ!」
忠はまだ遠くにいるマスターに連絡を取った。
「やっぱりこうなったか……」後ろからカムイが苛立っている声も聞こえた。
「マスター、やっぱり彼について何か知ってるネ?」マスターは押し黙った。
「こうなったら言うしかねぇか…彼はあの鶴井の孫だ」
カムイも忠も驚いた。あの伝説の殺し屋の名がここで出るとは思わなかったのだから。
マスターは重い口を開いた。
「どういうことか、と思ってるだろうが、鶴井という男は凶暴な男だった。しかし、突如引退し、隣町に移住して普通の家庭を築いてた。名も変えて、1人の男として。」
「でもマスター、それじゃ彼が鶴井の孫とは繋がらないじゃないカ」
マスターはため息をひとつついて、呼吸を整えた。
「数年前、隣町であったろう。キャンプ場から子供2人と祖父が神隠しにあった事件。あれが鶴井と孫のことだったと調べは付いてる。名こそ違うが、亡くなった祖父の顔に俺の目の前で付いた傷が残っていた。そして死んだ。メディアでは滑落となってはいたが、事実は『何かと戦って死んだ』んだ……そして1人生き残った孫の名は……」
『北山 豊』
『いました。行きます』忠のイヤホンに豊の声が届いた。
「マスターヤバいよ、この話聞いて更にヤバいと感じたヨ…多分彼、自分で幕引きする気だ。」
「不味いな…流石に許可なしとなりゃあ俺らにもトバッチリが来ちまう…」
「大丈夫、なんとか止めるよ」
電話を切った忠は豊へ通信を始めた。
「新華ちゃん、どうして止めてくれなかったの!
」
新華は「何か怖かった…」と若干怯えているようだった。忠は新華の誘導でなんとかもう少しの場所まで来た。
「忠くん、通信行けるよ」
「わかったヨ……待ちなサイ!君は許可受けてナイでしょ!君が手を出した瞬間、この仕事はただの事件になっちゃうンだよ!私か、マスターかカムイくんを待ちなサイ!」
忠は必死で呼びかけた。これは豊が心配だからではない。お墨付きを与えられ、やっと大手を振って殺しができる喜びを潰されるのを阻止する為のものだ。
紫城 忠
彼は紫城洋裁本舗の跡取り息子でありながら、札付きの不良だった…訳では無い。
品行方正、質実剛健、少々ナルシスト気質だがそこまで悪人ではなかった。
いや、ただの悪人ではなく、狂人に近かったのだろう。
昔から皮と布の扱いに長けていたせいか、小動物を殺し、皮を剥ぎ、鞣して小物を作って遊ぶ子供だった。
最初はドブネズミや蛇、物足りなくなってきて野良犬や野良猫にまで手を出していた。
そして、人間欲望は尽きず、忠は数人の人間に手を出した。しかしそれは『カラフルな肌に惹かれたんダ』と、ならず者ばかりを手にかけていた。
そこで目をつけた男がいた。いつも新月の日、自分と同じタイミングで暗闇を彷徨いている男。明らかにカタギではない、この世から消えても問題のない人間だと忠は判断していた。数日の観察から、とある日の新月の夜中、襲いかかったところを返り討ちにあい、殺されると思ったところで
「おめぇか、今まで正華会の人間を消してたのは」
なんの事だ、と思っていると、この男は『仕事人稼業』のようなものをしているというのだ。それが今のマスターである宮下亀吉だった。その時には既に裏社会からは一線を画していたが、当時の忠には知る由もなかった。
そして、今まで忠が殺したならず者は自身の標的であったこと、戦って戦力として申し分のないことから自身の仕事人チームにスカウトしたいと聞いた。
聞くところによると、悪人と認定された人間を殺すことは公認されるという事から、願ってもないと参加したのだった。
しかし、今それが壊される、そんな危険を感じていた。
そして必死の通信で、豊から返ってきたのは
「でも、これは僕の……獲物だ」
到底彼に似つかわしくない返答であった。
ガガガ!とビー!という音でイヤホンが潰されたと判断した忠は更に急いで、豊の元へ向かうのだった。
「ど、どど、どうしてお前が生きてるんだよぉ!!」ゴミ箱の前にいる僕に係長は叫んだ。
「そんな事簡単ですよ、あの電話かけたの自体が僕なんですから。」
コンビニ前で襲われたとき、僕は確かに傷を負った。でも、三下のガキ共に殺されるほど、僕はヤワではない。そこに居た全員を殺さない程度に痛めつけた…まぁそれをコンビニの店員に見られ、通報されたわけだけども。
「僕、こう見えて、いろいろ鍛えてますから。」
「う、嘘つけ!コーヒーショップで脅したらキョドってすぐ消えたじゃねぇか!!」
僕はどうしても笑いしか出てこなかった。
「そらぁそうですよ、あんなところでこんな力出したんじゃ、店に迷惑がかかるでしょ?」
暗闇の中でニヤリと笑う僕をみて、そんなぁ、とへたり込んだ係長を僕はゴミ箱から『丁重に出してあげた』。
係長は冷たい目で見下ろす僕に、糞尿を漏らしながら命乞いをしていた。僕の心の中は嫌に冷静だ。
係長をゴミ箱から引きずり出した僕は、力任せにブロック塀に叩きつけ、二度と逃げられない様に足を折り、下手なことを叫ばないよう転がっていた石を口に突っ込み、思い切り殴りつけた。
「ゆ……ぶふっ……ゆゆゆ、ゆるひて…くらふぁい……」
「係長、もう事は『許す』『許さない』じゃないんですよ。僕はね、我慢して我慢して…本当にこのことは誰にも言わず墓まで持って行こうとしたんですよ?僕、気が弱いですから。なのに、イキって何度も脅してくるんですもん。僕、普通に生きたいだけなのに、邪魔してくれるからさぁ!」
僕は躊躇なく、ビール瓶を振り下ろした。もちろん、あてる気はさらさらない。
ガシャンと音を立てて粉々になったビール瓶を横目に、係長のだらしない声が響いた。
ふぅと一息つくと、こちらへ向かう足音が聞こえてきた。
「あぁあ…間に合わなかったかィ……」
息を上げながら忠さんがやって来た。
「大丈夫ですよ。見てくださいよ。」
頭を抱え、泣きながら『ごめんなさい』と繰り返す係長を見て、それ以上手を下す気持ちも起きなくなっていた。
「あぁ、これは…何やったのぉ、豊くん?」
「え…いや、僕は…ただ痛めつけておこうと。殺すつもりはないですよ、罪は償わせな……」
僕が話していると、忠さんは懐から銃を取り出し、パスンという乾いた異音が耳の横を通った。
「え…?」
「ダメだよ、こういう奴はさ、苦しんで苦しんで苦しんだ末に一瞬安心させるんだ。あぁこれで捕まって楽になる…ってネ。そして、殺す。その時の表情を見なきゃ…スッキリするよぉ?」
さっきまで怯えて震えていた人間が、一瞬で頭を吹き飛ばされ、ただの肉塊に変わったのを見て、僕は腰を抜かして目を白黒させていた。すると忠さんは後ろから抱きつくようにして、僕の耳元で言う。
「大丈夫、警察には行かないし、ここからが一条達の本来の出番なわけネ……豊くん、君も…十分に素質あるよ?」
これが仕事人、殺人が許可された人間
忠さんの表情から普通じゃなかったことは、振り返らずとも分かっていた。
けれど
僕は新月の暗闇の中、どんな顔をしていたのだろうか。
第5話 今宵の月のように
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