第8話 誤算

◎デスゲームのルール

1:あなたたちの中に1匹、狼が紛れ込んでいる。狼に噛まれた場合、あなたは死亡する。

2:制限時間以内にこの建物から脱出できなかった場合、あなたは死亡する。

3:建物から出る方法は2つ。正しい鍵を見つけるか、狼を死亡させるか。その他の方法で出た場合、あなたは死亡する。

4:左腕に配布されているツールで全ての生存者を“招集”し、狼と疑わしき者を“告発”することが出来る。ツールを体から外した場合、あなたは死亡する。

5:“告発”の際、生存者は処刑対象を選択することが出来る。過半数の生存者が対象を選択し、かつあなたが最も多人数に選択された場合、あなたは死亡する。



 青紫1色に彩られた小部屋の中へ、雅史は駆け込んでいく。

 急いで内部を見渡すと、ポツンと1つだけ置かれた小さなテーブルがあった。

 すぐに引き出しをチェックすると、鍵はかかっておらずあっさりと開く。

 しかし、引き出しの中は空っぽだった。


「くそっ!」


 探し始めた初っ端で目的のものが見つかるなどと、そんな都合の良い展開があるはずもないことは分かっていた。

 だが、湧き上がる苛立ちは抑えきれなかった。

 怒りに任せてテーブルを蹴飛ばした後、そのまま次の部屋へ向かう。

 今はとにかく、1つでも多くの家具を調べなければならない。


(何の実りもない口論で時間をロスしちまった。残り時間はあと30分も無い。急いで“正しい鍵”を見つけないと……!)


 痛む脇腹を押さえながら、雅史は廊下を走った。

 逸る気持ちが雅史を急かすが、スーツの青年に蹴られた腹部のダメージは軽くはない。

 大きく呼吸をするたび鋭い痛みが走り、全力で駆けることなど到底出来なかった。

 それでも、可能な限りの速度で次の小部屋を目指す。

 立ち止まっている暇はないのだ。


(問題は、“正しい鍵”なんてのが本当に見つかるのかって事だけど……。)


 それは再度の鍵探しを提案した時点から、雅史の頭をずっと離れない懸念だった。

 最初にこの建物を歩き回った時は、特に急いでいなかったとはいえ、5人で手分けしても1周するのに1時間近くかかったのだ。

 それをたった1人で、さらには各部屋の家具を調べながら30分弱で調べきるなど、とても現実的とは思えなかった。

 勿論、建物全てを調べ尽くさなくても鍵さえ見つかれば良いのだが、見つかるかどうかはもはや運ゲーと言う他なかった。

 では何故、雅史がそんな無謀とも言える提案を自ら行ったのか。

 それは、このゲームに勝利する確率を、少しでも上げるためだった。


(あのまま言い争いしてたって、どっちが“狼”かって確信は得られなかっただろうからな。)


 それならば、僅かでも“正しい鍵”が見つかる可能性がある限り、1人きりでも残り時間ギリギリまで建物を探索している方が有意義だ。

 同時に、雅史にとっての“狼”候補を2人きりにすることで、“狼”側が尻尾を出す可能性もある。

 “狼”側としても、時間切れを前にしていい加減動かなければならない焦りはあるはずだ。

 それはつまり、“狼”ではない方の人間を囮にするという意味でもあるのだが……。


(十中八九、“狼”はあのギャルに違いない。女子高生のあの娘には悪いけど、ギャルがあの娘を狙って動いてくれれば、こっちは遠慮なく投票に踏み切れるんだ。)


 それは、追い詰められた中でのとっさの思いつきだった。

 あんなに怯えていた女子高生を囮に使うなど、自分事ながら酷薄なものだと思えた。

 だが、腕の端末による瞬間移動は間違いなく本物だった。

 あの機能さえ使えれば、あの娘に危険が及ぶことは無いはずだ。

 そんなことを考えながら、次の部屋へと続く通路に差し掛かろうとした時、雅史の視界の隅にとあるものが飛び込んできた。


(うっ……。嫌なもんが見えちまった……。)


 雅史が見たのは、廊下のカーブが最も急勾配になる楕円の頂点付近。

 2つほど先の部屋の手前に横たわる、首を失って血に塗れた作業着の男の死体だった。

 誰も動かそうとするものなどいないのだから、当然死体は発見されたその場所に打ち捨てられたままだ。

 無惨に殺されたその様は、先程までの興奮状態で忘れかけていた恐怖を雅史に思い起こさせてくれた。

 途端に、通路の角で“狼”が待ち構えているのではないかという嫌な想像が頭をよぎり、雅史は思わず足を止めてしまった。


(くそっ。そんなはずないって分かってるけど、怖いもんは怖いんだよ……。)


 “狼”は中央の部屋にいる2人のどちらかなのだ。

 今ここにいるはずはない。

 そうと分かっていても、自分の死を意識した時点で恐怖の感情が理屈を凌駕してしまっていた。

 平然と人が殺されていくような状況下でたった1人歩き回るというのは、自分で思っていた以上に精神的負荷のかかる行為だったようだ。

 廊下の奥の暗がりや通路の角など、普段なら何でもないような場所がひどく恐ろしく感じてしまう。


(ああもう、こんなところで止まってる場合か!万が一“狼”に襲われたって、この端末さえ起動できればどうとでもなる。いいから前に進むんだ!)


 なけなしの勇気を振り絞って、どうにか1歩を踏み出して歩き始める。

 端末にある“call”ボタンは、“狼”を追い詰めるための多数決の引き金になると同時に、“狼”から身を護るための防御手段でもある。

 いざ“狼”と対峙した時、あるいは“狼”の正体が分かった時、“狼”に殺される前にその動きを封じて多数決に持ち込めるという、人間側に与えられたアドバンテージなのだ。

 不意を突かれさえしなければ、むしろ“狼”を処刑するチャンスになる。

 全ては、この小さな機械にかかっている。

 そんなことを自分に言い聞かせながら、頼みの綱の端末にふと目を落とした時、雅史は小さな違和感を覚えた。


(あれ……?なんか……色が変わってる?)


 違和感の正体は、“call”ボタンの色だった。

 白地に黒く“call”と書かれていたそのボタンは、今は全体的に灰色がかっている。

 隣りにある“action”と書かれた赤地のボタンと比較すると、明確に色が暗くなっているのが分かる。


(これ、まさか……使えなくなってるのか!?)


 こういったデジタル表示のボタンでは、何らかの理由でそのボタンが使用不可の状態であった場合、グレイアウトして使えないことを表現するのが常套手段だ。

 この“call”ボタンには、それと同じことが起こっているのではないか?

 その可能性に思い至った時、雅史は愕然とした。


「おい、ちょっと待てよ嘘だろおい!」


 雅史は制限時間ギリギリまで建物を探索し、“正しい鍵”も見つからず“狼”にも動きがなければ、最後には再びこの“call”ボタンで処刑される者を決める投票に持ち込むつもりだったのだ。

 このちっぽけなボタンこそが、彼の運命を左右する切り札だと言えた。

 それがまさかの使えませんなどということになると、雅史の思惑は全て瓦解してしまう。


「なんだよそれ!マズい、マズいぞ……!」


 思わず立ち止まり、慌てて端末に触れてみる。

 正しく起動してしまえば、なんの準備もないまま多数決が開始してしまうという恐れはあった。

 だが、ボタン自体が使えないとなればそれ以前の問題だった。

 そんな雅史の不安は的中し、何度押しても“call”のボタンはうんともすんとも反応せず、周囲の景色にも一切変化は起きなかった。


(こっ、こっちのボタンはどうだ!?)


 藁にもすがる思いで隣の“action”と書かれたボタンにも触れてみたが、端末はピクリとも反応が無かった。


「くっそマジかよ!どうしろってんだ!」


 “call”ボタンが使えないとなると、今の雅史には身を護る術が存在しなかった。

 これではまるで、殺される時を待って震えるしかない哀れな子羊のようなものだ。

 今この瞬間に“狼”と鉢合わせれば、間違いなく雅史は殺されてしまうだろう。


(こ、こんなところにいるのは絶対ヤバい!どこかに隠れないと!)


 視界の開けた廊下にいるのは、“狼”に見つかる可能性が高く危険だ。

 だが、部屋の中にこそ“狼”が身を潜めているかも知れない。

 そんな恐ろしい想像が、部屋に逃げ込むことを雅史にためらわせていた。

 2人の待つ中央の部屋へ戻ることも一瞬考えたが、それこそ自殺行為だと思い直す。

 “call”ボタンを使えないのが雅史だけならともかく、もし全員が使えなくなっていたとしたら、もはや“狼”を止める方法は無い。

 恐らくは“狼”であろうギャル系女子が女子高生を既に殺しており、今頃は雅史を探して歩き回っているかも知れないのだ。


「はっ、はあっ、はあっ……何で……こんなことに……。」


 もはや“狼”に対して雅史が出来ることは、ひたすら逃げ続けることだけだ。

 鍵を探して走り回っている余裕など、どこにもなかった。

 希望が絶たれ、絶望が心を占めていく。

 呼吸は乱れ、頭の中は真っ白になって、雅史はすでにパニック寸前だった。

 ゼイゼイと荒い呼吸をしたまま立ち尽くす雅史の視界には、少し離れた位置にある男の死体が映っていた。

 床に転がる男の頭部はどこか不思議そうな表情を浮かべており、まるで自分が死んだことに気付いていないかのようだった。

 自分もあんな風に、いつ殺されたかも分からないくらいあっさりと死ぬのだろうか?


(そんなの、嫌だ……死にたくない……!)


 その虚ろな表情は、雅史に己の死を強く意識させた。

 そうなるともはや、雅史の足は一歩も動いてくれそうになかった。

 焦りと恐怖が募るあまり、口はカラカラに乾いて唾の一滴も枯れてしまったようだ。

 目に映る全てのものが恐ろしく見えてきて、雅史は思わず目を閉じた。

 次に目を開けたときには、“狼”が目の前にいるのだろう。

 そして雅史はこの世とオサラバするのだ。

 そんな昏い妄想とともに再び目を開けた雅史を待っていたのは、数秒前まで見えていたものとは全く異なる景色だった。


「え……?」


 そのあまりの唐突さに、雅史はただ驚きの言葉を発するのが精一杯だった。

 そこは、もはや馴染みのある光景となり始めている場所だった。

 壁、床、天井に至るまで、全てが灰色で塗り尽くされた部屋。

 中央に据えられた、ぐるりと円を描くように並べられた6脚ほどの椅子。

 その椅子の1つに、雅史自身も座らされている。

 そう、雅史は再び、建物中央に位置する灰色の部屋にいた。

 そしてそれは、雅史以外に残った生存者である2人も同じだった。

 椅子に縛られた3人は、ちょうど正三角形を描くようにして対峙していた。

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