第26話・作家

 もしや、拷問狂というやつは本当にいたのか。

 杏樹とエミシが何を考えたのかを察して、朝が率先して口を開く。


「そ、その。実は今、拷問屋敷っていう都市伝説がありましてね……」


 朝は、拷問屋敷の話をかいつまんで溝口に説明した。あくまで最初にエミシが動画化した内容を、さらにさらっと簡略した程度の話である。みぞる村、という村に戦後すぐの頃立派な屋敷があって、そこに拷問狂の男が住んでいた。その男は何人も拷問して殺して死刑になり、それでも飽きたらず未だに幽霊となってこの世を彷徨い、新しく拷問できる獲物を探している――と、まあこれくらいである。そもそも、獄夢の対象になるのが、どこまで拷問屋敷の話を知ったら、なのかがはっきりしていない。あまり詳しく話すと此の人も巻き込まれるかもしれないと思ったというのもあるだろう。

 まあ、インターネットでこれだけ騒ぎが起きている以上、もう既に知っていてもおかしくはないのだが。


「ああ、なるほど!それは売りにできるかもしれませんなあ。確かにみぞる村と溝地村、名前はよく似てますもんねえ。うーん、あの屋敷が残っていればなあ」


 溝口の反応はこれである。獄夢の話をカットしたので、まあ暢気なのも仕方ないことかもしれない。


「ただまあ、あくまでモデルになったというだけでしょうね。実際に拷問狂なんて住んでませんでしたって、あのお屋敷には」

「で、でも拷問具が家にあったって……」

「どれもアンティークですよ。錆びてたり壊れてたりしてとっくに使い物にならなくなったやつを、怖い物好きの神楽坂家のご主人が集めてたってだけです。ああ、でもご主人以上に、息子さんがそういうものが好きだったみたいですね。中世時代の歴史小説とか、ホラー小説だとかが大好きな人だったそうですから。……ああ、引っ越す前に丁度息子さんが、その拷問屋敷の拷問狂男と同じくらいの年ごろだったのかも。それで、モデルになっちゃったんだろうなあ」


 あっはっは、とまるで他人事と言わんばかりに笑う溝口。


「ひょっとしたら、そう言う話が広まったのって、あの人が小説書いたからなのかな。ああ、そうだ言ってた言ってた。あのお屋敷をモチーフに小説書くんだって。そうだ、どっかで聞いたと思ったらまさに、あの人が言ってたプロットに似てるんだな」

「……あの人?」

「おや、ご存知ない?何年か前なんですが……誰も住まなくなって、ウチもちょっと持て余してたあの洋館を取材したいって訪れた人がいたんですよ。ホラー作家の逆打優さかうちさんですね」

「!」


 意外な名前が出てきた。逆打優。杏樹も知っている、有名なホラー作家のひとりだ。本名、三池優。吾妻ホラー賞を受賞して華々しくデビューした作家で、デビュー作の“七鏡の呪い歌”は映画にもなったはずである。映画の方が見ていないが、小説は杏樹も見たし、予告編動画も一部は見ている。ねっとりとした、背筋を這い回るような恐怖演出が得意で、読んだ夜は怖くて眠れなくなったのをよく覚えていた。


「さ、逆打優さんですか!?だ、大ファンなんですけど……!」


 エミシがわかりやすく目を輝かせる。オカルト系ユーチューバーとしては、きっと外せない作家のひとりであるに違いない。


「な、何年か前っていつ?いつくらいですか!?」

「え?あ、ああ……えっと四年くらい前だったかなあと」


 身を乗り出すエミシに、溝口もちょっとドン引きしているようだった。なるほど、ホラー作家にとっては古めかしい洋館というのは、いろいろと想像力を掻き立てられる物件だったのだろう。取材のために訪れていてもおかしくはあるまい。

 ただ四年前となると、デビューしてから既に三年は過ぎた頃のはず。そして、逆打優と言えば――。


――確か、三年ちょっとくらい前に……事故で……。


 亡くなった、と言う話は聞いていない。しかし、事故で意識不明になり、そのまま病院で昏睡状態が続いているのではなかっただろうか。まだ生きているとしても、植物状態一歩手前なのでは、なんて噂が流れていたはずである。杏樹も、それ以上のことは詳しく知らないが。

 そしてデビューしてから三年後ということは、あの“七鏡”の話のための取材ではなかったということである。七鏡は単発だったし続編が書けそうな話でもなかった。きっと、新作の取材で来ていたということなのだろう。


「井口さんたちが仰った、その都市伝説。逆打さんが、私に語ってくれたプロットによく似てるんですよね」


 うんうん、と頷きながら言う溝口。


「えっと、戦前からあるふるーい屋敷に拷問狂の男が住んでるんですって。その男が戦後にビジネスで儲けた金で、次々と拷問具を海外から取り寄せるんです。男は、人が苦しむのを見るのが大好きな拷問狂でして、近くの村の女性達を次々と攫って拷問にかけて殺してしまい、その死体を庭に放置するんですよ。庭には、海外から取り寄せた凶暴な獣を放し飼いにしていて、遺体は全部そいつらに食べてもらって処分するんだと。……で、やがて男は大量殺人で捕まって死刑になるんですが、それでも拷問したらないという未練が強くて、怨霊になってしまうんです」

「そ、それって……!」

「ええ、都市伝説に似てますよね。でも、そこから先がちょっとだけ違うかな。ただ怨霊になって彷徨うだけじゃない。自分のことを知っている人間、祓おうとする人間を次々不思議な力で、悪夢の世界に閉じ込めてしまうんです。男に呼ばれててしまった人達は、洋館に閉じ込められて次々拷問されて殺される。で、夢の中で殺されると、現実の体も同じようにして死んでしまう。夢は毎晩続くので、一晩逃げ切っても次の晩で捕まったらアウト……という」

「!!」


 拷問屋敷の話はしたが、獄夢のことについては溝口に語っていない。にも拘らず、彼の話はまさに今自分達が遭遇している状況そのままだった。

 約四年前。ホラー作家の逆打優が、この溝地村に取材に来ていた。しかも、今起きている事件そっくりそのままの小説を書こうとしていた。

 さすがに、偶然とは思えない。


「……そのお話、本にして発表されたんでしょうか。タイトル、わかります?」


 エミシがやや緊張した面持ちで問う。溝口は“発売されたらしいですよ”と思い出すように明後日の方向を見て言った。


「タイトル、なんだったかな。……えっとたしか……そう、“愚者の……”」

「“愚者の行軍”ですか?」

「あ、そうそう!確かそんなかんじのタイトル」

「!!」


 慌てて杏樹は朝を見る。愚者の行進。そう口にしたのは朝だった。彼女は険しい顔で、溝口を見ている。


「あ、朝。知ってたの?その小説」


 杏樹が尋ねると、まあね、と彼女は頷いた。


「タレコミがあったのよ、あの都市伝説が逆打優の小説になんだか似てるって。……ただ、タレコミ主が本のタイトルを覚えてなくてね。その小説かわからなくて、あたしもちょっと困ってたんだけど。愚者、で始まるタイトルは一つだけだわ。逆打優が事故に遭う少し前に発表した、“愚者の行軍”ね」

「ま、待ってください!逆打さんのファンですけど、そのタイトル知りませんよ!?」


 慌てたように言うエミシ。そうだ、都市伝説とその小説がそっくりなら、逆打優のファンというエミシが知らないのはおかしい。


「知らなくても無理ないわ。発行部数が極端に少ないんだもの。一般の本屋にも殆ど流通してないんじゃないかしら。同時期にいくつか発売された逆打優の本もいくつかあるんだけど、その中でも一番マイナーなやつね。……よりにもよってその本か」


 困ったようにぶつぶつと呟く。どうやら、思いがけないところにヒントがあったということらしい。拷問屋敷の話、現実として考えるなら設定にだいぶ無茶があるしあり得ないことばかりだと思っていたが――元ネタがもしフィクションの小説だというのなら、それも筋が通る話である。

 逆打優か。あるいは、その小説を知った誰かが、それを利用してこの事件を引き起こしているのだとすれば。


「み、溝口さん!その、愚者の行軍っていうお話に関して、何か他にも逆打さんから聞いていませんか!?」


 マイナーな本だというのなら、今から自分達が手に入れるのは相当難しいのかもしれない。だとしたら、そのプロットを聞いたという溝口から、少しでも多く情報を引き出しておく必要がある。無論、話したプロットと、実際に発売された本の内容がどこまで一緒かどうかは怪しいところではあるが――。


「うーん、私もだいぶうろ覚えなので、間違ってるところもあるかもしれませんよ。それに、実際に発売した本は私も読んでませんから、聞いた話と内容は異なってるかもしれません」

「それでもいいんです、どんな小さなことでも!」

「そうですか?それなら……」


 食い下がる杏樹に、溝口は“確か”と顎をさすりながら答える。


「主人公は、その拷問屋敷の悪夢に囚われた男性だそうで。彼は、拷問屋敷で一番最初に殺された女の子の霊に導かれて、屋敷の呪いを解いて脱出するとか言ってましたね。ああ、そうだ丁度」


 す、っとその視線が真っ直ぐにエミシを見た。


「そう、貴方くらいの年の男性が主人公だったはず。ちょっと華やかな見た目の、芸能人やってる男性だとか言ってた気がしますね」

「!」


 エミシの目が、驚愕に見開かれた。そうだ、確かさっき車で目が覚めた時。おおまかに、お互い獄夢の中で何があったのかを相談しあったのだが――その時、エミシは言っていたのである。

 また、あのおかっぱの花子さんみたいな姿をした女の子に出逢ったこと。そして、彼女に頼まれたこと。そう。




『お願い、主人公さん。この物語を終わらせて』




 彼女は、エミシに確かにそう言った、と。

 もしや、エミシが獄夢に誘われたのが偶然ではなかったということなのか。彼は、あの夢を終わらせる主人公として招かれた、と?

 思えば、その女の子がエミシの前にしか現れないということも気になってはいたが。


「……その屋敷の呪いを解く方法とかって、逆打さんは話していませんでしたか」


 エミシが静かな声で尋ねると、溝口は困ったように首を横に振った。


「残念ながら、そこまでは。ただ……鍵を手に入れると脱出できるようになる、とかそういうことを言っていた気はしますね」

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