第27話・変化
民宿に泊まっている場合ではないかもしれない。ひとまず全員、車の中へと引き返していた。
拷問屋敷、獄夢。
まさかそれが、小説として元ネタがあったなんて一体誰が予想しただろう。
「……逆打優の小説で、都市伝説とそっくりな話を読んだことがある。そうタレコミをくれた人がいたのよ。でも、実際どんなタイトルだったかわからない、三年とか四年くらい前、って。その時期に出ていた逆打優の小説を、いくつかピックアップして候補にしてたんだけどね。……ここまで似てるとは、さすがに思ってなかったわ」
「溝口さんには獄夢のことは話してないのに、そのことを知っていた。しかも、エミシさんが夢の中で出会った女の子、主人公って言葉……やっぱり、獄夢ってその小説が元になってるって見て間違いなさそう?」
「ていうか、ここまで似ている理由が逆に思い浮かばないわよ。偶然にしては出来過ぎてるもの」
朝は車のエンジンをかけながら言う。
「逆打優は、デビュー作“七鏡の呪い歌”で吾妻ホラー賞を受賞した。それで一躍有名になったけど、その後が続かなかったのよね。いくつか本を出したけど、どれも七鏡ほど売れなくてかなりスランプに苦しんでいたって話。……“愚者の行軍”は、そんな彼が再起をかけて出したホラー小説だったみたい」
ところが、と続ける朝。
「愚者の行軍も、同時期に出した三つの作品も……彼の小説が面白い、面白くない以前の問題だったの。出版業界の事情についてあたしもそんな詳しくないから、あくまで噂や推測も含まれるんだけど……どうにも、出版社に力がなかったみたいでね。発行部数がそもそも少なかった上、本屋にあんまり流通させてもらえなくて」
「あー……。どんなに面白い本書いても、本屋に置いて貰えないんじゃ売れる以前の問題か」
「そういうこと。本屋に置いて貰えるかどうかって、はっきり言って作家本人の努力だけでどうこうなるものじゃないのよ。出版社がいかに本屋に売り込んでくれるか、売るための流通ルートを確保しているかってことが大事になるわけ。つまり、大手出版社ほど有利なのよね、どうしても」
ルームミラーに映る朝は、かなり渋い顔をしている。彼女も雑誌記者をやっている身、元より出版業界については思うところがあるのだろう。
そもそも、昔と比べて本が売れないというのはよく言われる話である。電子書籍で読む人が増えたというのもあるし、本以外の娯楽が増えたというのも大きいのだろう。無論、それでもなお欲しい本は紙で欲しいと考える人も一定数存在するのは事実だろうが――文庫本ならいざ知れず、重たくて高価なハードカバーを買いたがる人は昔よりも減っているのは間違いない。
「逆打優は、デビュー作と、その後続の何作品かはかなりピックアップして出版社にも売ってもらってたんだけど……まあ、デビュー作以外があんまり売れないとなるとね。次第に、出版社も力を入れてくれなくなるし、そもそも自分のところからその作家の本を出そうっていう方向にも行かなくなっちゃうわけ。……このへん、あたしとしてはいろいろ思うところがあるわけだけどね。作家の本が売れないのを、作家本人のせいだけにすんなっていう。だって、散々編集者と相談して、内容を精査して、推敲して一冊の本ができて。それで、出版社がどれくらい広告を出すかによっても売り上げって変わってくるわけだから」
「……確かに」
ということは、事故直前の逆打優は、相当不遇な状況にあったということだろう。
それこそ、相当発行部数を絞られてしまうほどには。
「逆打優が最後に出した何冊かの本は、弱小出版社からようやく出して貰えたもので、その結果本屋には僅かしか流通しなかった。……ううん、ひょっとしたらその時もトラブルがあったのかも。それこそ、あくどい出版社だと、作家との約束をちゃんと守らなかったりするものだから。出すべき広告をまともに打たなかったとか、約束した部数を刷ることをしなかったとか。実際、エミシさんは“愚者の行軍”ってタイトルも知らなかったわけだから……ファンにも認知されないって、よっぽどでしょ。だからあたしも、そんな本があるなんてタレコミがあるまで知らなかったわけ」
なるほど、理解した。杏樹は頷く。
とすると、次の問題は何故その本とそっくりの事件が現在起きているのか?ということになってくる。それほどマイナーな作品を持ち出してきたということは、事件を起こした誰かさんは当然本をがっつり読みこんだはず。あるいは、逆打優本人ということも考えられなくはないが。
「逆打さん本人は、現在病院で意識不明の状態だったはずです。さすがに、幽体離脱でもしない限り本人に直接何かができるとは思えません。というか、事故前に何かしていたなら、もっと早く獄夢の犠牲者がたくさん出ているような気がします」
「正論ね、あたしもそう思う。というか、獄夢……拷問屋敷の話が広まってきたのって、本当にここ最近のことだと思うわ。エミシさんの動画にリクエストがあったのって確か一カ月くらい前だったわよね?あたしも調べたんだけど、丁度それくらいに、一番最初の獄夢の犠牲者っぽい死体が出てるのがわかったの」
「!」
杏樹はエミシと顔を見合わせる。ということは、それくらいの時期から犯人は行動を起こし始めたということだろう。
それと一か月前にリクエストを送ってきた人物が、その犯人その人であったという可能性も出てくる。残念ながら杏樹が確認した限りでは、リクエストを送ってきた人物はみんなユーチューブのROMアカウントであり、なんの動画も投稿していない人物だったので正体を特定するのは難しそうだったが――それが、逆に怪しいと言えば怪しい気がしないでもない。メールアドレスさえ複数用意すれば、アカウントを複数持つのも難しいことではないのだから。
「少しずつだけど、真相に近づいてる感じがするな」
杏樹の隣で、エミシがぐっと拳を握った。
「逆打優本人の周辺をあたってみれば、犯人に辿りつけるかもしれない。そんなマイナーな本を知ってるくらいなら、それこそ家族とか親しい友人って可能性も結構高そうですよね」
「あたしもそう思ってる。……同時に、一刻も早く、あたし達はその“愚者の行軍”の本を手に入れないといけない。残念ながらアマゾンで取り扱ってないの。だから電子書籍で読むこともできなくて」
「そこそこ有名なホラー作家さんなのに、アマゾンでも取り扱ってないって……どれだけ出版社さんが弱いんですか」
「あるいは、本当に詐欺にでも遭ったのかもね。でも、本自体が実在するのは確かみたい。……今から、逆打優の家に突撃するつもりだから、二人はその間にスマホいじってて。愚者の行軍、について知ってる人をネットでかたっぱしから探すのよ。タイトルが確定すれば捜しようもあるでしょ」
「わ、わかった」
「わかりました」
もしも本当に、自分達が現在見舞われている怪異が、愚者の行軍の物語に則っているのなら。溝口が言ったように、この物語には出口が用意されている可能性が高いはずである。
『主人公は、その拷問屋敷の悪夢に囚われた男性だそうで。彼は、拷問屋敷で一番最初に殺された女の子の霊に導かれて、屋敷の呪いを解いて脱出するとか言ってましたね。ああ、そうだ丁度』
『そう、貴方くらいの年の男性が主人公だったはず。ちょっと華やかな見た目の、芸能人やってる男性だとか言ってた気がしますね』
『残念ながら、そこまでは。ただ……鍵を手に入れると脱出できるようになる、とかそういうことを言っていた気はしますね』
鍵を手に入れると、脱出できるようになる。
エミシが言っていた“庭”がかなり怪しくなってくる。彼は、庭の猿のような怪物たちは、少女が門を登り始めたところで襲ってきたと言っていた。つまり、門を登るまでは襲ってこない可能性があるということ。
門には、南京錠の鍵がかかっていた。その鍵を屋敷内で見つけて、開くことができれば。猿は襲ってこず、あの屋敷から脱出できる可能性もあるのではなかろうか。
溝口が言う言葉の通り、実際の本の物語も展開するのであれば。屋敷の呪いを解くことと、脱出することはそのまま直結しているはず。うまくいけば、一人脱出するだけで、現在囚われているすべての人を助けることもできるのかもしれない。
――本を手に入れれば、その鍵がある場所や……呪いを解く方法が見つかるかもしれない!
電子書籍もないというのが厄介だが。なんなら、直接本を手に入れられなくても構わない。ネタバレを知っている人を見つけるだけでもいいはずだ。逆打優の家は東京にある、と朝は言った。ならば、行きと同じくらいの時間がかかると思っておいていいだろう。それまでに、なんとか本に関する情報を車の中で検索できればいいのだが。
――エミシさんは、さっきの夢の中で主人に捕まりそうになってた。なんとか、その前に館から脱出する方法を見つけないと……!
「……一つ、どうしても気になることがあります」
スマホを眺めながら、エミシが苦い顔で言う。
「杏樹さんは、屋敷の中に令和の時代のパソコンがあったと言っていたではないですか。実際の小説の中に、そんなものが登場するとは到底思えないです。一体何故、獄夢の中に時代考証も設定も滅茶苦茶なギミックが登場したのでしょうか」
それは、杏樹も気になっていたことだ。本来の小説にあるはずのないもの――恐らく、犯人も意図しないものが登場した、その理由は。
「……ひょっとしたら、この拷問屋敷の状況って……人の噂に、大きく影響されるのかも」
「え」
それは、なんとなく杏樹が思いついただけの考えだった。しかし、そもそもこれが人の噂、都市伝説と言う形でインターネットを中心に広がっていっているのを踏まえると――これも強ち間違いではないような気がするのである。
きさらぎ駅と一緒だ。最初の掲示板の書き込みでは登場しなかった登場人物や、駅、イベントなどが後の人々の話で次々と追加されていったではないか。そして、結局元の物語がどんなものだったのか、わからなくなっていってしまっているところはある。
つまり、拷問屋敷の物語もまた。人の噂や願望によって、どんどん変化していくのだとしたら。
「拷問屋敷も獄夢も、安全圏にいる人間にとってはただの刺激的な都市伝説にすぎない。……面白半分で考察したり、捏造する人はたくさんいるんじゃないかな。その過程でどんどん、本来の小説にはなかった拷問やギミックが、人の願望にそって追加されていったんだとしたら……」
急いだ方がいいだろう。杏樹は背中に冷たいものを感じて言った。
「やっぱりこれ、早くなんとかしないとまずい!誰かが……“獄夢に囚われた人間は絶対出られない、その方が面白い”って、そう言う物語を作って流布する前に!」
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