第25話・喪失

「はあ、あんたらも物好きだねえ」


 捜査の基本は聞き込みである。もし屋敷が村でもあまり認知されていないものだったら、あるいはとても目立たない場所にあるのなら長丁場になるだろうと思っていた。

 しかし、幸いというべきか、意外なほど早く該当の洋館の存在が知れることになるのだった。杏樹たちからすれば、あまり好ましい結果とも言い難かったが。というのも。


「もう取り壊されちまってる屋敷を目当てにこの村に来るなんてね。この間も、うちのバアさんが尋ねられたっていうし、最近はそういう物好きが流行ってるのかい」

「……取り壊されたあ!?」

「おう」


 昼ごはんのために立ち寄った蕎麦屋の主人は、あっさりとそうのたまった。話が違うじゃないか、と思わず杏樹は朝を見る。朝はあっけに取られて“ちょ、ちょっと待って!”とおじいさんに詰め寄った。


「そ、そんなはずないわ!ブログには、半年前にその洋館を訪れて取材したって人がいたのよ!戦前からある立派な御屋敷で、現在は溝口さんってお宅の方が所有してらっしゃるって……なくなったっていつ!?」

「あー、知らんかったか。二カ月くらい前に、ここ一帯は結構な大雨が降ってなあ。それで土砂崩れで、屋敷がもろに潰れてしまって。元々老朽化していたし、これはもう建て直しも不可能だろうとそのままあっさり溝口さんが取り壊してしまったんだわ」

「に、二カ月前……」


 ああ、なんていうタイミング。朝やエミシが見つけたブログ記事は、僅かに古いものであったらしい。土砂崩れに思いきり潰されてしまったというのならもうどうしようもない。歴史ある建物だったとしても、だからこそ素人だけで建て直しできるようなものではなかったのだろう。

 しかし、御主人いわく“もう存在しない屋敷を目当てにこの村に来た”人は他にもいたという。ということは、自分達と同じようにこの溝地村=みぞる村だと睨んで、拷問屋敷の謎を解き明かそうとした者が他にもいたということなのかもしれなかった。


「……拷問狂のサイコパス野郎が実在するかどうかは怪しかったが」


 きつね蕎麦を前に、うーん、と唸るエミシ。ちなみに朝の前にはたぬき蕎麦、杏樹の前にはざる蕎麦がある。昔から、蕎麦は冷たい方が好きなのが杏樹だった。


「それでも、その屋敷が何かの儀式の会場になっている可能性はあると思ってたんだがなあ。そう思って、他の人も訪れたんでしょうし……それに、我々がこのタイミングで不自然に寝落ちしたのも、てっきり屋敷に近づけたくない誰かの妨害だと思ったんですが」

「私もそう思ってました。でも、この様子だとそのお屋敷って本当に存在しないみたいですし……これは空振りだったということでしょうか」


 何時間もかけて山梨県の山村までやってきたのに、こではただ村を観光しただけで終わってしまいそうである。杏樹がざる蕎麦を啜っていると、まだよ、と朝が告げた。


「取り壊した理由が本当に土砂崩れのせいだけだったのかわからないし。そのお屋敷のいわくなどについて、今の持ち主の溝口さんだっけ?その方がご存知かもしれないわ。本当に拷問狂の成金男がいたかどうかについても調べた方が良いと思うの。……ちょっと、気になる情報も掴んでるしね」


 気になる情報?杏樹は首を傾げるが、朝は今すぐそれについて語るつもりはないようだった。明らかに、何かを考え込んでいる様子である。

 とりあえず、何もしないで帰るのも癪であるし、やはり手がかりだけでもという気持ちはあるのだ。何の情報も出ないという可能性もあるが、その溝口というお屋敷の元の持ち主だった人物を当たってみる必要があるだろう。

 会計の時に蕎麦屋の奥さんに尋ねると、溝口さんという人はこの村でもかなりの有力者であるらしく、村長の家のすぐ隣に住んでいると教えてくれた。今日は休日であるし、きっと家にいるのではないだろうか、とも。




 ***




 溝口光一郎みぞぐちこういちろうという男がこの村でもかなりお金持ちであろうことは、すぐに見て取れた。なんとも立派な一軒家が建っている。聞けば、現村長の弟だというではないか。そりゃ、村でも発言力があって然るべきだろう。

 悩んだ末、自分達は雑誌の取材で来た、という名目で話を訊こうと決めた。この村の人は誰もユーチューバーのエミシの顔を知らなかったようだし(もう少し有名になったと思ったんだけどなあ、とエミシはちょっとだけしょげていた)ならばその方が話が早く済むだろうと考えたからである。まあ、朝のところはオカルト雑誌なので、観光で売りたいであろう村からすると本来あまり歓迎できるタイプの取材ではないのかもしれないが。


「ほう、雑誌記者さんですか!こんな辺鄙な村にようこそ!」


 こういう村のお金持ち、有力者と聞いて杏樹はあまり良いイメージがなかったのだが。幸いにして、溝口浩一郎という初老の男性は笑顔が爽やかな紳士だった。それなりの年であろうに、スタイルも良いしぴっしりと背筋も通っている。顔立ちもなかなかに整っていて、昔はさぞかしモテただろうと思わせる風貌だった。

 オカルト雑誌だということを明かすかどうか迷っていると、意外にも彼はエミシの顔を見て“おや、貴方はひょっとしてユーチューバーのエミシさんですか!?”と驚いた様子を見せたのである。村の若い人たちがまったく反応しなかったのに、これは意外だった。聞けば、なんとこの溝口氏、この村の広報を任されているという。PRのための動画を作成し、ユーチューブやニコニコ動画で広告動画を撮影・編集しアップしているのだとか。――つまり、バリバリにパソコンやネットを使いこなしているハイテクおじいちゃんというわけである。人間、見た目によらないものだ。しかも。


「ということは、オカルト系の取材ですか?どうぞどうぞ。この村に人が来てくれるならホラーでもなんでも歓迎ですから」

「……な、なんて話が早い……」


 普通、そういう評判がつくのは嫌がりそうなものだというのに。実は、他にも幽霊が出るなどの噂があって、それを売りにしていたりするのだろうか――この村は。いや、イギリスなんかだと、むしろ“幽霊が出るホテルです”をキャッチコピーなんかにしてる宿泊施設があったりなかったりするなんて話も聞いたことがあるが。


「えっと、そうおっしゃるということは、この村には結構そういう……幽霊とかの話があったりするんでしょうか?」


 応接室に通されたところで、朝がやや前のめりになって尋ねる。もちろん自分達は拷問屋敷と獄夢について調べるために此処に来ているわけだが、それはそれ、朝としては記事になりそうなオカルトの話題は全て興味の対象内なのだろう。そもそも彼女がそういう雑誌記者になったのだって、ホラー系の話が好きだったからということに起因していると杏樹は知っている。

 拷問屋敷の拷問狂いの男、なんてものが実在しなかったのだとしても。その屋敷に過去実際住んでいた人間が不自然に病死したとか、あるいはそれ以外に村に呪われたエピソードがあるとか、見えない因習があるなんてケースもないわけではあるまい。というか、ホラーの定番だ。田舎の農村・山村には実は昔ながらの生贄の儀式があってそれが今でも続いていて――なんていうのは。

 しかし。


「いいえ、ちっとも」


 朝の言葉に、溝口はさらっと言った。あまりのあっさりぶりに、三人揃ってずっこけそうになったほどに。


「いや、むしろそういう話でもあった方が盛り上がるんじゃないかなーと思うんですけどねえ。村そのものに生贄の儀式があるとか、特定のお宿にオバケが出るとなるとちょっと困りものですけど……山には神様が住んでいるとか、今は使われてない廃屋に幽霊が出る……くらいならむしろ面白がって若い人が来てくれそうじゃないですか。どうせアピールするなら、幽霊の噂でもなんでも活用しないと!今はそういう時代ですよ!」

「ぽ、ポジティブ……」

「どうせ、そういう噂なんて誰も本当かどうかなんてわからないんです。誰かが“お化けが出たら嬉しい!”と思えば、だーれも自殺なんかしたことのない屋敷に首吊りの幽霊が出るって話になったり、特に逸話もない山が霊山みたいに言われるようになっちゃったりするもんです。結局そういうのは全部、そこに関わった人が望んだ通りにしかならない。神様だって、信じる人がいてこその神様じゃないですか。なんだかんだ言って、一番強いのも怖いのも“多数がそうしてほしいと願うこと”なんですよ。風評被害だって、そうやって作られるもんじゃないですか」


 言われてみればそうかもしれない。かの有名な都市伝説の“きさらぎ駅”の類だって、掲示版の“嘘かほんとかもわからない書き込み”を見た人が“これが本当だったら面白い”と思って広めたというのが強いだろう。猿夢にしろ、くねくねにしろ、もっと古く遡るならトイレの花子さんだってそう。

 オバケがいたら面白い。異世界があったら面白い。

 噂だの都市伝説だの、そういうものは人がそうやって思い思いに捏造し、自分の望む真実とやらを付け加えていった結果形作られるものだ。なんというか、ある意味では八百万の神を信じる日本らしい風潮なのかもしれなかった。今はインターネットが流通しているから尚更、そういう噂も広まりやすいのだろう。拷問屋敷に獄夢が、もはやエミシの手さえ離れて人々の考察と共に広まり続けているように。


「えっと、溝口さんは……その、戦前からある大きなお屋敷を所有していたとお伺いしたのですが?もうなくなってしまったと聞いたんですけど、それはどういうお屋敷だったんです?」


 杏樹が尋ねると、そうですねえ、と溝口はのんびりした口調で答えた。


「一言で言うと、よくぞまあ空襲やら震災やらで残ったもんだと思うくらい立派なもんだったんですよね。なんでも、昔は神楽坂竜彦かぐらざかたつひこさんっていう方と、その奥さんと息子さん二人で暮らしていたお屋敷だったそうで。変わり者のご一家で、元々東京で暮らしていたのをのんびりとした田舎暮らしに憧れて、竜彦さんのおじいさんがこーんなド田舎に西洋かぶれの御屋敷建てちゃって。おじいさんが亡くなったあとも、竜彦さんご一家でずっと暮らしていたんですよ」

「その御一家が不審死した、とかは」

「ないですないです。数十年前に、海外の事業で当てるんだーとか言って、御屋敷まるまる残して外国に行っちゃいましてね。交流があったうちに、御屋敷も土地もまるっとくれちゃったんですよ。正確には、私の父になんですが。父もさぞ驚いたでしょうなあ」

「は、はあ……」

「戦時中に赤紙が神楽坂家の方に来なかったのは、なんか政府の高官と親密な関係にあったからだとか、知らせていない重い病気があったとかいろいろ噂はされましたが……まあ、そういうことは私もよく知らんです。生まれる前のことですし」


 なんというか、変人な一家が住んでいた、というだけの御屋敷であったらしい。溝口氏も、神楽坂家についてそこまで詳しく知っている様子ではないようだった。本人が、神楽坂家と深く交流があるわけでもなかったなら仕方ないことではあるだろうが。

 ただ。


「震災やら土砂崩れやら老朽化やら……でもうどうにもならなくなっちゃいまして、先日お屋敷は壊してしまったんですけどね。でもまあ、結構なご趣味の家であったのは間違いないみたいですよ」


 溝口は、笑いながら気になることを言ったのだった。


「あの家、アンティーク代わりにね。中世時代とかの拷問具を、大量に地下室にため込んでらっしゃったみたいですから」

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