第24話・覚醒
その場所はすぐに見つかった。何故なら杏樹がいたのと同じ階であり、さらに相手は断続的に悲鳴を上げ続けていたからである。
その部屋は、ドアに鍵がかかっていなかった。隙間からそっと覗き込んだ杏樹は、その悍ましい拷問の有様に絶句することになるのである。
「ひ、ひいいい、ひいいいい」
啜り泣くように、台の上で女性が声を上げている。紺色の制服に派手な茶髪の、恐らく女子高校生と思しき少女だ。彼女は両手両足を縄で括られ、台座に固定されているのだが――その姿が、あまりにも奇妙だった。
異様に手足が長いのである。ぶらん、と垂れ下がった両手首。やや捻れたようになっている肘。肩も、不自然なほどまっすぐに頭上に伸びている。
それは彼女の足も同じだった。すらりと足が長くて綺麗、なんて次元ではない。足の長さが、腕同様胴体とあまりにも見合っていないのだ。そして不自然だった。膝部分がぐにゃぐにゃと歪んだようになっているし、足首もふにゃふにゃと垂れ下がってしまっている。
それに加えて、あの細長い台の端に見える歯車と縄を巻き取るクランク。どのような拷問が行われたのか、想像するには十分だった。名前は忘れてしまったが、確か歴史上そんな恐ろしい拷問があったはずだ。人の両手足を強引に引き伸ばして、あらゆる関節を外してしまうという。
「やべて、もう、おねがい、ゆるして、たすけて……」
少女は泣きながら、傍らに立つ黒い影に懇願している。影の手元には、湯気の立つ黒光りする瓶のようなものが抱えられていた。中に何か熱々の液体が入っていると見える。否、それは単なる液体ではなさそうだった。何故なら彼女の頬には、何か銀色の物体がべったりと張り付いているのだから。
まさか、彼女の顔に、熱々に熱した金属でも垂れこぼしたというのか?
――そういえばこの拷問って、ただ関節を引き伸ばすだけじゃ終わらないって……!
黒い影は、さらに瓶を彼女の顔に傾ける。身動きするだけで全身の関節に痛みが走るのであろう少女は、それでも泣きながら身をよじろうとした。が、そもそも彼女は両手両足を拘束されている上、すでに両手両足の関節を外されている身である。首を傾けることが精々だろう。
そして、容赦なくどろりとした液体は彼女の耳に流し込まれた。じゅううう、と白い煙と痛ましい音が。
「あぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!?」
まだ悲鳴を上げる元気があるのか、と人は思うかもしれない。しかし忘れるなかれ、人の悲鳴やうめき声とは、痛みや恐怖や苦しみをどうにかして逃そうとして必死で溢れ出してしまうものなのだ。暴れれば暴れるほど関節が痛むとわかっていても、彼女はびくびくと体を痙攣させざるをえない。一体、どれほどの苦痛が襲っているのか、想像するだけで恐ろしかった。
――た、た、助けなきゃ。
杏樹は、夢の中に持ち込めた財布を握りしめて思う。
――あ、あ、あのままじゃあの子、死んじゃう。助けなきゃ、で、でも。
本当は、ここで凍りついているのが一番意味がないことだとわかっている。今すぐ助けるための手を打つか、それとも見つかる前に逃げるべきだとわかっていた。が、杏樹の足は床に張り付いたように動かない。がくがくと震えが止まらない。これでは、何のために来たのかわからないというのに!
――ど、どうしよう。どうしようどうしようどうしよう!
黒い影は、瓶を床に置くと、再びクランクの前に立つ。まだ、彼女の体を引き延ばそうと言うらしい。そして、きり、きり、と音を立ててレバーを回し始めた。
「う、ぶぶぶ、いだい、や、やめ、もうむり……っ!」
泡を吹きながら、それでもどうにか限界を訴える少女。既に両手両足の関節が外れている。このまま回せば、次にはどうなるのかなんて想像もつかなかった。手足が千切れるか、あるいは。
「いぎぎぎぎぎぎぎぎぎっ!」
ぼぐんっ!
重く鈍い、凄まじい音がした。うげええ!と彼女があまりの苦痛から嘔吐する。音が聞こえたのは、彼女の下腹部あたり。まさか、骨盤から背骨が外れたのか?あるいは、腰骨のどこかが折れた?いずれにせよ、彼女が白目をむいて痙攣しているあたり、人体として致命的な場所が損壊したのは間違い無いようだった。
ここままでは、本当に死んでしまう。わかっているのに。わかっているのに。
――初日、私は拷問されてる人を助けられなかった。今度も同じ?何も、何もできないの?そのくせ、さっさと見捨てて逃げることもできないなんて、そんなの……!
それじゃあただの、足手纏いじゃないか。
「!」
後退ろうとした足がもつれて、思い切り尻もちをついてしまった。ドスン!と大きな音がする。瞬間、黒い影がこちらを見たのがわかった。ギラギラとした真っ赤な目が、こちらを愉快そうに?あるいは不快そうに見ているのがわかる。
――ま、また、このパターン!私、ほんと、馬鹿っ……!
立ち上がらなければ。逃げなければ。わかっているのに、完全に腰が引けてしまっている。廊下を這うようにして逃げようとする刹那、無情にもがちゃり、とドアが開く音がした。
ぬっと、黒い影が廊下に歩みだしてくる。それを、杏樹は尻もちをついて見ていることしかできなかった。
「こ、来ないで、来ないでっ……!」
尻もちをついたまま、後ろに後ずさるだけで精一杯。恐怖で足腰が立たなくなるって本当にあるんだ、と実感した瞬間だった。出来れば生涯、知りたくなどなかったけれど。
じり、じり、と黒い影が躙り寄ってくる。その手がこちらに伸びてくるのがわかった。あれに掴まれたらきっともう逃げられない。自分もさっきの女性のように台に括り付けて、全身の関節を外されるのか?それとも、排泄物まみれの水に沈められるのか?あるいは壁に押し潰されて殺されるのか?
――嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!どれも絶対に嫌!だ、誰かっ!!
「こっちだ、クソ野郎っ!」
刹那、その声が闇を切り裂いた。じゃらん!という音とともに、黒い影の背中に何かが投げつけられる。杏樹に手を伸ばそうとしていた影の動きが止まり、ゆっくりと己の背後を振り返った。
「え」
そして、杏樹は見る。影の向こう側――青ざめた顔で、それでも何かを振りかぶった姿勢で立っているエミシの姿を。見れば、影の足元には月明かりにキラキラと光るコインのようなものが。
「………」
黒い影が、怒った。杏樹にもそれはわかった。そいつはくるりと踵を返すと、そのままエミシの方へと走り出したのである。
「だ、だめ!」
杏樹は思わず叫んだ。
「エミシさん、逃げてええええええええ!」
瞬間。
「起きてっ、杏樹!!」
「!?」
バチイイン!と頬に灼熱。ぎょっとして目を見開いた杏樹が見たのは、泣き出しそうな顔をした朝の顔だった。
「あ、朝……?」
「こんのバカヤロー!寝るなって言ったでしょうが!あんたもエミシさんもよ!」
「!」
そうだ、エミシは。慌てて隣の座席を見れば、彼も苦しそうに見をよじったところだった。まさかまだ眠ったままなのではと焦ったが、幸い彼は脂汗をかきながらもすぐに目を開いてくれた。
思わず杏樹は安堵のため息を吐く。さすがに、この状況でエミシだけ夢の中に置き去りにするのは避けたかったのだ。
「……眠らないように気をつけていたつもりでした」
エミシは頭を振り、サングラスを外して瞼を揉んでいる。
「それなのに、二人同時に夢の中に引きずり込まれた。……流石に偶然とは思えません。一定の人数が経過すると、眠りに引きずり込まれやすくなるのかも。もしくは、我々が獄夢を破ろうとしているのを見て何かが妨害してきているのかもしれません」
「……思った以上に状況は悪いのかしらね」
「真相に近づいているからこそ、とも言えますけどね」
「……あたしも悪かったわ。BGMガンガンにかけてて、まさか二人が寝落ちしてるとは思ってなかったのよ。車停めるまで気づかなかったなんて」
「いえ、起こして下さっただけで十分ですから」
そうだ、車が停まっている。エミシと朝の会話を聞いていてようやくそれに気がついた。杏樹は首を振って眠気を飛ばすと、そろりそろりと窓の外へ視線を向ける。
そしてようやく、そこがどこかの駐車場だと気がついた。砂利の上をロープで区切ってあるだけの簡素な駐車場の奥、“ようこそ溝地村へ”という古ぼけた看板が立っている。
その向こう民宿や、小さな商店らしき建物がちらほらと見え、周辺はぐるりと森に囲まれた実にのどかな風景だった。思っていた風景とだちぶ違う。まるでちょっとした観光地ではないか。
「溝地村って……なんか、思ったより開けた場所、だね?」
「あたしもそれ思ったところ。なーんか、もっと寂れた山村のイメージだったのにね。調べてみると、村って規模じゃないみたいなのよ。温泉宿もあるみたいだし」
「温泉……」
完全に、観光地である。思わずエミシと顔を見合わせてしまった。本当にここが、みぞる村、のモデルとなった場所であっているのだろうか。
「戦前からある、拷問屋敷のモデルとなった洋館があるらしいって聞いていたんですが……」
エミシが窓の外を見て困惑したように言う。少なくとも、目に見える範囲に目立つ大きな建物はない。
「あたしもそう聞いてたんだけど。溝地村の、西洋かぶれの家族が使っていたっていう立派なお屋敷があるって。それが今でも残っているっていう話だったから、てっきり拷問屋敷の話の元ネタだと思ったんだけどね。溝地村、って名前も露骨に似てるし」
「じゃあ、ちょっと離れたところにあるのかな」
「そうかもしれないわ。何にせよ、村の人に聞き込みするしかないってかんじ。場合によっては一泊するつもりで着替えとかも持ってきてくれてるんでしょ?ひとまず、どこかのお宿に話を聞きに行きましょう。あ、ここの名物の“しろひげ団子”がめっちゃくちゃ美味しいわよ。あと溝地温泉が最高なんですって」
「観光に来たんじゃないんですがそれは」
いや、わかっている。朝も朝で、自分達の気を紛らわせようとしてくれているのだろうもいうことくらいは。杏樹は苦笑いしつつ、車の外へと降りた。
――そうだ、悩んでる場合じゃない。
夢の中。エミシが、明らかに館の主の怒りを買って追われそうになっていた。自分のせいだ。彼が捕まってしまう前に、一刻も早く謎を解かなければいけない。
――信じよう。この村に、獄夢の謎を解くヒントがあるはずだって。
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