第22話・悪夢

 嘘でしょ、と思った。何で自分が、と。


「い、いや、いや……!」


 久木明日菜ひさきあすなは、か細く悲鳴を上げるしかなかった。木製の台の上、両手両足を縛られた状態で固定されている。この拷問具には見覚えがあった。中世時代とかの拷問具を紹介する動画で見たことがあるのだ。

 確か、エクスター公の娘、とかいうものであったはず。

 罪人の両手両足を縛るロープの先には、巻き上げ機がついているのである。巻き上げ機には歯車のようなものがくっついていて、それでクランクなどを使って被害者の両手と両足のロープをどんどん巻き上げて引っ張っていくのだ。

 すると、被害者の体は無理やり引き伸ばされることになり、激痛に苛まれるのである。そして最終的にどうなるのかといえば――。


――い、いやいやいやいや!なんでアタシが!


 拷問屋敷と獄夢。最近ネットで話題のそれらの話を、明日菜は同じ高校の友人から聞いていた。ユーチューバーみたいな人気者は大嫌いなので、エミシとかいう人がアップした動画は直接見ていない。が、もう掲示板でもツイッターでも話題になっているので、嫌でもその話は目に入ってくるのである。

 拷問屋敷とかいう、拷問狂の男が自分の好奇心を満たすために作った屋敷があったこと。

 その男は死んだ後も亡霊になって、拷問する相手を探して彷徨っていること。

 そして、自分のことを知った人間を、恐ろしい夢に引きずり込んで殺すこと。その夢の中で男に捕まって拷問死すると、現実でも同じ姿で死んでしまうこと――。


『あはははは、そんなことあるわけないじゃーん!ていうか、規模デカすぎ!』

『でも、既に何人も死んでるって言うんだよ、あっちゃん。怖すぎない?』

『こわないこわない!人を夢に引きずり込んで殺すって手間かかりすぎい。だったらさっさと適当な誰かに憑りついて一人ずつ殺していけばいいジャン?』

『うう、それはそうかもしれないけど……』


 まったく、マリナは怖がりがすぎる。そう笑ったのは、つい今朝のことだったというのに。

 いつもの通り、退屈な授業が面倒くさくなって教室でうたた寝をした。そうしたら、こんなカビくさい洋館の中に一人で立っていたというわけだ。まさか自分が獄夢に取り込まれたなんて思ってもみなかった。それどこか、ついさっきまで獄夢の話なんか忘れていたほどである。

 おかしな夢だなあ、とぼんやりと屋敷の中を歩いていたら、真っ黒な男が現れて捕まってしまって――今に至る。

 己が拘束されて初めて、獄夢の話を思い出したのだった。なまじ、拷問具などの動画見ることがあったせいで(ユーチューバーは嫌いだが、オモシロ動画系は好きなのだ。特に残酷なものなんかは見ていて面白い)自分がこれから何をされるかわかってしまった。

 なんせ、様々な拷問具の中でも特に“絶対自分がかけられたくない”と思ったものをセレクトされてしまったのだから。


「や、やめて……アタシ、何も悪いことしてないでしょ……!?」


 身をよじって逃げようとするも、腕のロープも足のロープもまったくほどける様子がない。がっしりと巻きついて固定されてしまう。この状態でも結構しんどいのに、このままロープを巻き上げられたら何が起こるというのか。


「ていうか、何でアタシなの!他にもっと悪いことした人とかいっぱいいるじゃん!アタシみたいな普通の女子高校生じゃなくてさあ、もっと別の、悪い政治家とか悪い有名人とか芸能人とか犯罪者とか、とにかくなんでもいいからそういう奴らをっ……」


 自分でも段々何を言っているかわからなくなっていた。ただ、この恐ろしい拷問から逃げ出したくて必死だったのである。誰でもいい、自分と代わってほしい。このか弱い女子高校生を誰か助けて欲しいと切実に願った。ああ、前に付き合った彼氏やその前に付き合った彼氏、その前の前の彼氏なら自分がちょっとおねだりするだけで何でも叶えてくれたのに。こいつらには、こんないじらしい命乞いさえ届かないというのか?


「お願い、許してえぇ……!」


 可愛らしく泣いて見せたものの、既に黒い人影は明日菜の視界にはない。やがて、無情にも頭上と足元から、きしり、とクランクが軋む音が聞こえてきた。


――ああ、本当にこれから拷問されるんだ。


 この時。明日菜にはまだ、ささやかな希望が残っていた。これが夢だという自覚があったからだ。夢の中の出来事がそんなに苦しいはずがない。まだ、これが獄夢だと確定したわけでもない。夢の中なら痛みを感じないことも少なくないし、目が覚めたら全部なくなっているはずだからそんなに怖がらなくても良いのではないか、と。

 しかし。


「ひぐっ……!?」


 ぎしぎしぎしぎし、と。ロープが少し引っ張られた時点で、全身の関節に激痛が走った。人間の手足は、どう頑張ってもさほど伸びるようにはできていない。背骨は多少伸びるというが、どうしても骨や筋の長さには限界があるからだ。それでも無理に伸ばそうとすれば、当然痛みが走るに決まっている。


「いぎいいい!い、痛い、痛いいいいいいい!」


 エクセター公の娘は、罪人の両手両足を強引に引き伸ばして完全に身動きが取れなくしてしまう効果を持つ。だが、当然それだけではない。関節も筋も伸びきった状態で、それでもさらにクランクを回してロープを巻きとり続ければどうなるか。

 骨はそう簡単に折れない。先に、関節がやられることになる。そう、まずは腕の関節が悲鳴を上げるのだ。

 ぎしぎしぎし、と明日菜の体の中から嫌な音が響く。段々、痛い、と口にすることさえままならくなり、呻き声ばかりが喉から洩れるようになってきた。次の瞬間。




 ぼくん。




 左腕、右腕の双方から嫌な音が。




「あ、ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 足をバタつかさえて絶叫した。そして、その振動でますます痛みが走ってさらに泣き叫んだ。両肘の関節が外されたのだ。小さな頃、転んで腕を脱臼した時の痛みを思い出していた。今は多分、あの時の何倍も痛いはずだ。だって成人相当の体格になってから、腕を引っ張って無理やり関節を外されたのだから。

 次に、既に外れかかっていた肩の関節が行かれた。ぼくん、ごきん、と鈍い音と共に両肩が不自然なほどまっすぐになる。


「うぐうううううううっ!」


 ぶくぶくと泡を吹くと同時に、じわろ、と股間が湿った。真の苦痛に苛まれると、膀胱の我慢をする余裕がまったくなくなるのだと知る。びしゃびしゃと漏れ出す感覚があったが、それを恥ずかしいと思うことさえできあんかった。何故なら容赦なく、クランクは回され続けているからである。

 危機は、足ににも迫っていた。ごきん、と砕けるような音ともに足首が。

 がくん、と鈍い感覚とともに膝が。

 そして終いには、基本的に外れることなどないとされる股関節が――下腹部全体を震わせるほどの衝撃で、ばきり、と外されていった。


「ぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」


 痛みに反射的に暴れそうになり、それでも身動きできずに体を震わせることしかできず、その震えが容赦なく全身にさらなる痛みを上書きして泣き叫ぶ。

 もはや己の体がどうなってしまっているのか、考えるだけで恐ろしかった。しかも、動画の通りならこれで終わりではない。このおぞましい苦痛を浴びた状態で、さらに別の拷問を受けることになるのだ。


「だ、だずげで……っ」


 このままでは本当に死んでしまう。否、死ななかったとしても一生まともに歩けない体になってしまうだろう。夢から醒めたら、この苦しみは全部無かったことになるのか?本当に?だったら夢の中のはずなのに、何でこんなに痛くて苦しいのだろう。

 がくがくと泡を吹いて苦しむ明日菜の前に、クランクを固定させたらしい黒い影が戻ってくる。そして明日菜を見下ろすと、その眼前に何か瓶のようなものを見せつけた。

 黒光りする瓶に、何が入っているのかはわからない。ただ、月明かりの中でもわかるほど湯気が立っているあたり、ろくなものではないことは確かである。


――何で、アタシ、こんな目に遭わないといけないの。


 まだまだ地獄は、終わらないというのか。


――誰か、早く、アタシを起こし……。


 その明日菜の目に。

 ぼたり、と熱く煮えたぎる何かが落とされたのだった。




 ***





「うぎゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」

「!!」


 凄まじい絶叫。はっとして杏樹は顔を上げ――己の目の前に、パソコンがあることに気づいて青ざめた。

 ホテルのような部屋。

 防犯カメラの映像らしきものを映したパソコン。

 その液晶画面に映っているのはぴったりと閉じた二枚の壁と、そこから染みだす真っ赤な体液。


――そ、そんな……!?


 慌てて周囲を見回し、杏樹は理解してしまった。また、獄夢の中にいる。まさか、車の中で眠ってしまったのか?あれだけ、うたた寝しないようにとエミシ達と気を付けていたというのに。ずっと話をつづけたり、飴やガムを使って耐え忍んでいたはず。たった二時間程度、眠らないで過ごすくらいわけがないことであったはずなのに。


――な、なんで……?どうして私、眠って……!?


 いや。もうそんなことを考えている場合ではない。獄夢の中に入ってしまったのなら、とにかく黒い影から逃げ続けることと、屋敷から脱出することを考えなければ。

 先ほど、物凄い絶叫が聞こえた。ひょっとしたら、まだ他にも生存者がいるのかもしれない。エミシと合流することも大切だが、他にも誰かがいるならば助けなければ。人は多い方がきっと良いに決まっているのだから。


――い、今の声。多分この階から、だよね?どこだ……!?


 杏樹は部屋を確認し、そろそろと廊下へ近づいた。そして、誰もいなさそうであることを確かめると、そのまま飛び出したのである。

 悲鳴が聞こえた先にいるであろう人物と、合流するために。

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