第17話・懇願

 また、夢の続きを見る。ベッドの下、杏樹はがくがくと震えながら息を殺していた。

 どうやら本当に、危機的状況で夢を終えるとそのまま翌晩に引き継がれてしまうということで確定らしい。

 相変わらずドアノブが回される音が、がちゃ、がちゃ、と響いている。


――お願い、ドアを壊さないで。入ってこないで……!


 ベッドの下では、僅かに身じろぎするだけで精一杯だった。果たして、夢の中に持ち物を持ちこむというのは成功したのだろうか。杏樹はそれとなく自分のポケットを探って、何か柔らかいものが入っていることに気が付いた。


「!」


 ひょっとして、それは最初から杏樹が夢の中で持っていたのかもしれない。日用品の代表である、ハンカチとティッシュだ。

 それから、反対側のポケットには。


――あった、お財布……!


 一日小銭入れを持って動いたのが功を奏したのかもしれなかった。小さな袋の中に、確かに小銭の感触を感じる。最悪、こいつの中身を相手にぶつけて怯ませて、その隙に逃げようと決めた。幽霊に効くかどうかはわからないが、やらないよりはマシである。

 いろいろ調べたが、お金を投げるというのは神社の御賽銭箱などを想起させ、“相手に敬意を払う”ことを意味するらしい。神様への供物として、昔から金品が代表的であるのは言うまでもない。その上で、お金にまったく気を取られない人間はそう多くはないだろう。人間の生活の、根幹を成すもののひとつであるからだ。

 加えて今回の拷問屋敷の主はかなりの成金であったというし、お金に相応の執着があってもおかしくない。ダメージは与えられなくても、気を引くくらいの効果はあるかもしれなかった。というか、あると信じたい。


――さ、最近はゲームでも銭投げとかいう技もあったりするし。お金を投げる=攻撃の意識もみんなに浸透してるんじゃないかなって思ったりするし、だからその、攻撃が効くって信じたい……!


 完全に現実逃避気味にぐるぐると思いながら、時を待っていた。この状況を切り抜けられなければ、下の階にいるであろうエミシと合流することも叶わない。

 やっと、少しだが光明が見えてきたのだ。このまま何もわからず、何もできずに終わるなんて絶対に嫌だった。


――……し、静かに、なった?


 いつの間にか、ノブを回す音が聞こえなくなっている。ドアを壊されたような気配はなく、足音もない。息を殺してじっとこちらを伺っている可能性もあるためしばしじっとしていた杏樹だったが、やはり待てど暮らせどビックリ展開が訪れる気配はなかった。

 いなくなった、のかもしれない。財布をぎゅっと握りしめた状態で、そろそろとベッドの下で動く。まずはちらっと、部屋の中を覗いてみることにする。右、左、下。――誰かがこちらを覗きこんでいる、とか。そう言う様子はない。


――ひとまず今回は、諦めてくれたのかな。


 ゆっくりと、ベッドの中から這い出した。部屋の中に誰かが隠れている様子はない。恐る恐るもう一つのベッドも覗いたが同様だった。

 ドアも、鍵がかかったまま壊れているなんてことはなさそうだ。どうにか逃げ切ることができたのか。ドアの下から廊下を見るも、何かがドアの前に立っているなんてこともなさそうである。杏樹はやっと、ほっと息を吐いたのだった。


「よ、良かった……」


 少し落ち着けば、部屋の中を見回す余裕もある。我ながらこんな部屋に逃げ込んでよく助かったものだと思った。部屋には二つのベッドと、その間の鏡台しかない。隣の部屋に続くドアなんてものもなさそうだし、窓もない。クローゼットもなければ、テーブルや本棚みたいなものも一切ない。

 寝室というより、ちょっとした仮眠室のように見えるくらい殺風景な空間だった。むしろ女物の鏡台が真ん中で浮いているほどである。

 何か中に入っているだろうか、と思って引出しをそろそろと開けてみたが、見事に鏡台の中は全てからっぽだった。


――これ、何の意味があるんだろ。


 古びたアンティークのような鏡台なのに、化粧品の一つも入っていない。何のためにあるの?と思わず首を傾げてしまった。いや、この部屋自体があまりにも機能的ではないのだが。


――な、謎だ。


 が、深く考えている余裕はない。エミシのアドバイスにもあった通り、一箇所にとどまるのは恐らく危険だと考えられるからだ。少し息も整ったし、気分も落ち着いた。あの黒い影がどこかに行っているうちに、別の場所に移動した方が良いだろう。

 四階からなるべく動かないでとは言われたので、四階の別の部屋に行くのが良いか。確かに、調べられる場所は他にもありそうではある。


――よし。


 一つ深呼吸をすると、杏樹はそっと鍵を開けた。廊下の外に人の気配はない。あの黒い影のみならず、生存者が歩いているということもないようだった。

 そもそも、この夢に取り込まれている人はたくさんいるはずである。本来ならば、エミシ以外でもまだ捕まってない人がたくさんいて然るべきなのだが――まだ、そう言う人達の姿を見かけないのはどういうわけなのだろう。屋敷が広すぎてエンカウントしないだけなのか、あるいは他の人は長いこと逃げることができずにすぐ捕まってしまうだけなのか。

 まあ、そんなことを考えていても仕方ないだろう。音を立てないよう、ゆっくりとドアを開ける。向こう側を覗いて安全確認したところで廊下へ出た。黒い人影はないし、他に何か人間や怪物がいるなんてこともない。月明かりが青白く照らす廊下に、杏樹はそっと足を踏み出した。


――あれ。そういえばさっきの部屋、窓もなんもなかったのに何で普通に室内の様子がはっきり見えたんだろう。電気、ついてたっけ?


 廊下に出たところでもう一度室内を振りかえった。やはり、電気はついていない。窓がないので月明かりも差し込まない。それなのに、部屋の様子ははっきり見える。そう、言うなれば“暗い部屋を描いた絵”でも見ているような、奇妙な感覚で。


――なんか、この空間って全体的に意味不明だ。どこまでツッコミを入れるべきなんだろう。


 ただ、こんな小さな違和感の積み重ねが、何かのヒントになっている可能性はある。忘れないように、と心のメモに書きとめておくことにした。夢から醒めた時に、ちゃんと覚えていることを祈りたいものである。

 この部屋のすぐ右隣は階段になっている。自分はそこから上へと上がってきたはずだ。最悪、そこから下の階へもう一度逃げようと決める。左にはさらに長く廊下が伸びていた。さっき自分が入った寝室と同じような茶色のドアがいくつも並んでいる。鍵が開いている部屋は他にもあるのだろうか。問題は、さっきの黒い人影がどこに行ったのかがわからないということ。まだ四階にいて、これらの部屋のどこかに潜んでいる可能性もゼロではないことに留意すべきだろう。

 それに、前の晩に杏樹とエミシはほぼ同じタイミングで追いかけられている。館の主は二人以上いる、もしくは分身できるような能力があると思っておいた方が良い。近くにいなくても油断は禁物だ。


――うーん。


 クトゥルフ神話TRPGでもやっている気分である。目星して、聞き耳。探索のお約束が、リアルのサバイバルでも重要なのだと思い知る。ドアを調べて、物音が聞こえないか確認し、下から覗いて、ドアが開くかた確かめる。その繰り返しである。

 だが、一つ、二つとドアを調べても、人の気配もなければドアが開く様子もないのだった。まず鍵がかかっている。ひょっとしたら鍵がかかっているのではなくて、ゲームでお約束の“そもそも開かないように設定されている”ドアなのかもしれないが。


――どうしよう。またあいつが来るかもしれないのに、他にも逃げ込める部屋がないとなると……。


 最初の部屋が開いていたのは完全に幸運だったということなのか。そう思って五つ目のドアを調べていた時だった。


「!」


 がちゃり、と唐突にドアノブが回った。この部屋は開いている!杏樹は用心しながらも、ゆっくりと中を覗きこんでみる。そして、目を見開くことになるのだった。

 その部屋はさっき見た寝室とはまるで別物だった。言うなれば、よく観光で行くようなホテルの部屋によく似ているのだ。妙に近代的だと言えばいいのか。さっきのような、殺風景な寝室とは違う。綺麗な白いシーツが敷かれたベッド、小さなピンクの造花が飾られた丸テーブル、月明かりが照らす大きな窓の向こうにはベランダがある。

 だが、最も強烈な違和感を放つものはベッド脇の四角いテーブルの上にあった。なんと、そこにはパソコンが置かれていたのである。


――え、え?戦後のお屋敷って設定じゃないの?何でパソコン?


 ノートパソコンの液晶は、キラキラと星が散るような映像が繰り返し流れていた。杏樹が近づいてマウスに触ると、それがぱっと通常画面に切り替わる。

 おかしい。そのメーカーは有名なパソコンメーカーのニジツウのものだ。ニジツウは確かに古い会社だが、それでも戦後すぐからパソコンを作っていたようなところではなかったはずである。

 もっと言えば、デスクトップ画面のデザインがどう見てもWindow10なのだ。現在Window11がリリースされているご時世だが、まだ10を使っているユーザーは多い(下手したらサービスが終わってる7を使ってるユーザーもいるだろうが)。

 要するに。“戦後すぐの屋敷”なんてものの世界に、絶対あるはずがないものなのである。もはや世界観が滅茶苦茶だ。


――な、な、なんで?


 同時に、そのパソコンの画面には、どこかの部屋のカメラ映像と思しきものが映し出されているのだ。この屋敷のどこを見ても、防犯カメラなんてものはなかったはず――あるはずがないというのに。

 しかも、そこの映像の中身は。


「こ、これ……」


 それは、真っ白な部屋だった。屈強な体格の男の人が白い部屋で、喚きながら叫んでいるのである。音声はオフになっているようで聞こえない。しかし、左右からじわじわと壁が迫ってくるのを焦っている様子に、杏樹は自分が見た掲示板の内容を思い出していたのだった。




128:こっくりさん、今日も召喚中@ホラー大好き>>123さん

今朝、エミシの動画を見たんだ通勤の途中に

それで仕事中の休み時間についうたた寝したら、変な屋敷の中みたいなかんじで

黒い人影に襲われて、抵抗したけど捕まって、よくわかんない白い部屋に入れられた


そしたら壁が迫ってきて潰されそうになったところで目が覚めた



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