第11話・考察

 獄夢について、エミシとの情報の摺合せでもわかったことは多い。考察段階のものも勿論含まれてはいるが。

 まず、夢の中の服装は自分が普段一番着ている服や、印象に残っている服であることが多いのではないかということ。エミシによると、捕まっていた女性の服は見たところ“ちょっとご近所を散歩しようかと思っていた時に着る程度の服”であるように見えたという。それに関しては杏樹も同意見だ。捕まっていた女性はミニスカートだったいうことくらいしか覚えていないが、取り立てて派手でもなければ地味でもなかったはず。少しお洒落な町に出かける程度の服だった。

 エミシも、配信でよく着ていたお洒落Tシャツにサングラスだったという。もちろん、彼は寝ている時はパジャマだし、サングラスは外している。


――服なんて、全然気にしてなかった。やっぱ、オカルトに詳しい人は慣れてんだなあ……。


 妙なところで感心しつつ、それで、と杏樹は続ける。


「とすると、ハサミを持って強くそれをイメージしながら眠れば、夢の中に持ちこめたりはするかも?」

『そうかもしれませんが、できれば“普段からよく身に付けていて役に立ちそうなもの”で試してみた方が確率が高そうです。一番個人的に使えると思っているのは小銭入れですね。ほら、ゲームで銭投げとかっていうでしょ?小銭って投擲武器として結構優秀なもので』

「そ、そっか。お財布なら普段から当たり前に持ってるものだから……」


 次の晩では、双方役に立つものを持ちこめないかどうか確かめてみようということになった。同時に、お互いどうにか合流できないかどうかも。あの黒い影からまた逃げることになるとしても、二人で逃げるのと一人で逃げるのとではだいぶ心細さが違うというものである。

 それから、エミシと連絡を取り合って非常に助かったことは、彼が既に捕まった原安江ともコンタクトを取り合い、彼女からの情報提供も受けていたということだろう。


『原さんは、最初の晩は普通に黒い影に見つかって走って逃げたんだそうです。しかし、次の晩は体力にも自信がなくて逃げ切れるかどうか心配だったため、近くの部屋に籠城することにしたのだと。隠れることによって、夢から醒めるまでの時間を稼ぐのが最も効果的だと思ったのだそうです。ちなみに、隠れたところで最初の夜が終わりました』


 それは、杏樹も考えていたことだ。というか今夜夢を見たら、もし黒い影が部屋の前からいなくなっても、ずっとあの部屋のベッドの下に隠れているのが一番良いのかと思ったらしい。

 ところが、これは悪手かもしれないとエミシは言うのだ。


『彼女は、物置みたいな部屋の空の段ボールの中で息を潜めていたのだそうです。そのまま、ここで隠れていればいいと。……しかし、その結果部屋のドアに鍵をかけてバリケードまで作ったにもかかわらず、黒い男に見つかって捕まってしまったと。男は、天井のダクトから現れたのだそうです』

「えええ!?ちょ、そこも考慮しないといけないんですか!?」

『はい。しかも本人は悲鳴も物音も立てていないのに男が出現した。……恐らく、なんらかの方法で、男には被害者が隠れている場所がおおよそ分かるのではないかと。もしそうなら、一箇所に長時間留まるのは非常に危険です。彼女はそれに加えて、逃げようと段ボールから飛び出してもすぐに動けませんでした。体が狭いところに長時間とどまっていたせいでガチガチに固まってしまっていたことと、自分で作ったバリケードと鍵が妨げとなったからです』


 なるほど、と杏樹は渋い気持ちになる。

 体が同じ姿勢で固まった、ということは。前の晩からの体力や怪我、疲労などの状況を夢の中でも引き継ぐ可能性が高いということだ。

 それでいて、一箇所にとどまることは危険。――良く考えたら、一箇所にずっとかくれんぼすることができるなら、そう簡単にあの広い屋敷で人が捕まることはなかったのではないか。なるほど、そうならないようなルールが働いているということらしい。


『あとは、生理現象、ですかね。少々汚い話になってしまうのですが』


 思い出したのだろう、やや顔を歪めてエミシは言う。


『屋敷の中で、我々がどれほどの時間を過ごしたのかははっきりしていません。ただ、今のところ私は夢の中で生理現象を催したことはありません。空腹感なども然りです。アールさんはどうですか?』

「そ、それは私もです。特にトイレ行きたいとか、お腹すいたとか、水飲みたいとかは全然……」

『原さんも同じだったそうです。ところが、あの影に見つかって捕まった途端、それらを感じるようになりました。水の中で体が冷えてお腹が痛くなり、強い排泄欲求を感じて我慢しきれずに漏らしてしまった、と。ただし、朝その状態で目覚めたら、特に布団が汚れているということはなかったそうです』

「ということは……」


 杏樹は、被害者と思しき女性の遺体を思い出す。彼女は、自分が見たまま関節と腰をねじられて殺されていたが。


「……生きているうちは、夢の中のステータスを現実に持ち込むことはない。死ぬと、夢の中とまったく同じ状態で発見される可能性が高い、と」

『その通りです』


 こくり、と頷くエミシ。


『それから、アールさんお祓いの人に依頼なんてものはしましたか?お盆が近いこともあって、お寺も神社も結構依頼が多くて予約が取れない状況が続いているそうなんですが…運よく原さんは、とある神社で見て貰うことができたのだそうです。その結果、神社の人には困惑しながら言われたそうですよ。“貴方には、悪霊も邪神も妖怪も憑いていません。ただ、生きた人間の悪意に纏わりつかれているようには見えます。これは私達にはどうしようもありません”と』


 え、と杏樹は眼を見開く。

 お祓いしてもらえる。それが、杏樹にとっては数少ない希望の一つであったのだ。しかし、まさかそれができない、と。しかも予想外の方向でだ。


「え、え?獄夢って、拷問屋敷を作った大量殺人犯が……もっと拷問して人を殺して回りたいっていう未練から作って、自分のことを知った人達を招いているんじゃないんですか?」


 まだ、憑いている悪霊の正体がわからない、とか。もしくはその邪神の力が強すぎて、人間の自分にはどうしようもないとか言われるというのならわかったのだ。

 しかし、悪霊に呪われてこんなことになっているとばかり思っていたら、悪霊が憑いていない?そりゃ困惑するなという方が無理があるだろう。


『私もそう思っていました。……あ、ちなみに私のところに届いた動画化リクエスト、私の投稿動画から確認できます。このURLの動画と……あとこのURLと、URLのあたりかな。コメント欄を確認してみてください』


 ぽちぽちぽち、と彼が何かを打ち込むように手を動かす。すると、チャット欄にメッセージが流れてきた。どうやら、拷問屋敷についてリクエストを送ってきたコメントがくっついている動画を教えてくれたらしい。

 どうやら、彼もリクエスト者が一枚噛んでいるのでは?という疑問を抱いてはいるようだ。


『それと、私が今回動画化するにあたり、拷問屋敷について調べた参考資料も併せて送らせていただきますね。……拷問屋敷が実在するのかどうか、少々怪しくなってきました。しかし、もし実在しないのなら、我々を夢に閉じ込めているモノとその目的が何なのかわからないということになってしまいます。その正体を確かめないことには、この夢を打破することは極めて難しいでしょう』

「そう、ですよね……」

『生きた人間が術をかけているというのなら、それは幽霊よりも明確な目的があるはずです。そして、大抵呪術系においては媒介が存在しますし……呪詛ならば、呪詛返しが有効になってくるかもしれません。そのためには、実際に山梨県のみぞる村という場所を探して足を運んでみるしかないでしょう。ただ、問題がありまして』

「問題?」

『その……私、免許を持っていないんですよ。東京に住んでると、車無くても全然問題なく生活できちゃうのってありません?』

「……あー」


 それはわかる。めちゃくちゃわかる。というか、杏樹が現在住んでいるこのマンションも埼玉南部に位置している。こういうところに住む場合、とにかく大切なのは“駅から徒歩何分か”だ。首都圏の人間ほど、車よりもバスよりも圧倒的に電車派という人間は少なくない。なんせ、数分刻みで極めて時間に正確な乗り物に乗れるのである。便利なものほど駅チカに集中しているし、車に乗る必要性を感じないのだ。

 というか、駅の周辺はごっちゃりしていて、慣れていない人間が車で走るのは危なそう、というのもあったりする。そういうわけで、杏樹も免許は持っているものの完全にペーパードライバーだった。当然事故など起こすはずもないので綺麗に金ぴかのままであるが、ぶっちゃけ現在車そのものを持っていなかったりする。完全に、ただの身分証明書と化しているのだった(写真がついている身分証明書として、運転免許所は本当に便利なのだ)。


「……そういう村、絶対車でしか行けないところにありますもんね」


 なるほど、エミシがそういう山奥への取材を控えているのは、そもそも個人での移動手段がないからということらしい。過去には呪われた農村への取材!とかもアップしていたが、あの時は友人のユーチューバーとの合同企画であったはずだ。


「あの、エミシさんオカルト雑誌の取材とか受けるつもりあります?実は友人の雑誌記者が、現在この件を調べてて。協力してもらってはいるんですが……」

『その雑誌がどこの雑誌であるかによりますが……なるほど、オカルト雑誌の記者さんだったら、我々とは違う情報を持っていたりするかもしれませんね』

「はい。その人は免許持ってるし、仕事で車を使うので……取材って名目で乗せてくれるんじゃないかなあって」


 あたしはアッシー君じゃないのよ!とむくれる朝の顔が目に浮かぶようだ。まあ、今回は我慢して貰うことにしよう。彼女だって、そのうちみぞる村の取材はしたいと考えていたはずなのだから。

 雑誌の名前を伝えると、そこそこ大手出版社だったこともあってエミシの顔色が変わった。俗なことを言うなら、彼にとってもチャンスではあるのだろう。オカルトユーチューバーとして、取材に協力することでさらに良い宣伝になる可能性があるからだ。無論、下品な雑誌だった場合は逆にイメージを悪化させるだけであっただろうが、杏樹が知る限りでは朝のところの雑誌は比較的健全なタイプであったはずである(少なくとも、子供が買って咎められるような過度なエログロを載せるような雑誌ではなかったはずだ)。


『わかりました、アールさんを信じます。その方と一緒に、みぞる村を探してみましょう。お願いしてもらえますか?』

「はい」

『そのためには、まず大体の場所のアタリをつけなければいけません。みぞる村に関する情報を可能な限り集めましょう。それから、拷問屋敷に関する話の出所についてももう少し詳しく調べる必要があります。ツイッター、フェイスブック、インスタ、大型掲示板、とにかくなんでもいい。似た話が過去になかったか、最初に発生したのがどこだったか。情報収集を徹底しましょう』


 そして、と彼は続ける。


『巻き込んでしまってすみません。共に、生き残りましょう。まずは合流を目指しつつあの黒い影から逃げ続けるんです。なるべく私が最上階に向かうようにしますので、現在の階から大きく動かないようにしてください』


 わかりました、と杏樹は頷く。

 不安なことはたくさんあるが、それでも確かに進展はしている。それだけで、杏樹には充分心強いことだった。

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