第10話・分析

 世の中便利になったものだ。なんて、こんなことを言ったらババくさい気がしないでもないが。

 今はテレビ通話ができるソフトウェアがいくらでもある。直接会わなくても、エミシ本人と話すことは充分可能なのだった。

 メールだけではなんだから、オンライン通話をしないか。そう言われて了承し、杏樹は慌てて寝癖のやばい髪と服装、それからパソコンのある部屋の簡単な片付けをすることになる。映る範囲だけでもいいから、少しはマシに見えるようにしておかなければならない。

 ちなみに、オンライン会議をする場合上半身しか見えないと思って、ズボンやスカートに手を抜く人は少なくないという。が、個人的にはおすすめできない。人間、自分の服の状態を忘れてうっかり立ち上がってしまうことなどあるあるだからだ。その瞬間、部屋でしか着ないような超柄物やアニメキャラがついたパンツ、スカートがうっかり見えたなんてことになったら社会的に終了しかねない。大抵、会議をするような相手は会社の上司や面接の相手だったりするから尚更に。


「す、すみません時間かかっちゃって」

『いえいえ、大丈夫ですよ。気にしないでください』


 慌てて席に着席する杏樹に、画面の向こうでエミシはにこやかに笑った。多分四十代くらいの彼は、しかしユーチューバーとして何度も顔出しをしているくらいなので結構お洒落な印象である。そんじょそこらの中年男性と比べるとよほど身綺麗な印象だ。金髪に染めた髪と眼鏡も、ヤンキーチックというよりちょっとダンディなおじさまっぽい空気を上げている。

 こういう、お洒落で優しそうなおじさん、なところも女性人気が高い理由なのだろう。


――でも、なんかすごいな。


 笑顔のエミシを見て、ちょっとだけ感心してしまった。


――私と同じような夢を見たはずなのに、笑ってられるなんて。肝が据わってるというか、なんというか。


 今まで何度も怖い目には遭ってきているのかもしれない、と思う。それで怪異に耐性があるのかもしれない。

 もしそうなら、今回の件も解決する手立てを知っていたりするのだろうか。まだ情報収集の段階で、いかんともしがたいかもしれないが。


『事は緊急を要します。早速本題に入りましょう』


 杏樹がお茶のペットボトルをパソコン横に置くと同時に、エミシが話しかけてきた。


『まず、情報の共有が大事です。最初の夢を見たタイミングと夢の内容、事細かに教えてください。私の方もお伝えしますから』

「は、はい……」


 夢の中では、特にメモを取ったりといったことはできない。というか、余裕がなかったのでとても試すことができなかったと言えば良いか。それでも夢の中で見た恐ろしい光景は、嫌でも脳裏に焼き付いて離れない状態だった。あの時の恐怖を思い出しつつ、一つ一つ情報を語っていく杏樹。最初の日は廊下で目覚めたこと。適当な部屋を覗いたら、女性が拷問されているのが見えたこと。そのあと、黒い人影に追いかけられたこと。拷問されていた女性が死体で発見されたこと。

 そして、二日目の夢の中ではどうにか黒い人影から逃げ切るべく、上の階の寝室のような部屋に入って鍵をかけ、ベッドの下に潜り込んで隠れたこと――など。


『……なるほど、わかりました』


 杏樹の話を、エミシは真剣にメモを取りながら聞いてくれた。


『では、次に私からお話をしようと思います。私も昨夜、御屋敷の夢を見ました。ただし、状況から察するに私は地下室からスタートだったようですね』


 そして、エミシからも話を聞いた。地下らしき場所で目覚めたこと。水槽のような部屋に入れられている女性を目にしたこと。彼女は何時間も水につけられっぱなしだったらしいこと。そして、彼女を助ける方法を探そうとしたところで黒い人影に遭遇し、どうにか逃げ切ったところで目が覚めたこと――。

 どうやら彼も彼で大変だったらしい。女性の話を聞いて、杏樹は思わずオエッとなってしまった。確かに、関節をねじ切られて死ぬのは怖すぎるし絶対に嫌だ。しかし、自分の漏らした汚物まみれの水にずっと漬けこまれるのは、ある意味それ以上の拷問であるのかもしれない。

 いずれ低体温症で死ぬ可能性もあるが、あまりにも冷たい水でないのなら、人間は水に入っているだけでは早々死なないのである。というか、黒幕が拷問を長引かせたいのならそのうち水の温度を上げてあたためてくるかもしれない。

 だが、水が取り替えられなければ。そして、本人がトイレに行かせて貰えないのなら。それこそ、掃除されない魚の水槽の末路と同じである。人間はもっといろんなものを食べるからよりタチが悪い。最終的に、死因は不衛生による感染症となるかもしれなかった。

 いや、そもそももし飲み水を飲ませて貰えなかった場合。汚水を飲むように要求されることになるとしたら――ああ、想像するだけで寒気がすごい!


『アールさん、貴女の話を聞いていろいろと考えたことがあります。が、その前にいくつか質問が』


 思わず体を震わせた杏樹に、エミシが尋ねてくる。


『貴方がいたのは地下ではなかったんですよね?でもって、二度目の夢の時自分が何階にいたかはわかりますか?』

「えっと……地下ではなかったのは確かです、窓の外から月明かりが差し込んできてたから。でも、何階かまでは……」

『では、階段を登ったそうですが……上った時さらに上の階へ続く階段はありましたか?それとも、ありませんでしたか?』

「!」


 確かに、それは判断材料になりうる。もし上の階がまだあるのなら、上へ続く階段があるはず。無論、仮に上階があっても全ての階段が最上階へつながっているとは限らない。逆に屋上があるケースもあるため、必ずしも何階かを知る確定情報にはなりえないが――。


「……上へ続く階段、なかった気がします」


 あまり余裕がない状態だったが、杏樹は迷わず上の階へさらに進むより廊下へ駆け込む選択をした。上へ行く方法がなかったから、だったはずだ。


『ということは、最上階であった可能性がある、と』


 なるほど、とエミシは顎に手を当てて言う。


『先ほど話したように、私は地下らしき場所で目覚めて、水槽の女性を見、黒い影に遭遇しました。そして一階まで逃げたんですが……私が逃げたのも貴方が逃げたのも同じ晩のこと。とすると、少し妙ではあります』

「妙って?」

『明らかに二人とも別の階にいるのに、ほぼ同時に黒い影に追いかけられていることになりませんか?ってことですよ。とすると、館の主は一人ではないのかもしれません』

「!」


 それは気づかなかった。杏樹ははっとして、次に気分が沈みこむ。一人に追いかけられるだけで恐怖でしかないのに、まさか複数人追手がいるかもしれないなんて最悪すぎる。追っかけっ子の難易度がさらに上がってしまうではないか。


『もう一つ引っかかったことがあります。私が出会った女性のことです』


 エミシはさらに続ける。


『私が出会った原安江さんという女性は、私にはっきりとこうおっしゃいました。もう何時間も、この水の中につけこまれている、と。……で、こうも仰いました。私の動画を見たら獄夢を見るようになった。最初の晩は逃げられたけど今夜は駄目で捕まってしまった、と。しかし、私は昨晩あの夢を見てわりとすぐに彼女の前に辿りついてるんです』

「あ……」


 杏樹にも理解が追い付いた。安江の話が本当ならば、彼女が捕まったのは水につけられた夜のことである。しかし、エミシは“夢を見てすぐ”に安江のところに辿りついたのに、安江はもう何時間も水の中に閉じ込められてトイレを我慢させられている状態だと言っていた。

 つまり、時間の感覚が合わないのである。これでまだ、安江が捕まったのがその前の晩だというのなら話は別だが、実際そうではないのだから。


『私が見た獄夢と、他の人が見た獄夢は繋がっている。実はつい先ほど、現実の原安江さんからメッセージが来ました。拷問の内容が内容なだけに彼女も水につかったままとはいえ昨夜を乗り切ったということなのでしょう。しかし、私とは時間の感覚がズレていました。彼女は夢の中で何時間も過ごしたような気がしているというのに、私は夢を見てから醒めるまで長くても一時間足らずなんです。アールさんはどうですか?』

「い、言われてみれば私もそうです。昨日は追いかけっこしかしてなかったから余計感覚がおかしいかもしれないけど……でも、夢の中で一時間も過ごした印象はないかなって」

『なるほど。そうなると、いくつか仮説が立ちますね』


 彼は三本指を立てて言った。


『この夢を見た人間が体感する時間が、それぞれズレている可能性。あるいは夢の中で進行する時間の“どの段階”に、取り込まれた人間が着地するかがランダムである可能性。もしくは……捕まった人間は、まだ逃げている人間に比べて夢の中に取り込まれる時間が長くなる可能性。……私が見る獄夢と他の人が見る獄夢で次元がズレているなんて可能性もあったんですが、安江さんと繋がっていた以上私のいた屋敷とアールさんがいた屋敷は同じである可能性の方が高いでしょう』


 驚いた。よく、そこまで冷静に分析できるものだ。杏樹は段々と気持ちが落ち着いてくる自分に気づいた。やばい夢に自分をまきこんだ張本人ではあるが、この男はかなり頭がキレるのは間違いない。朝と似たタイプなのかもしれない。

 まだ何も解決策が見つかったわけではないが、少なくともテンパっている自分よりかはよほど頼りになりそうである。

 この男と、自分の夢が繋がっているのなら。夢の中で合流することも可能なのかもしれなかった。充分に希望が持てる展開だ。


『次に考えるべきは、夢の中に現実世界のものを持ちこめるかどうかですね』


 彼は頷きながら考察を続ける。


『アールさん。夢の中で自分がどんな服を着ていたか覚えていますか?夜普通に寝て、そのままの服装だったなら。夢の中でもパジャマだったはずです。それと、最初に拷問されていた女性の服装はどうでしたか?私が見た水の中の女性は、私服を着ていたように見えたのですが』

「!そ、そういえば……なんか、パジャマとかじゃなくて動きやすい服だったような気が……!」

『遺体が発見された人達がどうだったのかはわかりませんが……少なくとも、肉体がそのまま取り込まれたわけではないのかもしれません。自分の精神だけが反映された世界で、夢の中で怪我をしたり殺されたりすると最終的にそれが現実の自分に反映されるパターンなのかも……』


 エミシのおかげで、どんどん分析が進んでいく。杏樹も遅ればせながらメモを取り始めたのだった。

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