第7話・混乱

 言葉を失うとは、まさにこの事だ。呆然とする杏樹に、落ち着きなさいよ、と朝は続けた。


「まだ確定じゃないけど……でも、あんたが見た人とそっくりな死体が出たってことは留意した方がいいわ。恐らく、その屋敷の中で黒幕に捕まらなければ少なくともすぐ殺されるようなことはない。あたしも可能な限りいろいろ調べてみるし、霊能者のアテも当たってみるから……ひとまず今夜は夢の中で絶対捕まらないようにしなさい」

「で、でも」


 どうしよう、とパニックになりかける。そもそも、杏樹の昨夜の夢は、あの黒い人影に見つかってしまったところで終わっているのだ。

 もし、今晩あの夢の続きを見るのだとしたら。自分は、とにかくまずあいつから逃げ切らなければいけないということになる。せっかく、見つかったところで目が覚めて良かったと思ったところだというのに。


「落ち着きなさいってば。見つかったといっても、捕まったわけじゃないでしょ!」


 顔から血の気を引かせる杏樹の頭をぽんぽんと撫でて、姉御肌の友人は言う。


「宇宙空間とかじゃない。その館が現実にあるお屋敷をモチーフにしているなら、出口がある可能性も高い。とにかく逃げ回って、出口がないかを探しなさい」

「うん、うん……」

「その空間では、あんたの物理攻撃も相手に効く可能性もある。どうしても困ったら、身近なものを投擲して攻撃すること。直接相手に触らないように、いいわね?」

「うん……」


 自分にとって、唯一の幸いは相談できる相手がいたことだろう。杏樹はこくこくと頷いて、どうにか気持ちを落ち着けようと務めたのだった。




 ***




 朝にアドバイスされたことは、大きく分けて二つ。

 一つは何がなんでもその黒い人影に捕まらないようにしろ、ということ。そしてもう一つは、夢が怖いからって徹夜するのはお勧めしないということだった。


『人間、眠らないで頑張れる時間なんかたかが知れてるわ。無理に起きてようとした結果、変なところで寝落ちしてもまずい。それに……何日も頑張って起きてた結果、ものすごく長く眠ってしまうかもしれない。そうしたら、夢から醒めるまでに時間がかかる可能性がある。鬼ごっこの最中にそんなことになったら……わかるわね?』


 確かに、その通りだ。

 いくら次に寝た時に夢の続きを見る可能性が高いのだとしても、一度起きて気持ちを落ち着ける時間があるかないかは雲泥の差である。人間、体の体力も大事だが、同じだけ心の体力も重要なのだから。


『それと、さっきも言ったけどエミシには一刻も早く連絡しなさい。で、情報源を教えてもらって。こういう系列の怪異って、大本を断てばなんとかなることも少なくない。でも、正体が分からないうちはどうしようもないんだから』


 本人が現状巻き込まれているわけではないとはいえ。冷静になって一緒に考えてくれる友人がいて本当に良かったと思う。

 朝と別れて自宅に戻った杏樹は、すぐに自宅パソコンからエミシのツイッターにDMをすることに決める。その際、エミシのツイッターのタイムラインをもう一度確認した。




●ユーチューバーのエミシ@公式 @emishi55

拷問屋敷、もとい獄夢に関する情報はまだまだ募集しています!

DMは開けてあるので、お気軽に御連絡ください。ちなみに、現時点で三件ほど、獄夢を見たor友人見たというご連絡を頂いております。




●ユーチューバーのエミシ@公式 @emishi55

そういえば、ついさっき仮眠を取ったのですが、ぐっすり眠ってしまって夢も見ませんでした。やっぱりおじさんはお呼ばれしないのかなー(;´д`)

暢気と言われるかもしれませんが、個人的にはこの怪異を打ち破る方法はきっとあると確信しております!

とりあえずは、こんどみぞる村の取材に行ってみる予定です。




――相変わらず楽天的だなあ。


 情報を知った人間を、悪夢に引きずり込む怪異――かもれいないと言いながら動画にして発信したにも関わらず、今のところ驚くほどエミシへの批判は少ない。ゼロではないが、一部のアンチがいつものように彼を叩いているにとどまっていた。恐らく、それほど実際に獄夢を見た人間が表に出てきていないのだろう。数そのものが少ないか、本人にコンタクトを取るタイプではなかったか、どっちであるのか定かでないが。

 が、もしも今後獄夢を見る者が増えて、実際に被害者が出てきているのがはっきりした場合。エミシは確実に炎上するに違いない。そうなれば、彼はDM欄を閉じてしまうかもしれなかった。そうなったら、他のメールアドレスなどを公開していない彼とコンタクトを取る方法はなくなってしまう。今のうちにDMを送って繋がりを持っておく、のがベストだろう。


――ていうか、怪異を打ち破る方法は“きっとある”って。確定的な方法を知ってるわけじゃなさそうなのがまた……。


 腹立たしいが、過度に責めることもできない。というのも、悪夢に連れ込まれる系の都市伝説は何も獄夢に限ったことではないからだ。かの猿夢だって、知ったら自分も猿の列車に連れ込まれて挽肉になって殺されますよーというものだったはず。それなのに書きこんだ人間が大炎上することもなく、そもそも普通に都市伝説として“無事な”多数の人間に知れ渡っている。つまり、少なくとも猿夢の場合は、知っただけで実害を齎す怪異ではなかったということ。あるいは、被害を受けた人間が極めて少なかったことを意味しているのではないか。

 ならば今回も、教えただけで本当にみんなに被害が飛ぶ、なんて本人も思っていなかった可能性が高い。


――つか、そもそもこういう話を知った本人が最初に獄夢に巻き込まれると思うのが当然だよな。それで自分がそれっぽい夢を見なかったもんだから、実際は安全なんだろうって思ってしまうのもおかしくないかも。


 まだ、今夜夢の続きを見るとは限らない。杏樹が本当に獄夢に選ばれてしまったという確実な証拠もない。杞憂ならそれでもいいのだ――本当に、取り返しのつかないことが起きてしまうより、よほど。


『初めまして、エミシさん。私はアールと申します』


 複雑な気持ちを抑えこみながら、DMを打った。ちなみに、アールというのは杏樹のツイッター上でのアカウント名である。


『いつも、動画を楽しく拝見させていただいております。エミシさんが獄夢に関する情報提供を求めていると聞いて、初見にはなりますがご連絡させていただきました。エミシさんの動画を見た夜、私は謎の屋敷の夢を見ています。関節をねじりきられて拷問される女性の姿を見ました。すると、翌日そっくりな死に方をしたという女性のニュースが流れました。正直恐怖を感じています。一刻も早く、この夢から逃れる方法が知りたいです。エミシさんが、この夢に関して詳しい情報をお持ちなら教えていただきたいです……』


 やや冷静さを欠いている自覚はあった。そのせいもあってなんだか、脈絡のない文章になってしまう――一応、言いたいことは伝わったと信じたいが。


――これでよし、と。


 とりあえずメールを送信。人気ユーチューバーということもあって、すぐに返信が来ることは期待していなかった。

 とりあえず、テレワークとはいえサボっているわけにはいかない。自分の日々のご飯のためには、多少メンタルがキツくても仕事をしないわけにはいかなかった。あと、お昼ごはんも早めに済ませておきたい。朝とお茶したあのカフェでは、ケーキと飲み物は貰ったもののちゃんとした食事はしていないのである。

 普段なら適当なところで昼寝をして英気を養うこともする杏樹だが、さすがに今日は仮眠を取る気にはならない。変なところで寝たら、それだけで夢の世界を“進める”ことになりそうで恐ろしかった。そう、例えば公園のベンチでうたた寝でもしたらどうなるか。そこで拷問で殺されたりしたら、うっかり死体が公園に転がり出そうである。


――え、公園?


 キッチンでコーヒーを入れようとカップを取り出したところで、杏樹は引っかかるものを感じて動きを止めた。そういえば、わりと最近そんなかんじのニュースを見たのではなかったか。あの、体をねじられて殺された麦田という女性の話よりも前に。


「あ」




『亡くなった女性の名前は、木村百合絵さん四十四歳。自宅の布団の上で、バラバラになった状態で発見されました。木村さんは夫と二人暮らしでしたが、夫の康彦やすひこさんは出張中で不在であり、アパートの部屋には鍵がかかっていたとのことで……』




『同日、百合絵さんの妹さんである木村百合可さんも遺体で発見されていることがわかっています。百合可さんは公園の繁みの中で、全身引きずられたような痕のある状態で見つかっており……』




 そうだ、あのニュース。

 獄夢のインパクトですっかり忘れていたが。エミシの動画を見る前にみたあのネットニュースで、奇妙な死体が見つかったと発表されていたのではなかったか。まるで、拷問でもされたような有様で。

 姉妹のうち姉は密室の部屋で、生きたまま体を切り刻まれて。妹の方は公園で、何故か全身引きずられて肉塊も同然の姿になって発見されたとか――。


――ひょっとして、彼女達も?


 背中に冷たい汗が伝う。カップを持つ手が震えた。


――あ、ありうる。姉はアパートの部屋で寝ていたから密室で死んでた。妹は……それこそ公園でうたた寝でもしている間に、とか。もしそうなら、そうだとしたら……!


 やはり、少しのうたた寝でも危険ということ。一気に、眠ることへの恐怖が増した。

 気休めでも、今日はブラックコーヒーにしておこうと決める。夜は仕方なくても、昼に眠ってしまうのはなんとしてでも避けたかったがゆえに。

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