第3話・廊下
『男のバックグラウンドなど、はっきりしたことはわかっていません。しかし、戦後のゴタゴタで大儲けできるほどのスキルがあった反面、若くして徴兵を逃れていたことを考えると……恐らくあまり体が丈夫ではなかったのでしょう。もしくは、住所不定で赤紙が届かなかったともいうのも考えられますかね』
エミシによると。
その男は恐らく病弱な体を恨み、健康な人間を妬んでいたのではないか?ということ。同時に、退屈な家の中でもできる趣味を探していたのではということ。
と言っても、戦後の物資さえ不足している状況では娯楽など限られている。さらに、家族がいない天涯孤独の身という要素。色々な要因が相まって、男の趣向を歪ませていったのでは?と言われているのだそうだ。
男はまず最初に、自分を馬鹿にしていた村の女を拉致した。そして、女が可能な限り苦しんで死ぬよう、あらゆる拷問を施したという。
『恐らく、彼はある程度医療知識かあったのでしょう。人間が簡単に死なないやり方、苦しむやり方をある程度知っていたと考えられます。最初の実験は、女性を全身針だらけにして拷問することだったとか』
資料動画だとわかっていても、女性が手術台に縛りつけられている映像はぎょっとさせられるものである。多分ドラマの映像か何かの切り抜きだとは思うのだが。
――い、いつもならもっと紙芝居イラスト作って楽しくまとめてくれるのに!今日に限ってなんでガチホラー風味なのかなぁ!?
ホラー好きの人間が、恐怖に耐性があるとは限らない。むしろ怖がりだからこそ怖いもの見たさはあるのである。杏樹はまさにその典型と言って良かった。
が、いつものほうがいいのに!と不満を漏らしている人間は案外少ないらしい。コメント欄を見ると、増えていくのは“こういうガチ怖い系のテイストもいいね!”という声ばかりだ。なんとも、みんな勇気があるなと感心してしまう。
まあ確かに実際の事件映像を流しているわけでもなし、動画も人が縛られて襲われそう!というレベル。グロさは一切ないかもしれないが。
『男は、彼女の爪の間に針を突っ込むことからはじめました。皆さん、想像したことはありますか?この、せまーい爪の隙間に針を一本ずつ差し込んでいくんです。しかもそれを、手足のすべての爪で行います。爪なのでものすごく痛いのに、出血量は大したことがない。彼女は長く苦しんだに違いありません……』
映像の中で、女性の爪にどんどん針が近づけられていく。刺される瞬間は映らなかった。しかし、刺されたと覚しきタイミングで、女性は両手足をばたつかせて暴れ始める。凄まじい苦悶の顔がアップになった。コメント欄を見ると、“デスパラソル”という映画の一場面だと言う。
女優の演技がすごすぎてドン引きするほどだ。この映画は怖くて一人で見られる気がしない。まあ、友人と一緒ならまだチャレンジしてもいいかもしれないけれど。
『女性はやがて、爪どころか手足中、顔面に至るまで針だらけの姿で発見されました。最終的な死因は眼球を突き刺されたことによるショック死だったと言います』
「うっわグロいグロいグロい!」
『男は西洋と取引をするコネがあったようですね。人を拷問して殺す快感に酔いしれた男は、次々と新しい拷問具を海外から購入して、人に使ってみたいと考えるようになりました。アイアン・メイデンなんてまさにその最たるところです』
そこで、アイアン・メイデンの説明がいつものポップなイラストで入る。少しだけほっとしてしまった。いや、針だらけの鋼鉄の処女の説明なんて、中身は全然可愛いものではないのだが。
『アイアン・メイデンにかけられる者、火炙りにされる者、水攻めされる者、虫の海に溺れる者……彼はありとあらゆる拷問を、拉致してきた村人で試しました。そしてその遺体を次から次へと庭へ埋めていったのですが、まあこんなことしてバレないわけないですよね。最終的に彼は逮捕され、死刑が執行されることになります。しかし、彼はまーったく反省してませんでした。ゆえに、最後に言い放った台詞がコレ!』
また、何かのドラマか映画の映像だろう。今まさに絞首刑に処されようとしている男が暴れている。そして憤怒の表情がアップになった瞬間、エミシのナレーションとともにテロップが入った。
『ふざけるな!俺は人が苦しむ顔を見ていたいだけだ、殺したかったわけじゃない!連中はもっともっと頑張ってほしかったのに勝手に死んだから、仕方なく庭に埋めたわけだ!よって殺人罪ではなく、俺が死刑になるなどありえない!この刑は不当だ、不当だぁ!!』
「うっわ、クズじゃん」
思わず声に出してぼやいてしまった杏樹。
「いやいやいや、散々人を苦しめて殺しておいて、自分が死ぬのは嫌だって……なんつー身勝手な!ていうか、自分も拷問して殺されても文句言えない立場だろっつー」
杏樹と同意見の者は少なくないようで、最低!クズしね!というコメントが溢れている。というか、リアルテイムで増えている。みんな暇人だなと思ってしまった。まあ、杏樹も人のことを言えた立場ではないが。
『男はそのまま処刑されましたが、自分が死ぬことを納得していたわけではありませんでした』
場面がエミシの部屋に戻る。彼はなむ、と両手を合わせて言った。
『まだまだ人を苦しめたい、拷問し足りない!……そう思っていた彼が、簡単に成仏なんてできるはずもなく。男は今でも、その屋敷を徘徊しているのだそうです。それだけなら、そこに近づかなければ安全だと思うでしょう?ところが!』
ズビシッ!とカメラに向けて指を突きつけるユーチューバー。
『男はいつの間にか、遠くにいる人間をも見つけて襲うという術を会得したようです!目をつけた人間を悪夢の世界に閉じ込めて、そこで捕まえて拷問するのだと……!そう、狙われるのは、自分のことを知ったすべての人間だと言われています。その中から、己が気に入った順に次々と人を浚うのです』
「う、うわ」
『私もいずれ危ないかもしれません。男に狙われて、悪夢の世界……うーんかっこよく名前つけたいですね、地獄の夢……
ですが!と彼は勇敢さをアピールするかのように拳を突き上げた。残念ながら着ているTシャツに“目指せ童貞脱出!”と書いてあるせいでまったくサマになってはいないのだが。
『私もオカルト系ユーチューバー、腹を括りましょう!獄夢を見たら、皆さんに報告いたします。そして、そこで見聞きしたことを動画にして投稿します、楽しみにしていてください!ただし、予告なく動画投稿が途切れたらその時は……何卒、お察しくださいということで』
ぺこり、と彼は頭を下げる。
『それでは、ここまでご視聴頂き誠にありがとうございました!この動画を気に入って下さった方は、高評価とチャンネル登録をよろしくお願いいたします!ではでは!』
そこで、動画は終了した。ふう、と思わず深い息を吐く杏樹である。大した内容でないのに、なんだかんだ最後まで見てしまった。やはり、トークの面白さや演出は大切ということだろう。
――しかし、これ知ったらマズイ系怪異、じゃないよね?冗談っぽく言ってたし、本当じゃないよね?
You Tubeのタブを閉じて、ワードを開く。仕事に集中しなければと思うものの、どうしても頭から離れなかった。
地獄の夢、獄夢。それはいったいどういうものなのだろう。まさか本当に、この動画を見た自分のところにも来るなんてことは――。
――ないないないない!ないったらない!そ、それに私、あんま夢見ない方だし、きっと大丈夫!ていうか、これ当のエミシさんだって無事なんだから!
自分に言い聞かせるように、タイピングを続けた。
その嫌な予感が的中したと知るのは、まさにその夜のことであったわけだが。
***
廊下だった。
窓から青い月明かりが差し込んでくる、電気のついてない廊下。赤いカーペットが敷かれた床、大理石っぽい壁。いかにも洋館です、と言わんばかりの場所に、杏樹は立っていたのである。
「う、嘘だぁ……」
思わずぼやいた声は掠れていた。ぐっすり眠りたくて、冷蔵庫のチューハイを三缶も開けてしまった。そのまま酔っ払って布団にダイブした、ところまでは覚えている。つまり、自分は眠ったはずだ。
そして眠って見ている夢がこれだとしたら、まさか本当に。
――な、ないでしょ!ないってば!そ、その……あの動画が怖かったから、ついついその系列の夢を見ちゃっただけ!そうに決まってる!
よほと自分はビビッていたらしい。深層意識で、こんなリアルな光景を作り出してしまうのだから。
とはいえ、夢とわかっていても怖い思いなどしたくないものである。杏樹はキョロキョロと周囲を見回した。幸いと言うべきか、現状あたりに人の気配はない。ならば今のうちに、適当な部屋にでも隠れて鍵をかけて閉じこもっておくのがベストだろう。
夢ならいずれ覚めるはず。自分はじっくり時間を稼いで、それを待てばいいのだ。
――ほんと、私も馬鹿だなぁ。どうせなら、もっと楽しい夢を見ればいいのに。推しが夢に出てきてくれたらマジで最高なのに!
そう、例えばバスケプリンス!と世界を見られるなんて最高ではないか。最近ハマっているアニメを想像しながら歩き始める杏樹。
そう、目が覚めたら、推したちが活躍する体育館。自分は――マネージャーになってるなんて贅沢は言わない、彼らを間近で応援するファンの一人で。推しである
そして自分が頑張って!と声をかけると、美しい銀髪の男子高校生が汗を煌めかせながら振り向くのである。ああ、その光景を思い浮かべるだけで自分は、自分は!
「――――っ!!」
妄想は、とある部屋の前を通り過ぎようとしたところで弾け飛んだ。凄まじい呻き声のようなものが、すぐ近くから聞こえてきたからである。
――も、もう!!せっかく元気出てきたところで何っ!?
好奇心は猫をも殺す。わかっていたのに、止められなかった。杏樹はそろりそろりと、そのドアに近づいてしまったのである。
どれほど後悔することになるのかも、まったく想像できずに。
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