第3話
デートの約束をした当日、僕は時間よりかなり早く到着して、待ち合わせの喫茶店ではなく、その近くのファーストフード店に入った。ここからなら喫茶店に入っていく人を観察する事ができる。
こんな趣味の悪いいたずらをするヤツは誰なのか、絶対暴き出してやる——。怒りに燃えながら、僕は窓際の席でじっと喫茶店を監視していた。
しかし、いくら待ってもそれらしい人物は見つからない。大体はカップルか、明らかに僕より年上の人ばかりだ。不審な動きしているヤツは一向に現れない。
時刻はすでに待ち合わせ時間を過ぎている。もしかして、場所が違うのかと席を立とうとしたその時、ポケットに入れていた携帯が震えた。取り出してディスプレイを見てみると「まなみ」の文字。
「も、もしもし?」
「あ、もしもし? 今喫茶店に着いたんだけど、君はどの辺にいるの?」
「え…? もう喫茶店にいるの?」予想外の答えに思わず間抜けな声が出てしまった。
「うん、だってもう約束の時間でしょ? もしかして遅れそう? 良かったら君の分も頼んでおこうか?」
僕は電話をしながらもう一度喫茶店を見た。お店に入っていく人は全部見ていた。それっぽい人物はいなかったはずだ。
「まなみちゃん、本当にもう喫茶店?」
「うん、そうだよ。いつもの喫茶店。ロータリーの向かいの……どうしたの?」
「えっと、あと少しで着くから、だから店から出て待っててくれない?」
「え? うん、わかった」
電話が切れたことを確認してから、僕は喫茶店のほうを凝視した。これで出てきた人物が新条まなみを名乗ってるやつって事になる。
しかし、一向に出てくる気配がない。それらしい女の子も、あいつらの姿もどこにもない。もしかしてばれた?——そう思い、急いで席を立ち店から出る。
喫茶店の近くまで来てきょろきょろと周囲を見ていると、また携帯が鳴った。通話にして耳に当てる。
「そんなところに居たんだ! 人込みで見つけられなかった」
電話口でまなみがそう言った。店からは誰も出てきていないはずなのに——僕はもう一度辺りを見渡してみた。雑踏の中に、電話をしながらにやにやとこちらを見ている誰かがいないか必死で探した。
「きょろきょろしてどうしたの? こっちだよ! こっち!」
電話の向こうではなおも声が聞こえている。
その時、ふと奇妙な事に気がついた。
電話の向こうが妙に静かなのだ。駅前でそれなりに人もいるのに、周りの音が一切しない。無だ。
「ねえ、こっち向いてってば」
彼女の声が耳元で聞こえる。もちろん電話越しのはずだ。なのに、何故か耳元に直接ささやかれているように感じる。
「こっちだよ、こっち」
耳元に生温かい息遣いを感じ、全身の毛がぞわっと逆立った。僕は急いで通話を終了し、無我夢中でその場から逃げ出した。
どれくらい走っただろう。僕はとにかく一人になりたくて、手頃なカラオケボックスに駆け込んだ
怪しむようにこちらを見る店員に目もくれず、焦る気持ちを必死で抑えながら手続きを済ませる。
部屋に入ってからすぐに、入口の窓に目隠しとして上着をかける。安っぽい革張りのソファーにどかっと座り込み、何度か深呼吸をしているうちに、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
それから僕は、さっきの出来事について考えてみた。
あれは、なんだったのだろう。いたずらと言うには、あまりにもおかしな事が起こっている。
それに、さっき感じたあの吐息。妙に熱く、まとわりつくような息遣い。仄かに香るはちみつみたいな甘ったるい匂いに、今思い返しても頭がくらくらしてしまう。
あれは、間違いなく誰かが耳元でささやいた声だ。
しかし、あの時確かに僕は一人で、そんな近くまで近寄ってきた人なんていなかった。なのに……。
いくら考えても答えは出なかった。どうにも説明できない事が多すぎるけど、結局あれは幻か何かだったと思わざるを得なかった。
もやもやした気持ちを振り払うように、僕はカラオケで激しめのアニソンを何曲か歌ってから帰路に着いた。
夕食後、僕は部屋で寝ころんでぼんやりしていた。妙に疲れた。何もしないでいると、この二日間の出来事がぐるぐると頭の中を廻っていた。
ぴんぽんぽんぽんぽん、ぽろん
その音に心臓が跳ね上がった。起き上がって恐る恐るディスプレイを見ると、「まなみ」の文字が表示されている。時計を見ると、先日電話が来た時間と同じ時刻だった。
ごくりと一つつばを飲んでから、意を決して通話をタップする。
「あ、こんばんは! 今日も少し遅かったね。もしかして何かしてた?」
「いや、そんなことないよ……」
「そう? ならよかったぁ」電話越しの彼女の声が安堵の色に変わる。
「あの、今日の事なんだけど……」
僕がなんと切り出そうか悩んでいると、また電話の向こうの声色が変わった。
「そうそう! 今日は急に行先変更になっちゃったけど、カラオケ楽しかったね!」
彼女のその言葉に、雷に打たれたように思わず立ち上がってしまう。
「え……?」
「本当は君にお洋服見てほしかったけど、それはまた今度ね」
「カラオケに……いたの?」
「うん、いきなり走っていっちゃうからビックリしたよ。ああいう時は、少しゆっくり歩いてくれると嬉しいな」
「そんなはず、ない……」
誰に言うでもなく僕の口から言葉が漏れた。だって、そんなはずない。僕は確かに一人でカラオケに入ったんだ。退店するまで一度も部屋を出ていないし、誰かが入ってきてもいない。
「どうしたの? 急に黙っちゃって」
「だって、僕は確かに一人でカラオケに入ったんだ! 絶対誰も居なかったはずだ!」
「ううん、居たよ。あの部屋に、君と二人で」
彼女の声はさっきと変わらない。僕が妄想していた新条まなみの声そのものだ。なのに、今はその声がどうしようもなく怖かった。
「あ、そうだ! 今日カラオケで撮った写真あるから、あとで送るね」
「写真……?」
「うん、君が歌ってる姿があんまり格好良かったから、こっそり撮っちゃった」
いたずらっぽく笑うその声が、なんだか得体の知れないものの笑い声に聞こえてくる。
「嘘だろ……」
もはや、僕の想像の範疇を超えていた。頭の中で様々な思いが錯綜してパンクしそうだ。胸がむかむかして吐き気がする。僕はその場にへたり込んだ。
「ねえ、次はどこにいこっか? 私、まだ君と行きたいところいっぱいあるの」
「誰なんだよ、お前……」僕は絞り出すようにそれだけ呟いた。
「え? 新条まなみだよ? 君の恋人の」
「新条まなみは僕の妄想だ! いるはずないんだ! お前は誰なんだよ!」
「だから、新条まなみだよ。私は間違いなく、あなたの彼女の新条まなみなの」
くすくすと、それは哂った。本当に普通に、可憐で清楚な女性の声で。どこまでも楽しそうに……。
もう限界だった。僕は通話を切り、携帯を投げ捨てた。すぐに「ぽん!」とSNSの通知音がした。待機画面には「画像が送信されました」の文字と、一枚の写真が映し出されている。僕がカラオケで歌うそのすぐ横で、誰かが撮ったであろう写真だ。
本当にあいつは、あの場に居たのだ。
僕は携帯の電源をオフにした。こうしておけば電話がかかってくることはない。電源を切っておけば安心だ。でも、もし今この部屋のどこかに居たら……? そう考えただけで、見慣れた自室が不気味な幽霊屋敷の一室のように感じられた。
どこを見渡しても暗がりがあり、その暗闇の向こうから、じーっと自分を視られているような気がしてしまう。
僕はあるはずのない視線から逃げるように布団にくるまって、一晩中着信音が来ないか震えながら夜を明かした。
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