第3話
中学2年。14歳の朝は早い。
担任の中平先生は熱血体育教官でありながら、本学のOBでもある。
もともと進学校であることも災いし、生徒の成績にもしっかりと首を突っ込んでくる。
本来8時35分であるはずの登校時間が、この学級だけは7時45分から教室が解放されている。
解放というと耳ざわりも良く聞こえるが、成績の振るわない生徒に大して自習の時間を設けるという実質収容に近い仕組みだった。
直前の定期考査にて成績の振るわなかった生徒が対象となるのだが、各科目ごとに下から5人が選ばれるから気が抜けない。
この地獄の時間を彼は嬉しそうに0限と呼ぶ。
苦手を許さない、いかにもな熱血ぶりだった。
「今回結構頑張ったのによぉ、結局化学が引っかかったわ。家遠いから0限召集きついんだよ、拓己と違って。」と健太が言うので、慰めがてらに「僕もまた召集だよ。」と返事をする。
「何科目?」って召集は当然のように聞いてくることに少しムッとしながらも、「物理英語の2科目。化学はギリギリ下から6番だった。」と答える。
「どうせ召集なら、無駄に化学頑張るなよ。お前のせいで俺まで落第じゃないかー。」と悔しがるのを見て少し痛快な思いをしながら、実は化学は平均点を少し超えていたことはいわずに、ただ「いや、チューぺのせいだよ。」とだけ返事をする。
とにかく、みんなは同様の暑苦しさを感じつつも、彼をチューぺと呼び、それなりに親しみを持っていた。
音読みのチュウペイが変化しチューぺとなったらしいが、彼は本学にて代々チューぺであるからして、誰も何の違和感もなく、そのように呼ぶ。
僕は、どこにでもいるただの思春期を持て余す少年だった。
少し背が低いのがコンプレックスで、ほんの少し誰とでも仲良くできるだけの、あまり取り柄のない平均的な人間だった。
「女の子がいたら、もうちょっと頑張れそうなのになぁ。」と毒付く健太に対して、「本当そうだよな。世の中の男子校の意義が分からないよ。」と共感をする。
中学校受験のタイミングで、共学に通いたいと強く思ってはいたものの、その気持ちを親に伝えることができず、気付けば今ここにいる。
一方、健太は恥ずかしい気持ちを押し殺しつつ、母親に共学への進学を直訴したようだが、教育理念と進学実績を重視され、ここに通うことになったらしい。
この話になると決まって、「うちは母子家庭だから、母ちゃんが心配性で過保護なんだよ。」と彼は言う。
健太と親しくするようになったのは2年に上がってからで、きっかけは単純に席替えで近くに座るようになったからなのだが、1年生の頃から同じクラスには在籍していた。
僕たちの通う黎明学園は県内でも上位一桁に入るかどうかの中高一貫の私立学校である。
成績に応じて3つのコースがあり、毎年の成績でクラスが入れ替わる。それぞれは特進科・英数科・普通科と呼ばれ、僕たちは特進科に入学し、2年生になった今もギリギリ特進科に在籍している。
成績もクラスの立ち位置も似たり寄ったりの健太と2人でいる時間は、常に順位付けされるこの世界において唯一背伸びしないことを許される居心地の良い空間だった。
学年を重ねるごとに気付き始めるのだが、どこの世界に行っても上位になる人間は自然とのし上がるし、地べたを這う人間は同様に泥水を啜るのだ。
普通科で上位になる生徒は翌年英数科にランクアップし、春先は苦労するのだが、秋口には結局クラスの上位にいる。
そして世間が白く染まり始める頃には平然と花を咲かせ、その地位をより強固なものにしている。まったく季節外れもいいとこだ。
他方、僕たちはその正反対で。
少しずつ着実に成績を落としていく。
けれど、僕も健太も根っこは真面目なので、何だかんだ大きく道を踏み外すこともなくなだらかな人生を過ごしていくんだろう。
高校生活も終盤に差し掛かる頃、僕たちは一丁前に世界の真理を理解したような物言いで話し始めることになる。
「俺は毎日買い食いできる金さえあれば良いんだよ。」健太の口癖だ。
成績は振るわないとはいえ、まだまだ人生の序章にいて可能性に溢れた年頃の少年から飛び出すにしては随分現実的で控えめな言葉。
けれど、僕はそんな健太が好きだった。
ありふれた表現だが、彼はいつも等身大の自分を恥ずかしがらずに見せてくれる。
周りの目を気にして、あまり自分の意見を出さずに穏便に物事を済ませようとしてしまう僕にとっては、そんな彼が頼もしく、また眩しかった。
「別にそのままで良いんだぜ。」いつもそう言われているような気がしていて、彼と一緒にいる僕は少しだけ強くなった錯覚に酔うことができた。
僕は、自信がなかった。
成績も振るわず、リーダーシップがあるわけでもなく、別に見た目がとりわけ良いと言うわけでもない。
どころか、極端な天然パーマで髪の毛で見た目をごまかすこともできない。
世間では○○風というようなエセなんとかが溢れ返っているが、僕はどうやってもハンサムもどきにはなれず、いつだって正面突破の道しか準備されていないのだ。
その日の帰り道、健太の言葉を無意識にずっと反芻していた。確かに、自分の世界に女の子がいれば、道は開かれるのだろうか。
とぼんやり想像を膨らませるが、そんな高尚な変化は起きず、ただただ楽しい目先の学園生活しか思い浮かばないのだった。
最も一般的で世の学生たちが口にする「女子」という言葉を僕たちは使わない。
何となく、女性慣れしていないようなニュアンスを感じさせることがあるし、ぶっきらぼうに「女」と言ってしまうと女性をぞんざいに扱うような悪い男に見えてしまうので、「女の子」という言い回しが女性の尊厳を保ちつつ、少し気取ったニュアンスを表現できる程度のいいフレーズだと思っている。
男子校で育つと欲しつつも手に届かない存在である女性を何か綺麗でとても繊細なもののように神格化してしまう傾向にある。
そんなことを俯瞰的にぼんやり考えながら、今日もまた僕は健太と一緒に冷えたコーラを喉元に流し込む。
とかく、学業や人間関係、その他色んなことに鬱血しながらも、それらを飲み込むように、僕たちの秋空は高い。
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