第15話 いつも同じであるとは限らない



 その日、ボタンと別れて家に帰る途中、ポケットの中でスマホがチチ、と小さく鳴った。新しいスマホに、クラスの友だちから早速メッセージが届いたのだ。

 自転車にまたがったまま、杏は画面を確認する。夕日はほとんど沈みかけ、ガードレールの向こうに真っ赤な空と紫の海が広がる。

        『夏休み 何しとん?』

 小学校の頃から仲良しの子からだった。

 杏はまだ慣れないながら、慣れないのを悟られまいと、右手の親指だけで素早く文字を打ち込む。

        『塾行ったり、喫茶店行ったりしよる』

        『喫茶店??誰と?』

        『ボタンと』

 内心、どこの喫茶店か尋ねられたらどうしようかと迷っていた。島にある喫茶店など、数えるほどだ。喫茶ウミナリは、ボタンとふたりだけの秘密の場所にするつもりだったから。

 しばらくして、少し長いメッセージがポン、と現れた。


        『ボタンちゃんと結構、仲イイよね。あの子のミステリー知ってる?おんなじ顔した子が家族写真に写ってルンだって。なんかわけあって、その子は引っ越しには付いてこんかったって。ピアノのコンクールが忙しいからとかって。(みーちゃんの親が言ってたらしいよ。噂ネ)』


 それを読んで、ぼうっと立っているうち、またポン、と新しいメッセージが現れる。

        『双子あるある。①急に同じ時に同じ歌、はもったりした?②双子でも、やっぱり二人でいたら二人なんよね?だんだん一人になってたりしないよね?例えば、どっちかが最終形態、だとか。(笑)』


ポン。

『これはボタンちゃんに転送しといてー。』

ポン。

『今度ボタンちゃん込みでいいから一緒に買い物行こー。』

 何と返信しようか迷ううち、親指だけ冷たくなっていた。

 

 予測変換されるひらがなは、切って貼ってを繰り返し、ひとつの文章になって、吹き出しに囲まれる。切って貼ってを繰り返し。スマホがしているんだろうか。切って貼ってを繰り返し。あの子がボタンにホントに言うつもりなんだろうか。切って貼ってを繰り返し。


 喫茶店へ行くことは二人の楽しみとなった。行きつけお店があるなんてかっこいい。一回四百円ちょっと。毎週平日の二回、大抵火曜と金曜、二人は会う。午前中は杏の家で宿題。午後に喫茶ウミナリで避暑も兼ねておしゃべり。

喫茶店といっても店ではいつもお客は二人だけだった。

何度か店から人が出てくるのは見たが店内で同じ時間を過ごすことはなかった。だから実質店内にはいつも三人。けれど気詰まりはなく、むしろ居心地はよかった。

 こちらは店として訪問し、向こうもお客として扱う。お金を払い、コーヒーを作ってもらう。いつも決まった席でボタンと時間を過ごす。紳士的なウサギおじさんがお手製のパンやクッキーを振舞ってくれる。時々お料理講座となりながら。

 ウサギおじさんはあれきり、一定の距離を保ち中学生の会話に首を突っ込むことはなかった。

 カウンターの内側でおじさんは常に何か作業をしていた。

店はいつも清潔でお客を迎え入れる準備が整っていた。ボタンはラジオがかかるとボタンではなくなった。かといって成りきれてはいなかった。いつも何か、に成りきれなくて途中止めになって冷めたコーヒーを飲み干した。

 杏は次第に慣れていった。ボタンが骨董品のこけし人形のような風貌で姿勢よく目の前に座っていることにまず、慣れて、それから我を失い漂うようなボタンにも、慣れた。

 いつも同じであるとは限らない。何が本当かも、わからない。

 それでもよかった。懇意だから安心できた。

 それぞれがそれぞれの懇意であることでわたしたちは繋がり、ここにいるようだった。 

 ウサギおじさんと槇さん、どちらが本当か一時深く考えもしたけれど、それもやめた。槇さんのことを途中からしか知らなかった。「こんなもの」だったのを、ただ杏は知らなかっただけだ。例えば槇さんが実は女だった、としても、驚かないと思う。槇さんが仮装すること、それを演じ切ることは清々しくさえあった。隠されないものは、よく見える。よく見えると安心する。どんなに異質でも奇妙でも。


 莉子先生があれ以来毎日音楽堂へ通っていることを耳にしたのは八月に入ってすぐだ。


「豆を挽くのによさそうな石でできたお鈴で、コーヒー豆をぎーこぎーこと挽くことがあります。挽き終えた豆はこちらのネルを通して抽出します」

ここでは何をするにも、お鈴のなりそこないで賄う。

「ネル」と言って見せてくれたのはほんのり黄ばんだ布製のドリッパーだった。

「コーヒーの淹れ方には色々ありまして。わたくしは普段、愛用の機械でドリップすることが多いのですが、時々ネルドリップ致します。まあ、いずれにしましてもね、コーヒーを淹れるとコーヒーの粉が残ります。でがらし、です」

 オジさんの話し方は不安定でどんな語り口調で統一していくかまだ迷いがあるようだった。だから、ある時は親しげ。ある時は馬鹿丁寧。

「わたくしは、それを砂にする実験をいたしております。女将さんが致す、それを代行しわたくしが致す。そういう順序です。耳塚が果たしてどこか、わからない現在、ここに、この土地にいつまでも残るようなものを廃棄はできない。だからして、砂にする必要があります。それには音楽が必要なのです。でないと、風が起きない。長らくここには音楽がありませんでした。それで溜まり勝ちでした。何も、かも」

ネル、は小さな枕のようにも見えた。人間よりもっと小さな。ウサギだとか、小鳥だとかの枕。

「けれど夏になって彼女が、ああ先生ね、あなた方にしてみれば先生。彼女が定期的に音楽を奏でてくれるようになりました」


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