第12話 耳の聞こえないウサギ
理科の先生が、ウサギの様子をうかがうため山根家を訪ねてきたのは休みに入って一週間後の午後だった。
塾の自習室で勉強をした帰り、自宅へのうねうね道を上っていく軽四と上り坂ですれ違う。
「あ、もしかして、山根さん?おうち、こっちで合っとるよね?」
理科の先生はウサギたちの世話をしていた先生だ。
「うさちゃんたち、預かってもらってありがたい。これから山根さんのとこへ挨拶に行くところなんよ。先行ってるね」
かわいいピンクの車は馬力を上げて通り過ぎていく。
帰宅すると、ウサギ小屋の辺りで先生と母が立ち話している。
「杏。ウサギたち、耳が聞こえんみたいなんよ。今先生から聞いたんよ」
「ごめんなさいね。ちゃんと言ってなくて。わたしも、はっきりとはわからなくて。学校ではとにかく、ごはんとお掃除で手一杯だったの。関わる時間がとても少なくて、そのところ、はっきりしなかったんです」
申し訳なさそうに先生は言った。
「いえいえ、それは仕方ないことです。ただでさえ、先生って仕事は忙しいのに、動物の世話まで」
「いえ、わたしも動物好きだから、それはいいんです。それにしても、うさちゃんたち、すごくのびのびしてて、山根さんのところに預かってもらってほんと、よかったです。飼ってたのは完全な外ではなくて半戸外というか。日当たりはいいんですが、土はなくて、夏なんかはもう理科室に入れてやらないとコンクリートの照り返しが過酷で。だからこんな自然の木陰で涼しくしてもらって、幸せです」
ウサギが飼われていたのは校舎の二階に設けられた広めのベランダだった。そこは理科室に通じていて、ウサギがいた部分は理科室の軒が伸びており、ウサギのほかにも先生が個人的に育てていた鉢植えも多くあった。
槇さんがウサギの存在を知らなかったのもうなずけた。あの場所はまるで理科の先生の家みたいだったから。
「ところで先生、ウサギはどこから?」
桃子は尋ねた。
「元々、中学にいたんです。結構たくさんいたのが減って、二羽になっちゃたらしいです。わたしが赴任してきた時はやっぱり先任の理科の先生が同じように飼っていて」
桃子はうなずいて言った。
「わたし、中学の卒業生なんですよ。だからウサギがどこから来たかわかりますよ。元々中学校のあったところはラビットランドっていう遊園地だったらしいです。そこのウサギが一部、中学に引き継がれたって。だからもしかしたらその末裔じゃないですか」
「ああ、わたしも聞いたことあります。なんだか、そこのウサギ、奇形を受け継いでいるって」
「奇形。耳が聞こえなくなる奇形?」
「さあ、そういうことなんでしょうか。ウサギたちに、『耳、聞こえてる?』って聞いても何も答えてくれませんからねえ。こちらが観察するしかないです。でもね、酷ではありますけど、囲いの中でただ飼育しているだけなら、聞こえていても聞こえていなくても、差支えないんです。だから、ごめんなさい、動きなんかに違和感はすごくあったんですけど、お医者に連れていったこともないので、はっきりと耳が聞こえていないかどうかは、わからないんです」
「そうだったんですね」
桃子は深々うなずき、続ける。
「そもそもラビットランドっていう施設は、なんだかうさん臭い代物だったらしいですよ。始めは大々的にオープンしたものの間もなく立ち行かなくなってあっさり閉園したって、聞いてます。遊園地というけれど大型遊具は何もない、ただの建物だけだったって。でもまあさすがにラビットランドについては、わたしも生まれて間もない頃のはなしで、詳しいことはわかりません。おかしなことに、わたしの周りの誰も、行ったことないんですよ。変でしょ。小さな島なのに。製錬工場が在った頃とラビットランドが在った頃が時間的に重なるのか重ならないのか。それもわかりません。島に外から来る人は目的がなくなるといなくなるんですね。そして必要なものだけ持ち出すんです。要らないものはそのままにして。そのあと、島に遺したもののことなんて、思い出そうともしない」
「だけど、遺された方は、ウサギには、そんなのは関係ないですよね」
結局先生はうちに上がらず、大量のウサギの餌と、菓子折りをひと箱、置いて帰った。もちろんお菓子はうちと競合する心配のないマドレーヌ、だ。
その晩、ふと、母が呟いた。
「あ、そういえば。思い出した。ニャンコ。行ったことあるはずじゃ」
「何。ニャンコ、ああ、二谷先生?」
「昔、聞いたことある。ラビットランドに行ったって」
「よくそんなこと覚えてとるなあ。自分じゃないのに」
「普通じゃ覚えとらんわ。普通に行ったってわけじゃないんよ。ウサギに連れられて行った。ランドでピアノを弾いた、って」
「なんか、怖いくらいメルヘンじゃな」
「そう。おかしくなってしもうた、と思った。そん時も。だからあんまり深いこと聞かんかった。ニャンコの家、ピアノには異常なくらい熱心だったけん、それでストレスが大きかったと思うんよ。実際、だんだん閉ざしていく感じ、あったけんね」
「へえ。で、今につながるわけじゃな」
母は何も言わなかった。
「あれ、なんだったんかな。今思い出しても変じゃわ」
(二谷先生がラビットランドに。)
杏は、応接室で莉子先生から聞いた話を思い出していた。
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