第3話 白兎屋



「みんな持っとるんよ」

杏の言うみんなの中に、そもそも、持っていない「みんな」は、含まれていないのだろう。桃子は繕い物をしながら、半ばあきらめて、杏の「スマホが在る生活がどんなにすばらしいものか」のプレゼンテーションを聞いていた。

 わからないでもない。スマホがあれば一瞬で島の外へ行けた。

 桃子は実際、柚子の通信販売をスマホで手掛けていたし、ウサギ最中も、今後、通信販売する方向で計画している。買い物も調べものも、小さな窓を通して一瞬だ。その便利な道具を、道具として活用するか精神的奴隷となり依存するか、それも、道具を与える自分にのしかかってくると思うと、つい、与えるべきか二の足を踏む。

 シングルマザーの自分との暮らしで、杏はどうしても一人で過ごす時間が長かった。寂しさを埋めるのが物であるとしても、それで埋まるなら、と、今まで欲しいと言われたら大抵なんでも与えてやった。ゲームも、服も、最近は化粧品も。

 ただ問題は手に入れた後だった。杏の部屋は散らかっていて、新しく手に入れた物が上へと積まれ放置されている。つい最近買ってあげた服が床に落ちているのを見ると悲しくなる。

「大事にできんじゃろ」

いじわるで、そう言ってみる。

「わかっとるよ。部屋、片付けるし、大事にする」

この言葉を裏付けるため、杏の部屋はピカピカにリセットされる。杏は一応全部拾い上げて持ち物を確認する。別に忘れていたわけじゃない。そう、持っている。気に入って買ってもらったこと、覚えている。それでも杏の欲しいものリストはいつもいっぱいだった。

 最近杏は、自分の欲求を恐ろしく感じる。食べたいとか、見たいとか、変わりたいとか、頭で考えているというより、爆発的な勢いでしかない気がするのだ。止まらない食欲を、痩せたいという別の欲求で抑えている。見るだけだったはずの服売り場ではもう、新しい服を手に入れている。

けれど新しいものの力に疲れて、ふと引き寄せられる。

 島の東の突端。砂浜を臨む旅館街の一角に、母の営む和菓子店「白兎屋」はある。 

島は東西に細長い形をしている。西側には砂丘、工場跡地、公共施設。そして中央に向かってなだらかに標高を上げ、そのあと徐々に下がる。その東側が昔からの人々の集落。松林に沿って細く伸びる美しい浜。

杏の家は浜を見下ろす東側の丘陵地の中腹にあった。

 家を出て、こじんまりした柚子果樹園を抜けると民家がひしめく。家々の小さな窓も、古い門も、海風の入り口になり出口になり、向こうの山への風の通り道を形作っている。

杏はそれを逆走しながら風を受け自転車で海辺へと下る。


「ムレウサギ、吹いてる」

海から駆け上がる白いウサギの大群が、黄金色に輝く柚子の光を頼りに陸へ上がってきたように見える、というのがこの風の名前の由来である。風の通り抜ける小さな鳥居があちこちに建っている。


「白兎屋」は古くからウサギ最中だけを作り続ける和菓子屋だった。普通こういう地元の和菓子は老舗を名乗る店がいくつもあったりするけれど白兎屋は杏の家だけだった。

「唯一無二、本家本元じゃなかったら、お饅頭だって、シュークリームだってケーキだって作っとったかもしれんよ。でも、ウサギ型を使い続けること、それがこの白兎屋が存在する条件だって伝えられとるんよ」

母は娘時代にバスガイド、結婚出産、離婚、紆余曲折を経て今、白兎屋を継いでいた。


「型を極めること。本物の型を追求すること」

なんだか武道みたいだ。

 

 看板には古めかしい文字で白兎屋、と大きく書かれ、道に面した壁面にはガラスケースが嵌め込まれ、金属製のウサギの型が整然と並べられていた。今でこそ型はたこ焼きの型のように十個いっぺんに焼けるよう二×五の縦長の型だが、昔のははまぐりみたいになっていて、ふたつ合わせるとそっくりウサギの形になるかわいらしいものだった。出来上がりは同じウサギの形でも、型は微妙に進化を遂げている。

 「土産用」には全ての最中に餡が入る。最中のなかに餡子が入っているのは当たり前だと思うかもしれないが、白兎屋の最中には空っぽの最中が存在する。空っぽに出会うためには浜通りの灯旅館に宿泊するとよい。旅館だけでなく民宿もどこも白兎屋のウサギ最中を「お着き菓子」として仕入れている。お着き菓子とは、宿のお部屋のちゃぶ台にさりげなく置いてある、あれだ。

「お着き菓子」のウサギ最中は全てふたつ一組。片方は餡入り。もう一方は空っぽ。ひとりにふたつ。ふたつでひとつ。

 杏は店に入ると、ひんやりとした作業場に腰を落ち着けた。

 店内からガラスケースを通して、外の通りが見える。奇妙なことにウサギ型は全て内を向いている。型はそれぞれ全部違うと母は言う。端から年代ごとにこれまでのウサギたちを並べてあるらしい。

 でも、杏にはどれも同じウサギに見えた。いつの時代からあるか知らないけれど、ずっと似たようなウサギ。

 小学生の頃からここの居心地は杏にとって代え難いものがあった。小麦粉の匂いや餡子の匂い、清潔なステンレスの台。誰もいなくなった作業場の「今日も無事終えた」感じが好きだった。まだ一日は続いているのにここではもう「今日は終わっている」のだ。歴代のウサギたちはガラスケースの中で波音に耳をそばだてている。現役のウサギ型はピカピカに磨きあげられ、波音が聞こえぬように引き出しの中で眠っている。ここで昼間なされた作業になど関心はない、というように。

最中の作業場は縮小に縮小を重ね、ここだけになった、と以前母から聞いた。それも曾祖父母の時代の話だ。今は従業員は誰もいない。母だけだ。

作業場の隣には休憩室があり、今は実質、杏の勉強部屋になっている。

 杏は今日ここですると決めた分だけ、宿題を広げた。目に入る絶対量が少ないと勉強に少し前向きになれる、と試行錯誤の末学んだのだ。

夏休みの宿題の、終わりのない感覚。とりあえずここまでという一区切りでしかない。でも、目の前の全てをやっつけてしまえば今日は終わるのだ。

(ああ、スマホがあったら、好きな音楽かけながらできるのになあ)

母とのやりとり以降、欲しい気持ちは最高潮を保ったままだ。

部屋は片付けたけど、きれいな状態を保つのは結構大変だ。あと何日きれいなままだったら、母はゴーサインを出してくれるだろう。

 軽い絶望を覚え、湯を沸かしてインスタントコーヒーをがぶ飲みする。

 苦かった。ここは甘ったるいあんこの匂いが否応無く杏を「めでたく」させる。

 しいていえば、この作業場の、というか、あんこの、無意識に紅白の「紅」を担ってしまっているところが、苦手だ。こちらの気分も何もかも一色に塗りこめてしまう感じ。そういうのに包まれると振り払いたくて、苦くて深いものに浸りたくなる。

 それはコーヒーだったりする。

 と、母の桃子が作業場に戻ってきた。

「杏。ちょうどいいところにおった。最後、「アカシ」さんとこだけなんよ。配達お願いできん?」

断るわけにはいかない。母の頼みには快く応じておかねば。

 

「灯旅館」へは配達でしょっちゅう行く。ともしびと書いて「あかし」と読む。灯旅館は白兎屋と同じ通りにあるから、もちろん頻繁に前を通る。でも、表玄関の「あかし」はよそよそしい。杏は今まで一度も表から入ったことがない。入り口の脇には大きな「おりん」がある。お鈴は、旅人を迎える時に、歓迎の意味を込めて鳴らすもの、と女将さんから聞いたことがある。

「お鈴、って昔、おばあちゃんの家にあった、あれに似てない?」

女将さんから聞いたのは母に連れられ初めて灯へ行った時だった。その日家で、改めて尋ねた。

「あれ、じゃな。仏壇のな」

母はやはり台所にいたと思う。冬の入口を開けておいて、と母はいう。夏よりだいぶ細く開けるようになっていた窓。どんなに寒くなっても、窓はいつも少しだけ開けている。台所はいつもそう。

「そうそう、ちーん、てほら、鳴らすが」

外では秋の虫が鳴いていた。

「似とるっていうか、多分、お鈴そのものじゃな」

母は耳を澄まして、笑った。ほらほら、というように。耳に聞こえているのは虫の声のはずだけど。

「じゃあ、旅人って、あの世から来るん?」

「灯旅館だけじゃなかったんよ。あの辺りに昔あった旅館はみんなそうだった。お客はあの世からの旅人とこの世からの旅人。お互い会えると願って泊まりに来たんよ」

「それで最中でお出迎えするわけか。疲れてる方が餡子入りを食べるん?」

母はここでちょっと黙った。

「疲れてる方、かあ。どっちが疲れとるんじゃろうねえ」

「それとも先に着いた方?」

「うーん。どっちが先に着くかねえ」

あの時は母も知らないのかもしれないと杏は不安になった。あんなに毎日最中ばかり作っているのに。すると、歌うように高らかに母は言った。

「餡子が入っている方はこの世の旅人に。からっぽの方はあの世からの旅人に」

あの時はまだ死というものがどういうものかわからなかった。

「この世から、の旅人は大抵フェリーで来るけど、あの世から、の旅人はどうやって来るん」

母はこどもの急な話題転換になされるまま、だ。

「やっぱり海から、かな。旅館の玄関は浜辺に向いとるじゃろう」

イメージが漫画になってしまう。

「泳いで、か」

 信じたわけではない。といって信じていないわけでもない。ただそんな会話をして、いつか、その大きなお鈴が鳴るのを聴かなければとずっと思っていたけれど、旅館が混んでいても空いていても、杏の前でお鈴が鳴ることはなかった。

 今日も、開け放たれ広々した土間の奥に、鈍く光るお鈴はある。分厚い座布団の上で、旅人を待っている。

 

 杏は、旅館の通りからひとつさらに海側に入り、一旦自転車から降りた。

 分厚い砂が覆い隠しているコンクリートの歩道はタイヤが滑る。平日の夕方、海水浴場の自転車置き場には、いつもの傾きのままで放置自転車が数台あるだけだ。

 目の前には、浜辺が広がる。

 杏は前カゴから最中の入った容器を慎重に出すと、自分の自転車を惚れ惚れと眺めた。スポーツブランドの限定販売品。入学祝いに奮発して、母が買ってくれた。宣伝文句に踊らされたと言えば、それまでだ。でも、この、白。

 真っ白ではなく、浜辺に打ち上げられて時を経た、白い貝のような、深みのある白。本当はあまり、白が好きではなかった。白にあるのは、広大な感じとか透明感、純粋さ。杏はそれが白の無神経さのように感じられて嫌いだった。何も考えていない感じ。でも、この自転車の白は違う。

 もしかして、海のせいもあるかもしれない。

「白」は海を背景に、深さに変わるのだ。

 背景は大事だ。背景によって白は光に見えたりぽっかり空いた空間に見えたりする。

 例えば、ウサギ。

 白いウサギの見え方。

 ぼんやりと考えていた。ただ、ぼんやりとし続けることは案外難しいのだ。だってこの人はいつだって急だから。

「白兎屋に、ついにホンモノのウサギが来たって、ほんとか?」

声から先に降って来るような時の、槙さんは苦手だ。ピン、と張り過ぎている、というか。

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