02

 一呼吸置いて、ざわざわと厭な感じが胸の中に押し寄せてきた。

 志朗さんの言葉を信じるなら、「気のせい」はずっとここにいたという。私が知らないだけで、得体の知れないものがこの部屋にじっと潜んでいたのかと思うと、それだけで鳥肌の立つ感触がした。

(でも、この人の言ってることは本当に当たってるの?)

 まりあちゃんの手前そんなことは言えないけれど、どうしてもそれを考えてしまう。

 実感がないのだ。尚輝の部屋からは、もう海の匂いもしなければ、おかしな音がしたり物が移動したりしていることもない。にも関わらず、志朗さんは「気のせい」はそこにいるという。

 志朗さんは慣れた手付きで巻物を巻くと、元通りボディバックにしまった。そしてダイニングチェアから立ち上がり、ドアの方をじっと向いたまま、

「見浦さん、あの部屋開けても大丈夫ですか?」

 と私に尋ねた。私はすぐに「どうぞ」と答えた。

 部屋のドアを開けると、冷たい初冬の空気が顔を撫でた。もう尚輝がいる体を装っていないから、わざわざこの部屋を暖めたりしていない。居室というより物置のような空気が流れている。

 志朗さんは部屋の入り口に立ち、カンカンと何度か大きく舌打ちをした。(エコーロケーションだ)と思った。映画か何かで観た記憶がある。たぶん、部屋の広さや家具の位置なんかをこうやって把握するのだろう。

 志朗さんは舌打ちをやめ、ちょっと首を傾けて何か考えている様子だったが、やがてすぐ後ろに立っていたまりあちゃんに「まりちゃん、ちょっと」と声をかけた。

「『気のせい』、どこにいると思う?」

 急に指名されたまりあちゃんが、驚いた顔をしつつも部屋の方にやってきた。

「この部屋ですか? うーん……わからないなぁ……」

「勘でええよ」

「カン?」

 まりあちゃんが首を傾げる。

 ここ数か月私を悩ませてきたあの「気のせい」が、どうやらまりあちゃんの教材にされているらしい――その現場を目の当たりにしてしまうと、現金なもので途端に恐怖心が薄れていくのを感じる。それと同時に、さっきの志朗さんの言葉が何度も頭の中で繰り返された。

(小野寺さんが亡くなったのは『気のせい』が原因ではないと思います)

 私が内心諦めていた、そして一番期待していた言葉だった。疑いの気持ちが消えたわけではないけれど、それは当たっていてほしい、と切実に思った。

 まりあちゃんは「カンかぁ」と言いながら部屋の中に足を一歩踏み入れる。補助が必要かな、と思いながら見ていると、まりあちゃんが突然「あそこですか?」と指をさした。

 その先には、作りつけのクローゼットがある。

「うわすごい、当たり!」

「当たり!? やったー」

 まりあちゃんが喜んでいる。「気のせい」が役に立ってしまった……というか、私は一体何を見せられているんだろう。ボーッと立ち尽くしていると、志朗さんが急にこちらを振り向いた。見えない目で見られているようで、何だかどきっとする。

「見浦さんも確かめます?」

「はい?」

「本当にいるかどうか」

 そう言って志朗さんはニコニコ笑った。まるで疑っていたことを見透かされているようで、自分の家なのに居心地が悪くなってくる。

「さっきボクに居場所を探られたので、たぶん今ちょっと怒ってると思います。ここ、開けても大丈夫ですか?」

「どうぞ……」

 中にあるのは尚輝の遺品くらいだ。開けられて困ることは特にない。志朗さんはちょっと手探りしただけで観音開きの取手を探り当てると、いきなりぱっと扉を開けた。

 その途端、海の匂いが部屋中に満ちた。

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