消失

01

 まりあちゃんのお師匠さん――志朗さんがアパートの私の部屋にやってきたのは土曜日の午前十時半頃。私が小野寺おのでらさんの部屋で、弟さんのとおるさんに会う三十分ほど前のことだった。

「見浦さん! 今お師匠さんが来てるんだけど、会ってもらっていい?」

 と、突然私の部屋にやってきたまりあちゃんに言われて、私は慌てて初対面の人に会う最低限の身支度と片付けをした。お師匠さんも全盲らしいから、私がどんな格好をしてたって気にしないのかもしれないが、こういうのはこちらの気分の問題でもある。

 十分ほどして、お師匠さんを連れたまりあちゃんが、再び我が家のインターホンを押した。

志朗貞明しろう さだあきと申します。急にすみません。事前に連絡をとるとまた妨害されるかと思って、いきなりお邪魔しました」

 志朗さんはそう言ってお辞儀をした。目を閉じているのに、私の方にばっちり顔を向けてくるのが不思議な感じだった。

 まりあちゃんはどうやら、私にお師匠さんを紹介できて嬉しいらしい。昨日あんなに怖がっていたのが嘘みたいに、今日はニコニコしている。その様子を見て、私は少なからずほっとした。

「普段はこういう風に首を突っ込んだりしないんですけど、弟子が泣かされたって聞いたけぇ来ちゃいました」

 そう言って志朗さんは笑った。まりあちゃんが「泣いてないです」と言いながら志朗さんをつついている。お師匠さんというより、仲のいい叔父さんを連れてきたみたいだなと思った。

 そもそも志朗さん、あまり霊能者という感じではない。もっとも私も霊能者についてよく知らないわけだけど、何となく着物姿で、お年寄りで、数珠などつけていそうだな――などと漠然と想像していたのだ。ところが実際の志朗さんはごく普通のカジュアルな格好だし、年恰好はせいぜい三十代前半だし、数珠もつけていなかった。ただまりあちゃんと同じく盲目らしく、その点は青森のイタコさんを連想させた。両目をぴったり閉じているせいか、それともそういう顔立ちなのか、常に笑っているみたいに見える。

 浮世離れした人だなと思っていたら、「失礼ですけど、電話で説明できなかった料金の話から始めてしまっていいですか」と思い切り世俗っぽいところから入ってこられた。ただ、正直ほっとした。プロに仕事を頼むのだから当然料金が発生する。それはいいけど、「お志で」などと言われたらどうしようかと内心心配していたのだ。霊能者の報酬の相場なんてまるでわからない。

 その辺りの話をして、ちゃんと仕事を依頼することが決まった後、私は小野寺さんの弟さんに話したようなことを、一通り志朗さんに話した。彼は黙って私の話を聞いていたが、「その、小野寺さんって方の下の名前、わかります?」と聞いてきた。

「小野寺――円佳まどかさんです。確か円形の円に、佳作とか佳人とかの佳だったかと」

「うーん」

 志朗さんは何か考えているようだったが、「とにかく、『気のせい』を探しましょうか」と気を取り直したように言った。

 志朗さんが身体の前につけていたボディバッグを開けて、中から巻物を一本取り出した。金糸の入ったきれいな表装だ。それを慣れた手つきでダイニングテーブルの上で巻物を広げる。私は思わず出そうになった「えっ」という声を飲み込んだ。

 巻物には何も書かれていなかった。文字も絵も、点字のような突起もない。ただまっさらな白紙がするすると出てくる。それをテーブルの上に広げると、志朗さんはその上に両手を、ピアニストがピアノを弾くときのように置いた。閉じているまぶたをさらにぎゅっと固く閉じ、そして白紙の上を探るように両手が動き始める。その様子はまるで、白紙の巻物に何かそこに見えないものが書かれていて、それを指の先についたセンサーで読み取っているみたいだった。不思議な光景に見惚れていると、少しして志朗さんの両手がすっと上がった。

「見浦さん」

 急に話しかけられて、「はいっ」と変な声が出た。

「結論から言うと、小野寺さんが亡くなったのは『気のせい』が原因ではないと思います。今そいつにそんな力はないし、第一それ、見浦さんのお宅にずっといたみたいなので」

「はっ?」

「そっち」

 志朗さんの長い指が、かつて尚輝の部屋として扱っていた部屋の入り口を示す。

「今そこの部屋にいます」

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