18

 身体が上手く動かなかった。ひどく狭い空間に押し込められているような感じと、全身をどこかにぶつけたような痛みがある。じっとしていると、目の前になにかきらきらしたものが落ちていることに気づいた。

(ガラスだ)

 細かく割れたガラスのかけらが、目の前のアスファルトに散らばっている。ゴムの焦げたような臭いが鼻をくすぐった。

 目元に違和感があった。何とか動かせる右手で自分の顔に触れると、ぬるりとしたものが指先についた。暗くてよくわからないけれど、血液のようだ。

(たぶん私、怪我をしてる)

 不思議と他人事のように思った。

 その時になって、改めて思い出した。対向車線から近づいてきたヘッドライト。路肩に停められたトラック。衝撃。歩道の点字ブロック。街路樹。轟音。割れたガラス。擦れたタイヤのゴムの臭い。

 そのとき、場違いな匂いが鼻をついた。

(潮の匂いがする)

 ついさっき海から上がってきたばかりの誰かが目の前に現れたような、そんな感じがした。

 帰ってきたのだ、と思った。

 尚輝のふりをした尚輝ではないものが、小野寺さんのところから逃げ出し、私のところに戻ってきた。

 だからこんなことになったのだ。理屈ではなく、直感的にそう思った。

 木の軋むような音がする。

 暗がりをぼんやりと見つめながら、私は今更のように考えた。

(ああ、言ってたな。こういうのはよくないことだってみんな言ってた)

 よくないことだったんだ。あんなふうに死者の気配を育てることは。

 私もわかってたんだけどな。

 後悔してるときにはもう手遅れなんだ。

 まぶたを閉じて、目の前を真っ暗にして、耳を塞ぐと、ほんの少し現実が遠ざかった。 

 いつだっただろう。きっかけらしきものがあったのは。

 身体の自由がきかない私は、やがて無為に考え事を始める。

 まだ秋のことだった。まりあちゃんと知り合いになった。それから彼女と小早川さんに、尚輝について嘘だらけの話をした、あの頃。

 あの頃からずっと、こうなるための芽を育てていたんだ。

 私の顔の近くを、海の匂いが漂っている。

 遠くからサイレンの音が近づいてくる。私はそれを聞きながら目を閉じた。真の闇が訪れた。


「ほら、お守り持っててよかったじゃん」


 尚輝の声が聞こえた気がした。


 私は目を開けた。

 明るい場所だった。見たこともない女性が私の顔を覗き込んでいる。

「あっ、気づかれましたね。よかった」

 女性がにっこり笑った。彼女が着ている白い服が看護師の制服らしいということに、私は気づいた。

 いつの間にかベッドに寝かされていた。周囲で何人もの人が動き回る音がする。額の傷も処置されているらしい。

「大丈夫ですよー。でも具合が悪かったら言ってくださいね。おでこを切ると血がたくさん出ますから」

「はぁ……?」

 まだ動かないようにと言い置いて、看護師は足早に私の前から立ち去った。

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