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「小野寺さん?」

 声をかけたが応答はなかった。画面は真っ黒になったままだ。

 パソコン自体が落ちたわけではない。ウィンドウの下部には各機能のアイコンがちゃんと表示されているし、現在小野寺さんと私がミーティングに参加していることも示されている。ただ、小野寺さんが画面に映っていない。仕事で何度も同じツールを使ってきたけれど、こんなトラブルが起きたのは初めてだった。

 私は画面に向かって「すみません、急に画面が真っ黒になっちゃって、小野寺さんの声も聞こえなくなりました」と話しかけてみた。答えはなかったけれど、私からはわからなくても、小野寺さんにはこちらの声が聞こえているのかもしれない。私は手元に置いてあったはずのスマートフォンを探した。その時、画面がふたたび元に戻った。

『おーい見浦さん、大丈夫?』

 小野寺さんが、カメラを覗き込みながらこちらに向かって手を振っている。

「あっ見えました。映ってます、大丈夫です」

『何だろうね? 私あんまり詳しくないんだけど、こういうトラブルってよくあるのかな? 初めてだよ~』

「珍しいですよね」

 ほっとして椅子に座り直したとき、背後の床がみし、と軋む音を立てた。次の瞬間、何かが私の肩をぽんと叩いたような感触があった。

 私はとっさに振り返った。何もいない。

『見浦さん?』

 画面の向こうで小野寺さんが不思議そうに言った。

『何かあった?』

「いえ……」

 肩に感触が残っている。小野寺さんに何かが見えたわけではないらしい。でも、確かに肩を叩かれた、と思う。これも私の気のせいなのだろうか。

『大丈夫? なんか見浦さん、こわい顔してるけど……』

 小野寺さんが眉をひそめる。

『あっ、体調悪い? もう二時間以上も飲んでるもんね。そろそろお開きに』

「あのっ、おっ、小野寺さん」

 自分の喉から出た声が信じられないくらい頼りなかった。このまま生きている人間との回線が途切れるのが怖い。何もわからないままこの時間が終わってしまうことが我慢ならなかった。おかしな人間と思われても構わない。

「私の後ろに何か映ってませんか? 何か見えませんか?」

『何か……?』

 小野寺さんは眉をひそめたままの顔で首を傾げる。

『別になにも……その壁にかけてあるジャケットくらいかな? おかしなものは見えないけど。どうかした?』

 スピーカーから聞こえる小野寺さんの声に、答えることができなかった。

 別に何も、と言った小野寺さんの背後に、すっと黒い影が立ち上がるのが見えた。影絵のように継ぎ目なく真っ黒な影が、彼女が座るソファの後ろに立っている。

「お……のでらさん」

 喉がからからだ。「あの、ご家族は」

『ん? 大丈夫だよ。私一人暮らしだから』

「違うんです、その、後ろに何か」

 そのとき、再び画面が真っ黒になった。

 何度呼びかけても画面は復旧しなかった。しばらくして小野寺さんから、スマホにメッセージが届いた。

『なんか調子が悪いみたいだから今日はお開きにしようか。付き合ってくれてありがとう! またやろうね』

 ミーティングはすでに終了していた。私はひとりぼっちになった部屋の中を見渡した。誰もいない。音もしない。肩を叩いた何かの姿も見えない。

(どうなってるの)

 ノートパソコンを閉じ、自分の部屋に戻った。ここは私のテリトリーだ。安全圏のはずだ。

(「気のせい」は私の周りだけで起こるものじゃなかったの? それとも、あれも気のせいなの?)

 確かに映っていた――と思う。黒い影が、なぜか小野寺さんの後ろに立っていた。不吉な予感がした。何か悪いことが進行している、という予感。

(こういうのはよくないんだなって)

 私は小野寺さんの話を思い出していた。

 もしも私の気のせいなんかじゃないとすれば、あれはなのだろうか。

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