ブラックバックベア
セシリア様が戸惑っていたのは少しの間だったようだ。ブラックバックベアの存在を確認した。そしてボク達の動きを確認したようだ。
やっとボクが表情を確認できる距離までは詰められたのだけど。ブラックバックベアのほうが早い・・・か。
状況を確認したセシリア様はボク達の方に向けて走って来る。だけど真っすぐではなく斜めに切りあがるように走っている。矢を番えた状態で走っているのはこのような状態を想定をしているのだろうか。全く迷いはない。
その視線は魔物を全く見ていない。多分ジャネットさんが魔物を止めてくれると信じているのだろう。セシリア様は後衛で弓矢で援護と考えているんだ。
良く考えられている。有事にどのように動くが事前にいくつもパターンを考えていないとできない動きだ。さすがはフレーザー家の一員だ。
ブラックバックベアはセシリア様を未だに追いかけている。これでボクがブラックバックベアに先に接敵できそう。
走りながらも、ちらりと後ろを振り返る。ジャネットさんは思いのほか走るのが得意じゃなさそう。と、いうか単純に鎧が重いのだろう。ボクがブラックバックベアの足を止める必要がある。
走る速度を保ったまま背中に背負った刀を抜く。ブラックバックベアがボクに気づいたようだ。セシリア様を追いかけるのを止めてボクに向かってくる。最低限の役割は果たせた。
ブラックバックベア。目の前にいる魔物の呼称だ。
今回はハイイログマが魔物化したみたいだ。全身灰色の体毛で後頭部から背中にかけての毛皮が黒く変色している。体長は三メートルあるかも。・・でかい。
既に我を忘れているな。見えた生物は全て”襲ちゃうマン”化している。
ボクはこのサイズの魔物を一人で討伐した経験は無い。二人の助力が必要になる。・・助けてくれるよね?と心の中で祈る。
背後でジャネットさんとセシリア様合流したようだ。何かやりとりをしている。何言っているのかは聞こえない。ボクは足止めに集中だ。二人の対応によっては撤退する。。
ブラックバックベアは目の前だ。・・もう逃げる事はできない。
相手は体ごとボクに向かってくる。体力差があるから、その方法は間違いではないだろう。
だが、ボク達人間には知恵がある。猪武者ではないんだ。ああ、ジャネットさんは・・。うん、やめておこう。
ブラックバックベアの間合いに入った瞬間にカットバックして距離を取る。ブラックバックベアにはボクが消えたように見えたかもしれない。体当たりが空振りだ。勢いが止まるタイミングでボクは前に飛び込み刀を払う。この身長差では足しか狙えない。
刀に表皮を切る感触が伝わる。踏み込みが浅いから皮だけしか切れない。が、攻撃は通じる。
再び距離を取ろうとしたときに背後から声が聞こえる。
「どけぇ!」
ジャネットさんだ。鎧の音がやかましいから嫌でも近くにいるのは分かる。サイドステップでジャネットさんの道をあける。
裂帛の気合と共に風鳴音が聞こえる。ジャネットさんの大剣はブラックバックベアの左肩口に落ちる。
が、大剣は通らない。
ジャネットさんは驚いた表情の後に後方にステップする。その近くを何かが通過する。矢がブラックバックベアの耳に刺さる。貫通はしなかったけど矢尻は刺さっている。
ブラックバックベアは荒れ狂っているようだ。咆哮と共にジャネットさんに向かう。ジャネットさんは背後に背負っていた円盾をいつの間にか前に構えていた。
突進を円盾で受け止める。だけど力では敵わないようで後方にとばされる。これは想定済みのようでしっかりと踏ん張り円盾を構えなおす。簡単には崩れない。やはりジャネットさんは相当強い。
ジャネットさんの近くを再度矢が通過する。今度はブラックバックベアの左目付近だ。これは刺さらない。目の周辺は耳より硬いの・・か。
ブラックバックベアはセシリア様を見るが、視線の先にジャネットさんが入る。お前の相手は自分だとばかりだ。ブラックバックベアはジャネットさんに襲い掛かる。そして盾で防ぐ。
この二人は普段からこのような連携を練っているのは疑いようもない。全く乱れが無い。
う~ん、どうしよう。この中に入り込んでよいのだろうか。
このままだと膠着どころかブラックバックベアに押し切られるだろう。なにせ有効な攻撃が無いからだ。
二人に他の攻撃方法があれば試して欲しい所なのだけど。
ジャネットさんはブラックバックベアの攻撃を受けたり、避けたり、誘ったりして巧みにコントロールしている。隙をついて大剣を当てるがやはり刃が通らないみたいだ。
セシリア様の矢も最初の一射は耳に命中したけど。その後は外れたり、当たっても跳ね返っているようだ。やはり毛皮は硬い。
ボクの攻撃は皮一枚だけど通った。おそらく毛の隙間に刃が通ったからだと思う。ボクの刀の刃は細い。隙間を狙うような方法で攻撃した。対してジャネットさんの大剣はの刃は太い。ブラックバックベアの毛に邪魔されてしまうのだろう。矢も同様なのかもしれない。
「おい!ここはアタシが暫く防ぐ。姫様がお前に話したい事がありそうだ。いってこい!」
ジャネットさんがブラックバックベアを抑えながらボクに言う。見るとセシリア様が手招きをしている。何か作戦があるのか?撤退しろか?
急ぎセシリア様に向かう。
「呼ばれましたか?」
「ジャネットに言われたのか?全く、このような時に丸投げしたか」
「はい?どういう事でしょう?」
「まあ良い。一度しか言わぬ。現状のままだと撤退は難しい。あの魔物を止める手段が我々にはないからだ。これは分かるな?」
「ええ、落とし穴を掘っておけば誘導できたでしょうが。まさかこれ程の大物だとは思ってませんでした」
「落とし穴か・・。確かにな。我らもここまで大物の魔物とは想定しておらなんだ。これを三人で対処しないといかん。これも分かるな?」
「はい。お互いに有効な攻撃手段がありません。足止めしたいのですが有効な手段が現状無いです」
「・・違うな。お主にはあるだろう。我らも節穴ではないぞ。その剣は見た事がない形状をしている。細い割にはあの魔物には通じておるだろう?」
「見ておられましたか。はい。刃が細いので毛の隙間に刃が通ります。上手い事急所に入れば倒せなくても、相応のダメージは与えられるかと。それで逃げ切る事はできるかもしれません」
「ダメージとは?足の一本は落とせるという事か?」
セシリア様は真剣に話してくる。今はジャネットさんが防いでくれているけど限界はある。最低限足止めはしないといけない。
・・その手段はあるのだけど。ボクは倒す事を考えていた。足止めの攻撃も中途半端では通じない。倒すつもりで対峙しないとダメだろう。
ボクの刀ならブラックバックベアに有効な攻撃ができる。急所への一撃がうまく通れば倒せる可能性が高い。その手段も勿論準備できる。
できるんだけど・・・後が怖い。
この方法を使うとかなりの確率でボクは気絶するだろう。魔力切れを起こすだろうし、極度の集中をするため脳が強制的に休息を求める可能性が高い。と、いうかなると思う。
気絶した時に一人で放置されるのが怖い。
放置で済めば良い。最悪はこの二人に無抵抗状態で殺されるかもしれない事を考えてしまう。放置され群れなす野犬に襲われるかもしれない。・・リスクが多すぎるんだ。
ク・・・アレがいれば・・・。
・・・迷う。
どこまで信じて良いんだろう。
このまま逃げ切れないのも事実だ。捕まれば間違いなくブラックバックベアに殺されてしまうだろう。
・・。
戦うしか・・ない。
・・信じよう。
刹那の間に決める。
ボクはセシリア様を見る。ヘーゼルの瞳には理知的だ。この急場でも冷静な事に安堵もする。この綺麗な瞳を見るのはここ数日になってからだ。
多分・・セシリア様はボクを少しは認めてくれている。
ボクも信じよう。その信を裏切られたら・・諦めよう。もうこの世界では生きていけない。
「はい、上手くいけは倒せます。ですが相当の無理をします。連撃で倒します。それが止まったらボクは限界です。すぐに行動不能になります。ブラックバックベアを最低限手負いにする事はできると思います。その隙に逃げてください」
「それれはお主は助からぬのではないか?」
「そうですね。上手くいけば倒せるはずです。それなら大丈夫なのでは?ともかく隙は作ります。その間にジャネットさんと退却してください」
一礼をしてブラックバックベアに向かう。背後から声がかかる。
「攻撃が上手くいかねば逃げよ。せめて逃げる余力だけ残せ!よいな?!」
「え?それは・・」
「そのままの意味だ。全員で生きて戻るぞ。全てを諦めたようなお主の目を叩きなおしてやるからな」
セシリア様は微笑む。
・・・驚いて体が動かなかった。まさかそんな言葉を掛けられるとは思わなかった。
じんわりと温かいものが流れる。
うう・・。
ボクは強引に目を擦る。視界が確保できないからだ。それに気づいたセシリア様はにっこりと笑う。
・・・やばい。・・・・。
ボクは再度一礼をしてブラックバックベアに向けて走る。手首に巻いている腕輪の探知魔法とは違う魔石を操作する。この魔法がボクの隠し玉だ。魔力を注ぎ魔法陣を起動する。この魔法は発現に時間が必要だ。
準備中にブラックバックベアにジャネットさんは吹き飛ばされてくる。体格が違うので受け止めるのは無理。支えるように手を添える。
ボクの存在に気づいたジャネットさんは気まずそうな表情になる。
「セシリア様を護ってください。ブラックバックベアはボクが食い止めます。その間に撤退をしてください」
「・・すまぬ。後は頼んだ。だが無理をするなよ」
驚きの気持ちを持ちながらジャネットさんとすれ違う。この人もボクの見る目をかえてくれたのだろうか。
・・できれば生き残りたいな。
近づくブラックバックベアを観察する。
ジャネットさんはよく防いでいた。だがダメージは殆どないようだ。あの毛皮の防御力は凄い。ダメージがないからノーガードで攻撃してくる。
だけどボクの刀は攻撃が通るんだ。それをブラックバックベアが覚えているかだ。それと体格差を利用する。
ステップを変えて側面に回り足元に今度は刀を突き刺す。ブラックバックベアは前への突進速度や圧力は凄い。だが横や後ろの動きは鈍い。
やはり攻撃が入る。骨にまで突き刺さる感触が手元に伝わる。素早く引き抜き背後に周り、再び突き込む。これもきっちり入る。膝裏の関節か腱を削る感触が伝わる。
ブラックバックベアは咆哮しながら前足を振り回す。身長差があるからギリギリ掠った程度。大丈夫!当たってない!
体を低くしてダメージを受けた膝関節を狙う。何かを破裂する感触が伝わる。
同時にブラックバックベアの体が崩れる。右後ろ脚を破壊できたか。ブラックバックベアの咆哮がうるさい。ダメージが入っている証拠だと思おう。
ブラックバックベアは完全にボクに狙いを定めたようだ。これだけダメージを与える相手を放置できないと判断したんだろう。
ボクが距離を取ってもセシリア様達に見向きもしない。怒りの矛先は完全にボクに向いている。
・・これで二人は逃げる事ができる。
ボクも逃げ切れるかもしれない。でも逃走に馬は使えない。近くにないからだ。足一本を破壊したからといってブラックバックベアの速度が落ちるのは期待できない。
その前にボクの体力が持たないな。既に息が乱れ、目が眩んでくる。もう、持たない。
ここで決着をつける!
セシリア様が言う”全てを諦めたような目”というのは良く分からない。こんな世界だ。ボクの命はボクが自由に使う。誰もボクを待っていない。
背中に差したままの杖を取り出す。魔法の準備は出来ている。
「スイッチ」
魔法陣が魔力の渦に変わる。この渦を杖に纏わせる。
ブラックバックベアに向かって走る。相手は動かず迎え撃つ方法を取る事にしたらしい。肉を切らせて骨を切るか。狂暴化している割には理性的だ。
構わず進む。右手で持った刀で牽制しながら杖をブラックバックベアの後ろ脚に突き込む。ぐちゃぐやに破壊したから杖でも刺さる。そして発現のキーワードを唱える。
「震霆(サンダー)」
鈍い音、バチバチと弾ける音。ブラックバックベアは硬直する。
高電圧の電流を瞬間的に流す魔法だ。結構えげつない魔法だ。当然人間相手には使った事が無い。ブラックバックベアの肉が焦げる臭いがする。直接流したから相当なダメージが入っただろう。
ブラックバックベアはゆっくりと倒れてくる。口から煙のようなものが出ている所から相当に効いているだろう。すかさず開いた口元に向けて刀を突き込む。手ごたえが伝わる。
やはり口の中はノーガードのようだ。刃は骨を突き抜け脳を確実に破壊した感触が伝わる。魔物も魔物化前の身体特徴は残っているので弱点は変わらない。
上手く倒せたみたいだ・・・。ある種の満足感で満たされる。ボクの力でなんとか倒せた。
体が震え、意識が保てない。
ブラックバックベアが完全に動かない事も確認できず、ボクは意識を失う。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます