#02 A thief? No,he is God.

  海に向かって伸びる、数ある小路こうじの一つにチカゲとヴェルザンディが入った。大きな通りとは異なり、薄暗く、人通りは少ない。

 彼らは、その通りにある黄色い壁の三階建てアパートに住んでいた。

 鍵を開け、木目の綺麗なドアを開けると、鈴を鳴らしながら、黒猫が出迎えるように走ってきた。

 靴下を履いたように脚の先は黄金色で、首元には青い首輪。琥珀のような黄色の双眸を持つ大きな猫だ。


「お〜。雷神ソルソル。ただいま」


 ヴェルザンディはぬいぐるみを脚で挟みながら名前を呼び、嫌がる猫を抱っこした。猫が離せともがくが、お構いなしに頬擦りをする。


「荷物を置いたらすぐに出るし、ヴェルはここで待ってて」

「ん、わかった」


 チカゲは赤いマットの上で黒のブーツを脱ぎ、中に入る。

 ダイニングキッチンに近づいた時、異様ながした。きちんと鍵を掛けていたので、部屋に誰も入ることができないはずだ。

 不審に思い、足を止めて息を潜める。


「うまっ」


 ——うま?

 咀嚼音そしゃくおんのようなものも聞こえ、明らかに誰かがいる。

 意を決して奥へ進むと、ダイニングテーブルに人影が見えた。


「……あ」


 薄い檸檬れもん色を基調とし、ピンクや紫の蝶が描かれた花魁ドレス。腰元にはワインレッドの大きなリボンが付いた帯を締め、『羅生異端録らしょういたんろく』のヒロイン、葛の葉ツキコの格好によく似ている。

 まさかと思いつつ、チカゲはよく目を凝らした。

 左右にある、黒髪の長い三つ編み。白い肌に目尻の赤いアイシャドウがよく映える。一見、女にしか見えない。

 ——やっぱりあのか。

 溜息をついたチカゲに気づき、紫水晶に似た眼と視線が合う。


「おかえり、インクちゃん」


 姿は女に似ても、声は男そのもの。


「……ロキ様……」

「様付け禁止!」

「いや、神様を呼び捨てなんて無理でしょう」


 ロキは巨人族でありながらオージンと義兄弟となり、神族の扱いである。

 神らしい気品がない彼は、自分の家のように他人の家で寛いでいた。

 窓側のイスに脚を組んで座り、はだけた花魁ドレスから白い脚が露出する。

 チカゲは、その脚が履いている赤いヒールを凝視した。この部屋は土足禁止だ。

「ハム、美味しっ」ロキの手には、牛肉のハムとキュウリ、チーズを乗せたライ麦パン(黒パン)がある。先程聞こえた咀嚼音はそれだろう。


「……」


 チカゲは持っていた紙袋をヴェルザンディの部屋に置くと、僅かに開いている冷蔵庫のドアを勢いよく閉めた。

 黙々と食べ続けるロキをじろりと睨みつける。


「どうして勝手に人ん家に入って、食べてるんですか」

「そりゃーお腹が空いたら人間も食べるだろ? 神も同じさ」

「いや、答えになってませんから」


 ロキが最後の一口を頬張り、ブラックカラントの紅茶を飲み終えた頃に、ぬいぐるみを頭に乗せたヴェルザンディがソールを抱えて入ってきた。


「チカゲー、まだ〜? ……て、邪神じゃねえか」

「ああん⁉︎」


 ヴェルザンディがロキを邪神と呼んだ瞬間、彼はクワッと仏頂面に一変した。持っていたカップを、思いきり彼女に投げつける。

「ん」ヴェルザンディは猫を両腕で抱えたまま、器用に指を鳴らした。

 その音と同時に、その白いカップはヴェルザンディの額にあたる寸前で止まった。その紅茶の雫も。

 その隙にソールは腕からすり抜け、逃げるように玄関の方へと姿を消した。

「ソルソル〜」黒猫を目で追ったあと、彼女はそのカップで雫を掬い、テーブルに置く。


「この女装姿の時は、邪神と呼ぶなって言ったじゃん!」

「むしろその姿こそ、よこし——」

「ヴェル、黙ってなよ」


 さらに煽るような言葉を吐くと勘づいたチカゲが、彼女の口を手で覆った。下手に刺激をして、カップ以外のものを投げられても困る。

 大人しくなったのを見計らって手を離すと、彼女は口を尖らせていた。

 小腹が空いたのか、ヴェルザンディはぬいぐるみを抱き、冷蔵庫を開けて物色し始める。


「で、なにしに来たんだよ、ロキ。用事があるんだろ?」

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