Chapter01 I’m fine,thank you.And you?

#01 Verthandi

 二〇二〇年七月九日。結婚式の前日。

 北欧のスウェーデンには旧市街地と呼ばれる街がある。

 その街は黄やオレンジ、赤など暖色系の外壁を持つ建物が多く立ち並び、古い街並みが広がっていた。

 直線をひくように伸びる石畳の通りには、観光客向けの土産店を始め、カフェ、レストラン、アイスクリーム屋などの店が並ぶ。

 土産店には、キッチンタオルやトレイなどの小物類が多く売られており、葉、花などの自然のデザインで溢れていた。それを見ながら歩くだけでも楽しいと、もっぱらの評判だ。

 観光客のさまざまな言語が飛び交う中、たくさんの荷物を持つ男と手ぶらで歩く女がいた。

 伏し目がちな男は、跳ねるような癖毛の黒髪と濡羽色の眼を持つ。スウェーデン人と日本人のミックスルーツの顔つきで、慣れた道を歩いていた。

 おもむろに彼は店の窓ガラスに映る自身の身だしなみを見た。


「……」


 白いカジュアルシャツに、黒いアシンメトリーのラップスカート。その下に同じ色のパンツを穿いている。

 首元に巻いているチェック柄の赤いストールが、どうにも息苦しい。荷物を持った手でストールを緩めた。


「ま、いっか」


 窓ガラスを見ながら、ストールの形をもう少し整えたかったが、手荷物が邪魔で諦めた。

 旧市街地の夏は、滅多に二十五度を超える日はなく、特に朝と晩は冷える。彼以外にも薄手のセーターを羽織っていたり、または持ち歩く人が多かった。

 チカゲは漫画とフィギュアなどのグッズが入った紙袋を両手に持つ。脇に挟む男のキャラクターのぬいぐるみを直そうとしたところ、不意にそれを横から奪い取られた。


「チカゲ! 荷物が多そうだからはワタシが持ってやろう!」


 膝下まで伸びた白い髪を靡かせながら、女はレンのぬいぐるみをぎゅっと抱きしめ、屈託のない笑顔を見せた。


「あぁ、ありがとう」

「んーいつ見ても格好いいねェ。このポーカーフェイスが乙女心を鷲掴みにするんだよなァ。決め台詞の『今宵、お前は小鬼に討たれて桃源郷へ。怨み、妬み、すすで汚れし心、洗い流すは茨木童子が振るう妖刀なり』て言うレンきゅんが、マジでカッコ良すぎる……! あァーーーーん、やっぱ等身大パネル、貰っとけばよかったかなァ〜」

「いくらヴェルが欲しいって言っても、あれは売り物じゃないから無理だって」


 キャラクターのセリフを真似する声が本物とそっくりで、チカゲは困惑した。隣で無邪気にぬいぐるみを抱きしめるの彼女に、何度も諦めろと釘を刺す。

 ヴェルザンディはそのサファイアのような青い瞳で彼を見上げた。


「ワタシは現在と必然を司る女神、ヴェルザンディ様だぞ? ワタシにできないことはないぜ」


 チカゲとお揃いのアシンメトリーなフレアスカートをひらりと揺らし、前に出た。

 長袖の黒いワンピースにウエストベルト。人間を超越するようなプロポーションは、まさに女神のようだ。

 この世界には、絶対的な魔法や魔術を駆使するヴェルザンディのような神族と、神々に守られるだけの非力な存在チカゲなどの人間族、魔術や身体能力の長けた巨人族が存在する。

 自慢げに言うヴェルザンディに、チカゲは眉を寄せて目を細くし、困った表情を浮かべた。


「この荷物をアパートに置いたら、すぐに食料の買い出しに行くって言ったよね。いくら等身大パネルが欲しくても、もう『Heaven Heaven』には引き返さないよ」

「あああああ⁉︎ レンは荷物じゃない! 宝物だ!」


 ポカポカとチカゲの腹を軽く殴る。

 その声は高く、いかにも女らしい。オタクモード限定で、気分が良いからこそ出せる高音である。

 重度なオタクではあるが、目の前にいる女は女神だ。

 本来の彼女は邪魔する者に容赦がなく、その言葉遣いや態度も荒々しい。そして絶対的な魔法は強力で、死神かと思うほどに簡単に命を奪う。

 そんな女神とオタクモードである彼女のキャラクター性の大幅な差に、最初チカゲは戸惑ったものだ。


「はいはい。そうだったね」

「買い物って、真っ直ぐ行った先にあるスーパーで買うんだろ? 一回帰るのも面倒だし、スーパーに寄って帰ろうぜ〜」

「ヴェルがこの宝物を持ってくれるなら、それでもいいけど」


 紙袋四つ分と、ヴェルザンディが抱えているぬいぐるみ。


「ええっ⁉︎ その量を⁉︎」

「この宝物を持って、さらにスーパーで買った荷物を持つなんて、いくら俺でも無理だよ」


「む、むむぅ」ヴェルザンディは頬を膨らませ、むくれた。

 一方チカゲは、両手の荷物を見せびらかすように彼女の前に出す。彼女に勝てる秘策があるらしく、自信満々な笑顔を見せた。


「ヴェルが持ってくれないんなら、この宝物をお店に? そしたらスーパーの荷物は俺が持つよ」

「それはダメ! ぜーーーーったいダメ!」


 両手で大きなバツを作って、断固拒否。まさかグッズを質に取るだけで、ここまで効果があるとは。

 ヴェルザンディの反応にクスリと笑い、歩き出す。

 チカゲの背中に向かって、彼女は思いつく限りの言葉を吐いた。


「レンきゅんを利用するなんて卑劣だぞ! 汚い! それが人間のやることか⁉︎ 神の冒涜ぼうとくだ!」

「ごめんごめん。もう言わないから。宝物を置きにアパートへ帰ろう?」

「仕方がない。これもまたレンきゅんの為……」


 フンヌフンヌと、鼻息が荒い彼女も歩き始める。


「本当、ヴェルって『羅生異端録らしょういたんろく』が好きだよね」

「どのゲームもアニメも漫画も大好きだが、『羅生異端録らしょういたんろく』だけは別格だ! 仲間を集めて打倒ヤマモト! 高校生のくせに格好いいんだよ!」


 感情が高ぶり、ぬいぐるみを抱きしめる両腕がプルプルと震える。

 あ、これ、話が長くなる奴だ、と気づいたチカゲは「ハハ〜」と笑って流した。

 日本のメーカーが発売した『羅生異端録らしょういたんろく』とはRPGのゲーム。その主人公の茨木レンは、昼は高校生、夜は祓い屋という二つの顔を持っている。

 東京に住み着いた、悪い大妖怪ヤマモトを祓おうとするが、力の差は歴然で大敗してしまう。そこで仲間を集め、絆を育みながら、大妖怪ヤマモトを倒すという王道なストーリーだ。

 日本ではそのゲームが漫画化、アニメ化までされている。

 さらに、去年の二月には真エンディングではないかと噂される、別エンディングが追加された『羅生異端録らしょういたんろく・椿』の発売が発表された。


「そういえば去年に『椿』の発売が二〇二〇年の冬だって発表されてたけど、延期になったんだって?」

「そうなんだよォ〜二〇二二年だって。良い作品を作る為とはいえ、待ってる身としてはつらい」

「あと二年か。まだまだだね」

「……その二年後が来るんなら、大人しく待つんだがなァ」


 その声色は嫌に大人しく、神妙な面持ちで古い石畳を見つめている。

 そんなヴェルザンディを一瞥いちべつしたあと、チカゲは建物と建物の間から見える、狭い青空を仰いだ。

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