黒の花嫁 —Rewrite the original text—

蒼乃悠生

Prologue Black bride


 白い髭をたくわえた牧師の穏やかな声が、教会を木霊こだまする。


「チカゲ・リンデル。あなたはイングリッド・ホルムルンドを妻とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。二人の魂はいつも共にあると誓いますか?」


 チカゲ・リンデルと呼ばれた男は二十代中盤で、癖毛の黒髪を持ったスウェーデン人と日本人のミックスルーツである。



 二〇二〇年七月十日。教会で結婚式が行われていた。

 教会の中は高い天井と一面真っ白な内装で、ガラスの窓と太い柱だけのシンプルな造りである。神聖な雰囲気の中、数十人の参列者が長椅子に座る。

 白いバージンロードの先には、真っ白なAラインドレスを身にまとった新婦と、グレーのタキシードを着た新郎のチカゲが立っていた。

 彼は伏し目がちな濡羽ぬれば色の眼を牧師に向け、ゆっくりと口を開けた。


「はい、誓います」


 言葉を受け取ると、牧師は新婦に目を向けた。


「イングリッド・ホルムルンド。あなたはチカゲ・リンデルを夫とし、神の導きによって夫婦になろうとしています。二人の魂はいつも共にあると誓いますか?」

「はい。誓います」


 二十代前半の彼女は、ベール越しでも目立つ赤い唇をほがらかにする。


「それでは誓いの印として、指輪の交換をします」


 牧師は木箱に入った二つの指輪を前に出した。

 イングリッドは黄色の花で作られたブーケをブライズメイドに預ける。

 新郎と向かい合う際、左腰の真っ赤な薔薇から伸びる、三つに分かれたシルクのフリルが揺れた。その花の色は不自然なほどに映える。まるで赤い血を連想させるように。

 お互いの薬指に指輪をはめると二人は手を取り合い、牧師は聖書を開いた。

「お祈りします」牧師は神に祈りの言葉を捧げ、挙式は順調に進んでいく。


「ベールとは邪悪なものから守る魔除けの意味があります。そのベールを上げるということは、新郎が代わりに新婦を守っていく決意の表れです」


 チカゲは彼女の顔を隠すベールをゆっくりと上げた。

 緩やかなウェーブの金髪に長い睫毛。青い瞳。赤い唇——全てが女神のような優美さ。

 彼女は大きな双眸に新郎のみを映し、微笑んだ。


「誓いのキスを」


 広い教会に牧師の声が響く。

 静かに見守られる中、チカゲは肩に手を置き、ゆっくりと顔を近付けた。

 唇と唇が重なる直前——


 パンッ


 一発の発砲音が教会に鳴り響く。

 チカゲの体は傾き、力が抜けたように倒れた。




「きゃあああああああああ‼︎」


 誰からともなく悲鳴をあげた。

 二人の門出を祝福する場が惨劇さんげきの地へと一転し、人々はただ青年から逃げるように扉の方へ走った。

 逃げ惑う参列者の中で、ブラウンの髪の青年だけが立ち尽くす。新郎を凝視ぎょうししながら、自動拳銃を構える手が震えていた。

 呆然ぼうぜんとする中、拳銃が落ちる。

 その音で我に返った青年が、倒れた新郎に向かって叫んだ。


「俺は悪くない! リン……リンデルは人間じゃないから……最高神オージンが殺せって言ったんだ!……だから、俺は何も悪くない……!」


 殺人を犯したという罪に、青年は体の震えが止まらなかった。

 イングリッドの視線が向けられたことに青年は気づく。


「お前、良い眼を持ってるな」


「ッ!」イングリッドの低い声に、悪寒が全身を駆けのぼる。彼の本能が彼女の異質を感じ取った。

 憎しみも怒りも悲しみもない好奇心の色が、彼女の瞳の奥に見え隠れしていた。

 青年を笑うように、彼女は青い双眸そうぼうと唇を歪めた。


「クソッ!」


 青年は強張る体で身を翻そうとするが、足が動かずに尻餅をついた。

 目の前には、落とした拳銃。

 もう一度手に取って撃つべきか、悩んだ時だった——


「頭、撃たれた」


 チカゲはそう言って、体を起こした。その頭からは一滴も血が流れてない。


「神の言う通りだ……やっぱりリンデルは人間じゃなかったんだ……!」


 青年は気が狂いそうな目でチカゲを凝視した。

 頭を撃たれ、普通なら死ぬはずの人間が、頭をぶつけただけのような調子で喋る。これではまるで——


「アンデッド」


 青年の思考を読み取ったかのように答えるイングリッド。


をアンデッドだと言いたいんだろう?」

「な、んで……」

「残念だがハズレだ、青年。こいつはそんな野蛮なもんじゃねえ。それにしても直接的な殺人……悪を滅ぼす、人類の救済者になれ、なーんてオージンに言われたか? くん」


 拳銃に見立てた左手を頭に当て、彼女は悪い顔で笑いながら首を傾けると、金色の横髪がさらりと輪郭に沿うように落ちる。

 落ち着いた様子で、チカゲが口を開いた。


「無事にが終わって、契約は完了したけど、案の定オージンが邪魔してきたね」

「ああ。こっちは人間の文化に合わせて結婚式を挙げただけなのに、ただの人間を使うなんて、相変わらず命をなんとも思ってねえな、あのオージンクソジジイ

「結婚式——契約式で被害が出ないように、嘘をついての名前と姿を変えたのに。あの人には悪いことをしたよ」


 イングリッドとは偽名だった。

 チカゲはに耳打ちをする。長めの前髪から覗かせる濡羽色の双眸は、ただ無機質だ。

 チカゲが何かを伝え終えると、彼女はパチンと指を鳴らした。

 その瞬間、彼女の金の髪は雪のような白色へ一変する。

 黒いリボンと一緒に結ばれたクラウンブレイドの左には、黄色のプルメリアで飾られ、その長いリボンは髪と共に靡く。

 そして純白なウエディングドレスは漆黒へ、赤い薔薇は青い薔薇へ一転し、まるで天使から魔女になってしまったような変貌だった。


「黒の、花嫁」


 悪魔に魅入られたように、青年の目は花嫁に釘付けになった。

 心を奪われかけていたことに気づくと、躊躇ちゅうちょなく目の前の拳銃を手に取り、立ち上がる。

 はつまらなさそうに口をへの字に変えた。


「今度は私を撃つか?」

「お前はだ……! は大人しく滅びろ!」


 青年は何度も引き金を引いた。弾を撃ち尽くすまで。

 だが、新郎新婦を撃ち抜くことはできなかった。銃弾は宙に浮き、一斉に床に落ちて転がった。

 拳銃のスライドが後退し、引き金が動かなくなっても尚、引き金を引き続けたが、諦めて拳銃を投げつける。「ああああ! クソ!」


「そろそろ終わりにしてやるか」

「嫌だ……死にたくない!」

「魂にオージンの刻印をつけられたお前は、使い捨ての駒、ウールブヘジンになってしまうだろう。可哀想に」


 はニタァァと笑った。

 それを見た青年は、無我夢中で彼女から逃げた。少しでも遠くへ。

 しかし、突然彼の足は止まった。暫くすると体が膨張し、凹凸状に変形していく。


「痛い痛い痛い! 何が生えてんだ……拳銃……? ふざけんなよクソが!」


 ぐにゃりと体の輪郭が歪み、肌から出てきたそれを抜こうとするが、全く動かない。それどころか、次々に異物が増えていく。


「何で俺の体から拳銃が生えてくんだよ……⁉︎」


 肌を突き破ってきたものは銃身だった。

 その様子を眺めていたは、フンと小さく鼻を鳴らす。


「今回のウールブヘジンは、巨人化した体に豊富な武器、か。まさしく人間兵器だな」

「俺……どうなるんだ? 死ぬのか?」

「心配するな。誰だって最後は死ぬ。お前は二度と人間に戻れないまま死ぬだけだ」

「助けてくれ!」


 青年が死を自覚した途端、目から流れる涙が全て弾薬となり、不安と恐怖を混ぜたような顔をした。

 体から生える拳銃は、無差別に発砲し始める。

 そのうちの一つがの長い白髪を揺らした。

 教会の壁を撃ち、長椅子を壊し、ガラスは割れる。教会を支える大きな柱もヒビが入り、崩壊するような嫌な音が鳴った。


「死にたくない! 死にたくないんだよ! 助けてくれよ!」

「もう遅い」

「そんなこと言うなよ、見捨てないでくれ……怖いんだ!」

「オージンに刻まれた刻印はもう過去のことだ。現在を変えることはできねえ。クソジジイに選ばれちまった運命を呪うしかねえな」


 苦痛から逃げるようにもがくが、体から生える拳銃は発砲を続ける。撃つたびに血液を消費し、次第に体が白く、痩せ細っていった。


「体が痛い……苦しい……助けて、くれよ」

「オイオイ。まだ悪魔に助けをうのか?」

「クソ悪魔が調子に……のるな……」

「本当の救済者の名前くらい覚えとけ。ワタシは現在と必然を司る女神——ヴェルザンディ様だ」


 ヴェルザンディは右手を目前に出し、親指と中指を付ける。


「《不憫な彼に永遠の夢を》」


 ヴェルザンディは指を鳴らすと、発砲は止まり、青年の体が一瞬で塵と化した。

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