#09 Do you know how to use a fork?

『オイオイ。オマエはまだ死ぬ予定じゃあなかったはずだが』


 聞き覚えのない女の声。

 チカゲは目を開けると、黒いドレスの女に抱えられていた。風で揺れる白髪と黒いリボン。黄色のプルメリアの花が月の光を浴びていた。

 訝しむような表情の女は、青い眼でチカゲを凝視ぎょうしする。だが、瞬き一つで神妙な面持ちに一転した。


『ワタシは現在と必然を司るヴェルザンディ。人間における運命の糸の長さを選定する女神だ』


 愛想なく、淡々と説明する。


『とにかく、まず部屋に戻るぞ』


 チカゲは頭が混乱し、返事ができない。

 下を見れば、人が道路を歩いていた。視界に映る通り、足に床がついている感覚はなく、浮遊しているようだ。

 チカゲを抱える女は、本当に女神という存在なのだろうか。

 ——いや、まさか。

 ワイヤーで吊るされているのではないかと、彼女の頭上を手でかざしてみるが、それらしき物はない。


『……宙に浮いてる?』

『やっと喋ったと思ったら、そんなことか。チカゲ・リンデル』


 彼女はチカゲを窓から押し込んだ。

 あまりの乱暴な扱いに顔から床に落ちる。痛みで顔を抑えながら、窓枠に座る女神を見上げた。


『どうして俺の名前を知ってるんだ』

『だから言ったろ。ワタシは運命の女神だって。女神の眼を持ってすりゃあ、オマエの名前くらいすぐわかるぞ。固有名称がないと呼びづらいしな』

『……死神?』

『オイ、ひとの話を聞いてんのかよ』


 ジトッと見てくるチカゲの頭を、軽く叩いた。

 力の加減がされていたからか、痛みはない。チカゲの頭上には、疑問符が浮かんだままだった。


『まだ死ぬ予定じゃねえ奴が死のうとしてたから、引き止めに来たんだよ』

『は? じゃあ——』


 チカゲは力任せにヴェルザンディの胸ぐらを掴んだ。


『何でヴィヴィは死んだ? ヴィヴィは死ぬ予定だったって言いたいのか⁉︎』


 激しい剣幕を見せたチカゲに驚くこともなく、ただ清流のように静かな眼差しで返した。


『ヴィヴィって奴は中央駅の前で車に轢かれた女だろう? まあ、日付的にはだったな。だが——』


 ヴェルザンディは視線を落とし、腰元の青い薔薇に触れる。花弁を広げ、よく見えるように。


『ワタシはそんな《死の祝福》を贈ってねえ』

『《死の祝福》?』


 チカゲは眉根を寄せた。


『そうだ。まず《死の祝福》とは……人間にわかりやすく説明するなら、魔法だ。魔法を込めた言葉を相手に贈ることで、言葉通りに世のことわりを動かすんだ』


 魔法ってのは各々しか扱えないもので、魔術ってのは方法と知識さえ知っていれば誰でも使える術のことな。ルーン魔術が有名だぞ。

 ヴェルザンディは補足を加えて、親切に説明した。


運命の三姉妹ノルニルは種族関係なく、命ある者全員に運命の糸を紡ぎ、長さを決め、決められた長さに裁断する。もちろん、その死に方の内容を決めるのもワタシらの仕事だ。それを《死の祝福》と呼ぶ。ヴィヴィという人間に、《愛する者の前で車に轢かれる不幸な死》は送ってねえんだよ』

『でも、確かに車に轢かれて死んだ!』

『だから変だなと思って人間族の国ミズガルズに降りてきたんだよ。そしたらチカゲ・リンデルも死のうとするしよォ。破茶滅茶じゃねえか』


 フンヌッフンヌッと、苛立つように鼻息を荒くする。

 信じられないといった様子のチカゲを見て、クルクルと髪の先をいじり始めた。


『ま、こうなった原因は大体予測はしてんだがな』


 パッと髪から指を離す。その指でパチンッと鳴らした。


『ギャッ……』


 チカゲの背後から小さな悲鳴が聞こえた。チカゲが振り返ると、銀色のフォークが三本、彼の影に刺さっていた。

 ヴェルザンディは窓辺から降りる。チカゲに一切目を向けず、コツコツとヒールの音を鳴らしながら歩み寄った。

 フォークを掬うように持ち上げると、先端に黒い人形が突き刺さっていた。


『何それ……?』

『神の玩具だ』


 腹にフォークが刺さったまま、人形は動かない。

 ヴェルザンディが指で突き、動かないことを確認すると、ふっと息を吹きかけた。白い砂となって、空気に溶ける。


『オマエの運命を狂わそうとしたのは、この黒人形。オマエに愛しき女の幻聴を聴かせて、死へと誘おうとした張本人』

『俺の名前を呼んでたのはヴィヴィじゃなくて、この黒い人形……?』

『そーだ。ったく、簡単に騙されやがって』


 そう言いながら残りのフォークを引き抜くと、両方に黒い人形が釣れた。

 ギイィギイィと鳴きながら、手足を動かすが、逃げる力は残っていないようだ。次第に動きが鈍くなっていく。


『この人形からオージンのがプンプンする。操ってたのはオージンで間違いないな』

『なら、ヴィヴィを事故に遭わせたのは……』


 チカゲとヴェルザンディの目が合う。


『オージンだな』


 目を細め、ヴェルザンディの真っ赤な唇が三日月型に変わる。

『とりあえず、だ』と、ヴェルザンディは改めてチカゲを見遣った。


『オマエはまずよく寝ろ。元気になれるもんも、なれなくなるからな。それに物凄く臭いぞ!』

『臭い⁉︎ ちゃんとシャワーを浴びてるよ。……何だか人間みたいなことを言うんだな』


 そう言う割には気になるのか、チカゲは着ている衣服を嗅ぐ。

『はあ?』片眉を寄せながら、ヴェルザンディは空のフォークをチカゲの影に投げた。フォークは影に飲み込まれるように消える。


『だって君は女神様なんだろう? てっきりもっと傲慢ごうまんで、人一人の命なんてどうとも思わないのかと思った』

『神もそれぞれってことだ。つか、もう死のうとするなよ。じゃーな』


 たったそれだけを言うと、ヴェルザンデは窓から外へ飛び降りた。

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