最終話 『真なる歌は、我が名と共に』 その7
「ありがとう。努力するとしよう」
その言葉をジーンが口にしてくれたので、メリッサは納得してやることにした。暴走しないように監視は続けたいところだが、情報も素直に教えてくれたのだから。
「戦術を練り直す必要もありますが、戦力の確保も同時にしなければなりませんね」
「手紙を書くよ。エルヴェ陛下に、戦力を集めろと」
「お願いします。一秒でも早く、この脅威を皆が知るべきですからね」
「……ああ」
メリッサはジーンの目の前に、伝書鳩の足にくくらせるための暗号用の紙片を差し出した。続けざまに、筆ペンも。まるで、普通のメイドのように従順な動きであった。
「素直にメイドをしている君を見るのは、新鮮だね」
「心外な評価ですよ。私は、いつだってメイドをしています。戦士として生きることが、私の主要な役目ではないのです。メイドとして、アレサお姉さまの研究をサポートすることが、最も優先すべきこと。いつだって、お姉さまのメイドなんです」
「助かっているよ。それ以外の仕事も、多くこなしてくれて。今日も、ご苦労さま」
「いいえ。自分らしく生きているだけなので、いたわれる言葉をかけていただく必要はありません。暗号文……私が、書きましょうか?」
「オレが書くよ。君も、休んでくれ。長距離の移動。冬の風のなかでは、いくらザードの背に乗っているからと言え、寒さがこたえたはずだからね」
筆ペンをつかみ、それを走らせ始めながら、ジーン・ストラウスはウインクをした。緊張感からメイドを解き放ってやりたいと考えているのだ。ジーンもまた、戦士であることが本質ではない。立場が、そう振る舞うことを義務としているだけで。
「……たしかに、移動も戦いも疲れました。でも、それ以上に、驚いて疲れたのは、お姉さまが戦ったことと、出産なさったことです……」
「すまない。守ってやれなかった」
「何度も、謝って欲しいわけじゃありません。そんなことよりも、無事に赤ちゃんたちが産まれて、ホッとしましたよ」
仕えるべき子供たちの姿を思い出して、メリッサは微笑みになる。若い乙女にとって、あの新しい命たちは、何とも魅力的であった。
「……私の子供のように、思えてしまうのです」
「そう感じてもらえることは、幸せだよ」
「はあ、本当に……可愛いですね、赤ちゃんたち!……おめでとうございます。ジーンさん。お父さんに、なれましたね」
「ああ。アレサのおかげで、父親になれた。オレは、『ラウドメア』を倒してから、何か新しい責任や立場を背負うことを遠ざけるようになった。英雄として生きることは、重たくもある」
「そう、なのでしょうね」
「だが。違った。父親になることは、なったことは、立場を与えられたあらゆる瞬間とは異なっている。自分で、求めているし……アレサや、あの子たちがいてくれたから、ようやく叶えられた願いだ。この幸せは、しがみついて放したくないよ」
「いい言葉ですよ、ジーンさん」
「……こんなに、幸せな日はない」
微笑む。
ニヤリと口もとを歪ませて、メリッサが見たことのあるどんな男の目よりもやさしい瞳になっていた。
その父親の顔に、罪悪感を覚えてもしまう。
自分が暗号文を代わりに書こうと申し出た理由に、メイドは気づいた。
「こんな幸せなときに、物騒な仕事をさせて申し訳ないですね」
「いいのさ。翼将として、アレサの夫として、ストラウス家の一員として、しなければならないことだからね。気に病む必要はない。すべきことを、しているだけだ」
「……父親としての、すべきことは、あの三人のとなりにいてあげることですよね」
「今も、こうして近くにいるよ。それに……こうやって、陛下への手紙を書きながらだって、『父親としての仕事』も同時にしているんだ」
「……というと?」
「あの二人の名前を、考えている」
「ああ!そうでしたね。でも、名前は……」
「アレサが決めたいと言っていたし、彼女から候補も聞き出している。でも、オレにも、名前を考えさせて欲しいんだ。ありがたいことに、双子だったから。どちらかは、オレが名付けてもいいんじゃないか?」
「交渉上手な貴方なら、その権利も手に入れるかもしれませんね」
「上手く、やってみるよ。オレがつけた名前が、このガルーナで長く生きてくれる。それは、とても嬉しいことだ。想像するだけで、顔がゆるんでゆるんで、仕方がないよ!」
幸せな父親として笑み。
ジーンは、人生で初めての表情を浮かべているのだ。
それは彼だけでは作れない、妻と子供たちがいるから選べるものだった。
幸せが、そこには輝いている。
それと同時に……。
やはり、メリッサ・ロウは、はかなさを感じ取っていた。
……ジーンは、あの子たちと一緒に、生きる願望があるのだろうか。『ラウドメア』を倒して、この世から消え去る気でいるのかもしれない。差し違えるように消えて、未来に自分がいようなどと考えていないのかも……。
問い質したくもなる。
だが、確認することへの恐怖感というものもあるのだ。そして、何よりも、この父親としての幸せを表現している顔を、曇らせるような質問を選べない。
戦士ではないのだ。
メリッサも。
竜騎士のように純粋な戦士ではなく、日々の営みに囚われることを望む、メイドに過ぎない。
「……ジーンさん。素敵な名前を、考えてあげてくださいね。気に入るような素敵な名前だったら、私もお姉さまに推薦してあげてもいいですから」
「うん。ありがとう。アレサもつけたいと思っているだろうけど。オレも、やっぱり、父親だしなあ。つけてみたいんだよ」
笑う。
父親の笑みで。
未来のために、遺すべき名前を心に探しながら。
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