第二話 『黒竜の誓約』 その8


 古い忠誠に命を与えられる。英雄に恋をして、病に早死にした彼女へ。彼女の姪であり、ストラウスの血を引く乙女のために働くことで。

幸せな時間だった。メイドが作った料理もジギーの舌によく合ったのだから。


 疲れた脚と背中を、愛用の自作椅子に頼って休ませながら……。


 懐かしさと出逢えたジギーは、勇気をもって報告を口にし始めた。聡明さと抜け目のなさを宿す、ストラウスの青い双眸はどうやら予測していたようであるが。予想と現実には、痛みの重さに幅があるものだ。友人に視線をやる。一瞬だけ。その落ち着きようはいつものことか、あるいは新しい妻の強さを信じているからか。


 どちらにせよ。


 報告のための時間は来たのである。


「バロウ側の作戦でもあるのだろうが、すでに謀反を起こした事実が広まっていた。伯爵は少年王エルヴェさまを『取り戻した』そうだ」


「意地の悪い、魔女みたいな私の継母殿からか」


 うつむく顔に、曇りはない。達観がある。だが、赤ワインの入った瓶に噛みつき、酒ごと天をにらむ。細い首は暖炉の火で赤く染まった。悲しみと怒り、どちらが強いのかは明瞭だ。アレサはとっくの昔に覚悟していた悲劇に、心を砕かれることはない。


 がぶ飲みした血のように赤いワイン。


 空にした瓶を忠実なメイトの乙女に手渡すと、青い双眸がジギーを見る。


「死んだか、クインシーは」


「……殺されたようだ」


「ふん。当然ではあるよ。クインシーを悪者にでもしなければ、エルヴェを我がものにする大義名分など、バロウごときには思いつかんだろうからな」


 分かり切っていたことだ。


 自分よりも、片腕の英雄よりも。クインシーだ。少年王を導く、強欲な魔女。誰よりも先に謀反人が殺しておかなければならい、ストラウス一族にとって最大の権力者、最大の政治力、殺されていなければ、逆におかしくもある。


 だからといって。


 許すはずもない。


「どんな死に方だったというのだ?……近いうちに、同じ痛みで殺してやる」


「……竜の炎を使って、死体を焼けば……名誉の弔いに近づくからだろう。彼女は……クインシーさまは、王城の城門の先から吊るされたらしい」


「女の死体まで政治利用するか。見せしめのために、むごたらしく吊るす。残酷さを使えば、悪を証明することになるとでも考えているのだろうかな、バロウな馬鹿な男どもは」


「かも、しれませんな。彼らは、器ではない。エルヴェさまのように聡明さを見せることもなければ……真の勇敢さを持ってはいないらしい。他者の意見と、向き合う。議論をする力がなければ、この戦士だらけの王国がまとまりを得ることはないでしょう」


 農夫の言葉ではある。だが、賢さが見て取れた。アレサよりも長くこの王国で暮らしていれば、この閉鎖された空間に閉じこもり、俗世の欲に歪み過ぎた言葉を聞かずに生きながら、賢者たちの書いた本を相手に思索を深めれば……真実はいくらでも掴めた。


 勉強熱心なことはジーンからも聞かされたし、この食卓のある部屋のあちこちに偉大な賢者たちの名著が転がっている。


「磨かれた知性は、正しい指摘をしてくれるものだ。そう。我々には、結局のところ。意見をまとめ切る力が足りなかった。武勇だけ鍛えていては、限度もあるということだ」


「……お姉さまが、変えれば良いのです」


「ああ。私が変えるさ。賢い道ではないがね。竜騎士姫らしく……ストラウスらしく、力を行使して。バロウを血祭にして、皮を剥いで、王城に吊るす……ああ、そこまでは、あのクソ野郎はしていないのかな、継母殿に」


「詳細は、聞かなった」


「それでいいさ。ムダに血なまぐさいことを聞かなくもいい。敵の動きと、してしまったことが分かればいいんだ。アレサ、戦いのために、落ち着け。それも真の戦士の振る舞いだろう」


「そうさせてもらうよ。ワインは、もう、呑まない」


「うん。それでいい……で、ジギー。聞きたいことは、もう少しある」


「反応か?」


「おお!!さすがは、オレの数少ない貴重な友人だよ!!これこそ、以心伝心というヤツだな!!」


「……お前は、変わらんな」


 暗い話題のときには、ピエロを演じる。妻を亡くしたばかりの暗くて寒い農夫の家で、息子たちと遊んでくれた少年は今夜もあのときと変わっていない。笑顔や。道化のような振る舞い。それもまた、力だった。少なくとも、悲劇と戦うために喜劇が作られたのだ。


 この大陸の文明では、そうなっている。


 七百年前にはるか南の土地で演劇が完成されたときには、そうだったのだ。人生には、明るい演技もいる。悲しみと戦う虚構もいるのだ。もっと、ティファが長く生きれば、この賢い男が……クインシーの代わりとしてエルヴェを器用に支えたのかもしれない。


 世の中は、あまり上出来な偶然が起きてくれないことを、ジギーの白髪は知り尽くしてはいたが……。


「友よ。良いこともある。民の反応は、エルヴェさまと、そして……何より、アレサさまに同情的だ。結婚の日に合わせた謀反。バロウが姫さまを狙っていることも、姫さまに怯えていることも民は知っている。知った上で、決めたのだ」


「アレサを応援してくれると」


「そう。クインシーへの同情は、残念ながら少なかった。しかし、竜騎士姫の報復に多くの民は期待している。バロウへの支持は、民のあいだには広まっていない」


 真実だ。それも真実。この土地がストラウスの支配にあるからという事実もあるだろうが、ガルーナの貴族も民も、同じ気質を持っている。


「臆病を、嫌う。勇敢を、好む。クインシーとアレサさまに怯えたバロウを、この王国の男も女も、年寄りも子供も、王として称えたいとは思えない」


「……皆さまの期待に、応えてあげましょうね!お姉さま!!」


「ああ。ストラウスをするよ。敵を、血祭にする。それこそが、私に流れる赤い哲学だ」




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