第一話 『三度目の結婚式に赤い祝福を』 その8


 人は最小限の行いしか選ばなくなるものだ。どんな戦士も賢者も人が本性に備えた堕落の法則からは逃れられない。必要だと感じられないことは、しないものだ。


 かつての英雄も、今ではその武勇を語られることはない。十年以上も戦場に出ることもなく、亡き妻の墓の前で酒を呑み続ける男など、ガルーナの荒々しい文化は評価するはずもない。


 必要だと信じることしか、しない男。


 それがジーン・ストラウスであった。ずいぶん前から、彼にはその場所だけが大切だったのだ。場所の力を信じている。死者から離れないことで聞こえる言葉もあれば、伝えられる言葉もある。ガルーナの伝統の奏でる勇ましい歌では、届かない感情もあるのだと。


「……それでも、君は。弱い夫を持ちたくはないよね。だって、ストラウスなんだから」


 ……異界から来たりて、北方諸国を襲った『歌喰い/ラウドメア』。その脅威を伝える歌も久しく途絶え、それを封印した英雄たちの歌も枯れて等しい。二十年以上前は、やはり大昔のことである。


 うつろいやすい人の記憶が、忘れてしまうには十分に足りる長さだ。


「覚悟!!」


「死ねい、ジーン・ストラウス!!」


 迫る鋼の煌めきを、愛を失った瞳が受け止める。怯えて震えることもない。命乞いをすることもない。亡き妻の名前をつぶやいてみることもない。必要なことを、しない男なのだ。


 すべきことは、ただ一つ。


 大してしたくもないが、降りかかる火の粉は払っておくとしよう。


 魔力を残った方の腕に込めて、ただ一振りするのみだ。


 呪文も使うことはない。必要なことでは、ないからだ。この程度の連中を打ち倒すためだけの魔術を組み上げるのに、そんな準備も手間も不要である。


 南から取り寄せられた美しい赤い色の絨毯を、魔術が生んだ劫火の旋風が爆破しながら焼き尽くした。えぐるように暴れる赤い輝きに、暗殺者どもは視界を焼き潰されながら、荒れて狂う爆風の圧に押され、必殺の突きの姿勢ごと吹き飛ばされていく。


「ぐはあう!?」


「う、うう……っ。く、くううっ!?」


 焦げてめくれた絨毯の下に、灼熱の旋風の軌跡が描かれる。罪深い者の身に刻まれる緋色の文字のように、それは赤い。


「いい絨毯だったのに。思い出の品だ。そう、ティファとの結婚式の日も、これを踏んだというのにね」


 火の粉が踊っている。儀式の空間の虚空を、楽し気にそれらが舞って、おごそかな薄暗さを持つ部屋に灯りを放つ。歩いた。最初の結婚式の日を思い出す。赤く燃える絨毯の欠片などではなく、あの空には祝杯の酒と、村の乙女たちが早朝に摘んで来てくれた花びらが待っていたけれど。


 燃え尽きる欠片がひらひらと落ちて行き、ジーン・ストラウスは靴底で手から落とした剣を探す男の腕を踏み潰した。


「ぐああああ!?……く、くそお!?」


「悔しがるなよ。悔しい気持ちを抱えるのは、オレの方だろ?竜騎士バロウは、知っていたはずだぜ。お前らごときに、オレを殺せるはずもないと」


 靴底を怒りで動かして、暗殺者の骨を割る。


「があああああああああああッッッ!!?」


「悲鳴を上げるなよ。ガルーナの女たちから、嫌われちまうぞ。腕一本、ダメにされる痛みなんぞ……年から年中、封じた悪神に噛みつかれているような痛みを持っているオレからしたら、大したことはないんだ」


「……っ」


「降参しろ。君らは、本命じゃない。君らでは、オレどころか、オレよりもっと恐ろしい竜騎士姫を殺せるはずなんてないだろ。バロウはな、知っていた。知っていて、それをさせたんだ。君らは、ただの捨て駒だよ。時間稼ぎにでもなればいいと、考えられていた」


「わ、我々の忠誠に、ぎ、疑念はない……っ。バロウさまが、王になることで、このガルーナは真の道へと戻る」


「狭い見方に囚われるべきじゃない。空は、あんなに広いのに。どうして、空と語ることを好む我々は、こんなに目を閉じたがるのかね」


 困ったことだ。どいつもこいつも。ろくなことをしやしない。ガルーナの貴族社会が生み出した、この非生産的な内乱。それには吐き気がするほどの愚かさが見える。


「もっと本を読まないから、こんなにバカなんだよ」


 愚かなことをするものだ。


 精鋭二人を倒してみせれば、戦うことをあきらめてもいいはずなのに。影に回り込み、片腕の中年男の背後を狙うなんて。


「覚悟おおおおおおおお―――ッッッ!!?」


「ああ。浅知恵しかない者たちらしい発想だよね。オレの右を狙う。たしかに、右腕は、『ラウドメア』に喰われてはいるよ。喰われちゃいるけどね……『奥の手』は隠しておくものさ」


 必殺の勢いを持って振り落とされたはずの剣が、空中に静止していた。止められたのだ。青い魔力に形作られた、『魔力で編まれた右腕』によって。驚いた暗殺者の目の前で、剣の鋼が魔力の指に握りつぶされる。砕けて、飛び散る鋼に魅入られたように、男の顔は引きつった。


 そのせいで、赤い疾風の襲撃に無防備となる。


 竜太刀が銀色の軌跡を描き、暗殺者の胴体がまた一つ、一刀のもとに両断されていた。


 血が爆ぜて、それを新婚夫婦は頭から浴びていく。祝いの花弁の雨とは、あまりにも違う熱があった。


「……すごい腕前だ。ティファに、ちょっと似ているよ」


「叔母上よりは、ずっと強いだろう」


「たしかにね。彼女よりも、君は……」


 血を浴びて笑う。あくまでも女性的であった最初の妻とは違い、この小娘はあまりにも乱暴者であるように見えた。それでも……たしかに……噂で聞いていた以上に、強く、美しかった。


 そして、積極的でもあるらしい。


 血にまみれて、笑う唇が、義理の叔父の唇を奪う。


「……っ!?」


 やさしくはない。噛みつかれている。口の周りに歯が刺さっていた。噛み痕を遺されたジーンは、三秒後に義理の姪であり妻でもある者の牙に解放される。烙印を押されたように、牙が抜かれた後からは血が粒となって浮かんだ。


「…………ぷ、はあっ。これで、結婚完了だ。気に入ったぞ、想像以上に強い。それならば、我が夫にしてやる価値ぐらいはある。さあ、さっさと来い!残りの敵を、皆殺しにしてやるぞ、叔父上殿よ!!」




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