序章 その4


『もらった!!』


『ッッッ!!?』


 フィーエンの首が稲妻のように伸び、『雷』を浴びて動きを緩めた我が仔の首に噛みついた。刹那の隙を逃さない。老いて、全盛期からは遠く離れていた力しか持っていなかったとしても、勝たねばならない。


 仔竜の首のうろこに、母竜の牙が食い込む。そのまま、全力で噛み潰す覚悟であった。自らの一族を守るために。自らの願望である、ガルーナの存続のために。100年前に生み落とした耐久卵から生まれた、この破滅と再生を司る使命を持った仔を。


 殺すつもりであった。


 迷いはない。


 痛みはあっても、迷いはなかった。


 だから、これは感情の呼んだ結末ではなく、ただの力の問題。フィーエンがあと10才若ければ、このままザードの首を噛み千切れたはずだが―――ザードの首は牙の繰り出す破壊に耐久し、反撃のための時間すらも作り出す。


 ―――落とされます。備えて!!


 契約による心が術でつながった竜騎士姫に、フィーエンはその予測を伝える。現実は彼女の言葉をなぞり、白い翼は空から引きずり落とされていた。ザードが、首の力だけで母竜の巨体を引っ張りつつ、翼と身の回転で、地上へと向かって落ちる逆さの竜巻に化けたのだ。


「バケモノだなっ!!」


 振り落とされないように、全身で愛竜の背にしがみつく。アレサにやれたのは、それだけだ。遠心力の暴力に耐えるためには、それに集中するほかない。もつれ合いながら墜落していく母竜と仔竜は、蹴爪を振り回し、互いの身体に傷を入れた。


 鋼のように硬いうろこが裂かれ、血が夜に吹き上がる。互いに必殺の意志のまま、至近距離での連打を叩き込む。


 ザードは予想していた。狙っていた。この応酬の果てに、地上への激突の寸前。フィーエンが退くだろうと。主を守り、主が墜落の衝撃で死ぬことだけを避けようとすると。他の竜と竜騎士は、それを見せた。多く殺したが、例外なく。


 だから。


 この戦いの結末も、そうなるはずだ。その瞬間を、狙う。狙う、狙うが……。


「……ああ。バレバレだぞ、ザードよ。私たちは、他の雑魚とは、違うんだ」


 退くなど。


 あるはずもない。


 死の危険があることを呑み込まずに、『グレート・ドラゴン/竜喰いの竜』を屠ることなど叶うはずもないのだから。他の者たちと、この赤い乙女と白い古老はあまりにも違う。勝利のためならば、笑顔で死ぬのだ。


『しまった――――――――』


 悟ったときには、遅い。もつれ合った竜が二つ。地上へと流れ星のような勢いで激突した。弾け飛ぶように、三者の体が地上で跳ねる。フィーエンは、主を助けにはいかない。その余裕もないし、その必要もないからだ。


 空のなか、あまりの衝撃に一瞬だけ気を失いはしていたアレサだが、『風』の魔術を放ち、その姿勢を無理やり制御し直しながら地上へと落ちた。死ぬほど痛いが、死にはしない。ならば、問題はなかった。


『GHAOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHッッッ!!!』


『GHAOOOOOOOOOOOHHHHHHHHHHHHHHHHッッッ!!!』


 牙と牙と、爪と爪。


 炎と炎、尾と尾。


 竜と竜が反応し合い、熾烈な破壊の力を互いの身に叩き込む!!


 血と魔力と炎が、重々しく荒々しい音となり空も地上も揺るがした!!


 互いに位置を取り合い、より上を選び、地上を竜巻のように転がり合う力が二つ。古い城塞の跡も、あわれな風車小屋も。この両者が生み出した暴力によって粉砕されていく。


 あまりにも激しい、竜同士の闘争。


 生き残っていた全ての竜と竜騎士たちは、圧倒されてしまう。偉大なる白竜フィーエンを、竜たちの母を援護しなければならないのに。凶竜ザードとの戦いで、傷を負い続けているフィーエンに、助力しなければならいはずだったが……。


 呑まれてしまっていた。


 彼らには神聖さをもって映し出される。あまりにも激しく、あまりにも強い。自分たちの所属する力の最高峰同士の闘争を目の当たりにすれば、畏まりさえするものだ。


 格が近い過ぎる。


 どこまでも強く、その強さに底が見えないザードの力。


 そのザードに老いた体を裂かれ、打たれ、焼かれて壊されながらも、命を燃やして互角の力を引き出す偉大なる古竜フィーエン。


 血と戦いの音に飾られた、最高峰の暴力。


 この闘争にどうやって参加すればいいのか、皆目見当もつかない。恐怖と畏敬と、実力の違い。あの神聖な場所に、参加する資格があるはずもないと……ガルーナの獣たちは自重に身を縛られる。


 そう。


 資格を持つ者だけが、この領域で争えるのだ。


「はああああああああああああああああああああああああああああああッッッ!!!」


 赤い髪が走る。


 背中から巨大な刀を抜き放ち、歌声を震わせながら竜と竜の闘争の現場に―――力が形作る竜巻の中心に、迷いも恐れも畏れも知らない、純然なる闘争本能のままにアレサは駆け抜けた。


 フィーエンさえも、期待してはいなかった突撃である。あの墜落で死ななかったとしても身体へのダメージは深刻なのだから。だが、ありえなくはない。竜騎士姫アレサ・ストラウスならば、こんなことをしてもおかしくはない。


 相棒さえも把握し切れていなかった行いに、凶竜ザードが気づけるはずもなかった。竜騎士姫を知らなさすぎる。


 母竜との闘争の最中、金色の瞳が地上を蹴りつけ宙へと舞った赤毛の剣鬼をにらみつけていた。竜太刀。竜と闘争するために、竜と共に在るために……ストラウスの一族が作り上げた巨大な刀。それが、空中で振り落とされる。




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