【3】宵の夢は醒めても……

 凜人は足を止めた。

「俺にそんな話して良かったの?」

「凜人君、余計なこと言わなさそうなタイプだし?」

「皐月はこの話知ってんの?」

「知らないよ、誰にも話してないし」

「責任重大だ!重要機密だな」

 凜人の、まだ声変わりもしてないその言葉に、茜は微笑ましくなって笑った。

「じゃあ、口止め料に射的もつけてあげようかな?」

「やったぁ!」

 日に焼けたまだ細っこい腕を上げて喜ぶ凜人に、可愛いなぁ、とまるで弟のように凜人を見つめる。ふと視線を感じて茜が顔を上げると、そこに一人の男が立っていた。


 目が見開かれる。

「よぉ」

 男は笑顔で声をかけてきた。茜の唇が弧を描く。

「凜人君、これで射的してきていいよ」

 と千円を渡すと、凜人は男とお金を見比べてる。

「そこのベンチのそばにいるから」

 茜が指をさしながら言うと、凜人はうなづいて射的の方へ行った。

「久しぶりだな」

 丈太が声をかけてきた。相変わらずの細身な長身に、ラフな、タンクトップとハーフのカーゴパンツ。昔と違うのは髪が黒い。それを気持ちよく短髪にしていた。

「うん、久しぶり」

 そう言ったきり、言葉が出てこなくなった。俯いて下駄の黄色の鼻緒を見つめる。私はあの頃と変わっていない。なんて弱虫なんだろう。

 あれは、初恋だ。叶わないのが相場である。気を取り直して顔を上げ、ちらりと丈太の左手に目をやる。薬指には指輪が見当たら無い。

「今、大学生か?」

 不意に聞かれてドキッと心臓が跳ねる。

「うん」

「さっきの子は?」

「彼氏」

「え?!」

「ふふふっ嘘。妹の同級生。ダシに使われたもの同士仲良くしてるだけです」

 いたずらっぽく笑ってみせる。

「いや、わかっててもビックリしたわ」

 笑い混じりに言う丈太。その笑顔は昔と変わってない、と茜はほんのりと胸が熱くなるのを感じた。

「そっちは?誰と来てるの?」

 随分前に結婚したなら、子供を連れて来ていてもおかしくはない。その辺にいる小さな子がそうなのでは?と目をやる。

「俺も似たようなもん、姉貴の子供の付き添い、財布だと思われてるよ」

 目線の先に小学生の男の子が2人、スーパーボールをすくって笑っていた。


「お母さんから、結婚したって聞いてたけど?」

「ああ、うん。若気の至りってやつだったんだろうな。別れた。だから俺バツイチ」

 と情けない笑い方をした。

「ええ?」

「学生結婚だったし、あの頃専門学校出たばっかで仕事大変でさ、ぜんぜん構ってやれなかったの。浮気とかじゃないからな、そこんとこだけ勘違いすんなよ?」

 丈太の言い訳の必死さに吹き出した。

「…ジョータさんは、そんな酷いことしなさそう、というのが、小6の時の私の意見」

「うん?」

 丈太が眉を上げた。

「あなたは優しいから、余計な縁を結ぶ可能性はあるな、っていうのが今の私の意見かな」

 真っ直ぐに丈太を見上げた。数年の間に伸びた背たけは、その分彼に近くなった。

 今なら、あの時見たカップルのように自然に恋人同士に見えるだろうか。


「はあ、茜もすっかり大人だな、今幾つだ?」

 丈太が苦く笑って聞く。

「19」

「若っ!」

「まだそっちだって充分若いでしょ?」

 言うと笑った。丈太は5歳上、今は24歳位のはずだ。

「なあ、今度飯でも食わねえ?」

 丈太は言った。多分、誘われるだろうとは思っていた。もし誘われなかったらこっちが誘ったかもしれない。

「……いいけど」

 こちらも年頃である。何度かそんなことをくぐりぬけてきてる。でも気持ち的には、向こうが軽い気持ちだったとしても乗ってみたいと思うほど、気持ちが高揚していた。


「茜ちゃん」

 皐月の声が闇に響く。皐月と哲也を混じえて、凜人がこちらを見ている。哲也の目が丈太を睨みつけてるようにも見える。

「ちょっとだけ待ってて」

 茜は哲也の視線には気が付かないふりをして言うと、丈太へ向き直る。


「長原駅の西口出たところにあるビルの2階に、パスタ屋さんがあるの、キアッソっていう」

「うん?」

「そこで火、水、金は夕方からバイトしてるから」

「うん?」

「もし、ほんとにご飯誘ってみようと思ったら、そこまで来て欲しいな」

 丈太の目を見ると、茜を見つめて瞳が揺れていた。

「じゃあね」

 茜 は3人の待つ方へと足を向けた。

「仕事入るのは何時?」

 後ろから声がした。振り返る。

「4時半」

 丈太は小さくうなづいた。手を振りあってそこで別れた。振り返ると丈太は、親戚の子まとわりつかれて、ワイワイやってるのが見えて、なんだか微笑ましかった。


「ねえ?あの人誰?」

 皐月が聞いてくる。

「昔の知り合い」

「誰だよあいつ」

 哲也もそこに割り込んで来た。

 登校班の班長だったことと、哲也が小学校に入学した頃には、丈太はもう他所へ引っ越してしまったので、知らないだろう。そう話すと、哲也はふーんと言って黙ってしまった。


 4人は神社の囲いの所へ腰掛けて買ってあったたこ焼きや焼きそばを食べた。通りかかった子が持っていた水風船を皐月が欲しがり釣り上げた。赤い水風船が皐月には良く似合う。次第に凜人と皐月がはしゃいでるのを哲也と二人で見守る形になった。

 哲也が何か言いたげなので目をやると、憮然とした顔で口を開いた。

「さっき何話してたのあの男と」

「うん?ああ、別に何でもないよ。懐かしくて声かけられただけだし」

 ぱらりと頬にかかった後れ毛を耳にかける。

「お前さぁ」

「うん?」

「……なんでもないよ」

 哲也の頬がなんとなく赤い。凜人の言ったことを思い出して、皐月の方をちらりと見たが、射的の店の景品の物色に霧中でこちらの事は眼中に無さそうだった。

「哲兄!勝負しよ!」

 振り返った凜人に、哲也はふっと笑った。

「よし!何かける?」



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