【2】初恋の人

 たこ焼の屋台のオレンジ色の明かりが頬を照らす。焼き上がり待ちで手持ち無沙汰になった時、凜人がふと笑った。

「今夜の皐月の失態は、茜ちゃんを連れてきたことだな」

 ニヤッと笑ってこちらを見上げる。

「は?」

「哲兄、さっきから茜ちゃんばっかり見てる」

「え!?」

 思いもよらないことを言われて面食らった。

「皐月も美人だけど哲兄からしたらまだガキだしな、茜ちゃんなら問題ないもんな」

 どう答えていいかわからずに黙った。哲也は歳下の幼なじみで、それ以上のことは意識したこともない。確かに一般的にはイケメンなのだろうが。確かに、今は年齢のこともあるので、皐月の想いが叶うのは難しいだろうけど。

 何も言えないまま、代金を払って、袋に入ったたこ焼きを受け取ると、凜人と二人で神社の方に向かって歩く。人を避けつつ行くそばに、お面が並んだお店と、甘い香りのするわたあめの屋台が並んでいた。最近はレインボーカラーのわたあめまであるのか。

「懐かしいな」

 甘い香りに記憶が呼び覚まされる。

「うん?」

 独りごちた茜の言葉に、凜人が顔を上げた。目が合うと、ふふっと笑う。

「私も、皐月くらいの時に好きな人がいたんだ」

「へえ」

 お祭りの喧騒、赤みのある照明の眩しさ、年頃になって初めて手を繋いだ男の人。


「どんな人だったの?同級生?」

「ううん、ずぅっと年上の人。彼女もいたし、あれから何年かで結婚もしちゃったしね」

「失恋確実なのに好きになったの?」

 その質問に、凜人はまだまだ恋というものを知らないのだな、と微笑ましくなる。


「初恋なんてね、気がついたら好きになってて、その時はもう失恋するところだったりするのよ」

 小さな胸を焦がしたあの夏。


 ***


「ああ!」

 もいが無惨にも破れた。結局金魚がすくえなくて、ため息をつく。店のおじさんに破れたもいを返そうとした。

『茜、それまだすくえるぞ?』

 横から声をかけてきたのは、自分が小学生1年の頃、登校班の班長だった丈太だった。

『ジョータ君』

『貸してみ』

 隣にしゃがみこんだ丈太は、破れたもいの、まだ紙が残ってる部分で3匹も金魚をすくった。ビニールの中に水と一緒に入れた金魚を店主に渡されて、目の高さでそれを見つめる。その水が、金魚の朱のヒレが、朱い照明にキラキラしているのを見て胸がドキドキと高鳴った。

『ありがとう』

 茜が丈太を見上げた時、丈太が随分と大人になっていることにようやく気がついた。

「背が伸びたな」

 向こうも似たようなことを思ったのか、少し照れくさそうに言った。

 その僅かな表情の変化に、幼い頃とは違う何かを感じとって、少し恥ずかしくなり俯いた。

『1人で来たのか?』

 無言を割るように、丈太は聞いた。

『ううん、お母さんと皐月と。お母さん、皐月のトイレに行ったからここで待ってるように言われたの』

 そこに店主が口を挟んできた。なかなか戻って来ないんだよな、お母さん、と。

『お母さんのケータイの番号分かる?茜はケータイ持ってる?』

 首を横に振ると、自分のケータイを出して、母の番号を聞いて電話してくれた。

 程なくして出た母は、神社の入口まで来たが、人が多すぎて、立ち往生しているらしかった。

『じゃあ俺が茜ちゃん連れていきますね、そこで待っててください』

 そう言って電話を切った。

『神社の入口で待ってるって、連れてってやるよ』

 丈太は金魚屋の店主にお世話になりました、と頭を下げて、手を差し出した。茜は驚いてその手を凝視した。

『ほら、はぐれたら困るから』

 そう言って、躊躇してる茜にもう一度手をずいっと差し出した。男の人と手を繋ぐなんて、と思いつつ、おずおずと差し出した手を、丈太はサッと握った。大きな手だった。

『懐かしいな、お前が入学してきた時、登校中ずっと繋いでたもんな』

 丈太の横顔は、嬉しそうで、それにつられて笑ってしまう。

『あ、でも茜、すっかりお姉さんだから、ちょっと恥ずかしいか?』

 口をとがらせて頷くと、ははは!と、からっとした声で笑った。丈太の手は少しかさついていて、皮が分厚くて、大きくて、茜の細い手をすっぽりと包んでしまっていた。

『あ』

 茜が、わたあめ屋の前でおもわず声を出すと、足を止めた。

『買ってやろうか?』

 丈太が茜を見下ろして言った。茜は遠慮して首を横に降ると、にっと笑った丈太は、茜の頭をポンポンと撫でられて、手が離れた。

『ピンクにする?』

 振り返って聞かれて、嬉しくなって笑顔で頷くと、店主にピンク1つ、と声をかけて、臀のポケットから出した財布から小銭を払った。振り返った丈太は、袋に入ったわたあめを茜の手に持たせた。

 差し出された手に、また手を繋ぐと、ふと、隣にいたカップルが、りんご飴を彼氏に買ってもらって、嬉しそうに手を繋いだ。2人が交えた視線が熱っぽくて、見てるこっちが恥ずかしくなった。そして自分も今同じことをしてるのだと思うと、ドキドキし始めた。


 俯いた私をのぞきこんで、

『どした?』

 と聞く丈太の距離の近さに、赤くなって顔を背けた。繋いだ手を離す。

『手ぇ繋ぐの恥ずかしいなら、ここ持っとく?』

 とシャツの裾を引っ張って見せた。

 少し考えて、

『手、繋ぐ』

 火照った顔で小さく言った茜に、それ以上何も言わないで、丈太はサッと茜の手を取って歩き出した。


『茜にこれから出来る彼氏に悪いな』

『え?』

『茜の初めての手つなぎデート、俺が貰っちゃったからな』

 とニカッと笑った。その笑顔に、小6の頃の丈太が重なった。登校中、前の晩のテレビ番組の事や、学校の行事の事、学校の先生の話など、いつも面白い話をしてれたのを思い出したのだ。その時と、笑顔が変わらない。照れくささより可笑しくなって笑いだした。

 そこからは学校のこととか、昔からいる先生の話なんかをしながら歩いた。昔に戻ったみたいだけど、丈太と話すことで自分が少し大人っぽくなったような気分になれた。さっきのカップルみたいには見えないかもしれないけど、少しはそう見えるといいな、なんて思った。

 茜の人生初の手繋ぎデート、と言えるのかどうかは分からないが、丈太はそうだと言ったのならそうなのだろう。



 その数週間後、丈太を街中で見かけると、隣にとても綺麗な女の人がいた。茜が躊躇ってようやく繋いだ手を、慣れた感じで繋いだのを見て、ショックを受けた。それから更に数年後、茜が中学の頃、丈太が若くして結婚したらしい、という話を母親から聞かされて切なくなった。1度だけの淡い思い出を遺して、茜の初恋は終わったのだ。

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