四章
「しょう、起きて。お願いだから、起きてよ。」
ある日しょうが、目覚めなかった。
とりあえず何となくで生きているかの確認をしたかったから、息をしているのか、脈があるのか、そういうことを確かめた。
けれど、どちらも確認することはできなくて、アタシの体は気付いたら汗まみれになっていた。
昨日は、いつも通りに生きていた。
それなのに、まさか。
しょうのお葬式は粛々と執り行われた。
家族に引き取られ、友人も集まり大仰なものになるのかと思っていたが、両親の意向によりほとんど身内の中だけで完結させられるということを知った。
アタシは、当然呼ばれなかった。
けどアタシがしょうの最期を看取ったのだ。
しょうの両親はアタシに後日話があると言って約束を取り付けた。
1
アタシは今、この前デパートで揃えた黒服に身を包んでいる。知り合いも少なく葬儀に出席する程親しい親族もいないから、アタシはそういう服を一着も持ってはいなかった。
だけど、しょうが一緒に買いに行こうと提案したのだ。もし俺が死んだら、要るだろ?と顔も見せずに静かに呟いた。アタシは何か反論がしたかったけれど、言葉が思いつかなくて黙り込んでいた。
この服は、だからしょうが買ってくれた最後のプレゼントでもある。だから、しっかりと着込んで出れなかったお葬式の代わりに、しょうの両親と話をするこの機会に着ようと思いついたのだ。なぜ、あんなに一緒に居たはずのアタシがしょうの死を大大と悼めなくて、折り合いの悪かった彼の両親が私を呼びつけて何かをしようとしているのか、とかいろいろなことが頭の中にあって、アタシは少し疲れていた。
長い上り坂を上ると、しょうの実家のマンションが見えた。
しょうは戸数の少ない丘の上のマンションに住んでいて、そこが嫌で家を出たのだと言っていた。アタシには、ただ何となくその話を聞いて頷いていたけれど、やっぱり家族という概念がいまいち分からなくて、現実感のないままに相槌を打っていた。
やっと着いたかと息を切らしながらその小さなマンションを見上げる。
そして思う。アタシはしょうのことを何も知らないということを、スッと考えてしまう。
彼は、一体どういう所で育って、あのような人間になったのだろう。想像もつかなかった。アタシなんかと波長が合うのだから、もしかしたらおかしな人なのかもしれない、そんなことすら考えていた。
が、
「いらっしゃい。あなたが深見広さんね。私、しょうの母よ。」
緊張を隠せないままインターホンを押し、どんな人が出てくるのかとどぎまぎしていたのだが、予想とは全く違う意味で裏切られた。
そこにいたのは、ただ普通のおばさんだった。きちんとしていて、でも嫌味が無くて、明るさをしっかりと持ち合わせた悪い、という点の一切が見つからない人間だった。
そうだ、賢三の母親もそうだった。彼女も、小綺麗で嫌味が無かった。けれど、夫を怖れ、顔から影を醸し出していたのだから、やっぱりあの人とも違う。
この人は、しょうの母親は、ただのお母さんだった。
「あ、あの。この度はご愁傷様です。しょうさんとは小学校からの同級生で、最近親しくさせてもらっていて、それでお邪魔させてもらうことになりました。」
アタシは事の顛末を彼女に伝える。そうしたら、
「そうなのね。しょうは私達とは会いたくないって、ずっと出て行っていたのよ。でもこの前帰ってきて、びっくりしたわ。…痩せてて、元気が無くて。お父さんも私も、泣いた。そうしたら、しばらくするうちに死んでしまって、やり切れない。」
彼女は無念を顔ににじませ、それを一切隠すことすらせずアタシに見せている。そこにも嫌味は一切なく、ただ純粋に感情を表に出しているようにしか見えなかった。
アタシはだから、どう反応すればいいのかがよく分からなかった。
こんなに健全な家庭の人達なのに、なぜアタシをしょうの葬儀に招いてはくれなかったのか、なぜあなた達のことをしょうは毛嫌いしていたのか、何も分からないから何も反応を示せない。ただ、困惑するしか無かったのだ。
2
強圧的だ、という印象を抱いていた。しょうから聞いた話だと、非常に強い言葉を使い人を追い込む、と聞いていたのだから、今目の前に座るこの二人が一体その人物とどう重なるのかが、ほとんど把握できていなかった。
目の前にいるのは、
「お待たせしてしまったね。ちょっと長い時間待たせてしまったから申し訳ないよ。」
「本当よ。あんなに連絡したのに、町内会があったんだってね。ごめんね、広さん。」
ごく普通だ、ごく普通の穏やかな人たちだった。最低でも、アタシが今まで関わってきた人たちの中で、この人たちは相当人間ができたというタイプの人なのではないだろうかとさえ思う。
「あの…。」
アタシはこの空間の不自然さに耐え切れなくなって、口を割った。だって、どうしても知りたいんだもの。何であたしがここへ呼ばれたのか、もう早く教えて欲しい。
「ああ、うん。あのね、あなたを呼んだ理由はね。」
アタシの機微を察したのか、母親は俊敏に言葉を継ぎ足した。本当に、抜け目のない人たちなのだなあ、と思う。
「実はね、しょうのことなんだけど。しょうが家出していたことは知っているでしょ?」
「え?ええ、まあ。」
当然知っている。だからアタシはしょうと一緒に暮らしていたのだ。
「あの子は何て言っていたか知らないけれど、私達と折り合いが悪いとでも言ったのかしら。でもそんなことは無いのよ。本当は、私達じゃなくて、あの子。」
あの子?どの子だ。
え?
母親が黙り込み指をさした先にあるのは、奥まった一室だった。
「あそこにね、しょうの弟がいるのよ。」
知らなかった。しょうに弟がいたなんて、いやしょうに兄弟がいたことさえ知らなかった。小学生の頃だって、それ以来もずっとそんなことを耳に挟んだことは無い。
でも、アタシ達はずっと同じ学校に通っていて、全く知らないということはあり得ないのじゃないか、とまず思った。
「…あの子はね、
思わなかった。こんな理不尽が身近に存在しているだなんて、思ったことすらなかった。
「純次は、しょうのこと好きだったの。でも、しょうはずっと逃げたくて、この環境から逃げたくて、外へ出たの。」
「私たちは、純次を見ているしかないから、しょうのことはほったらかしにしていたんだ。そしたら、しょうは…。」
父親はそう言いながら声を震わせた。
息子が死ぬ、それはとても辛いことなのだろうと思う。自分たちの中から生まれた存在が、自分たちの生きている間に消える、それは本当にやり場のない苦しさがあるように感じる。
3
「しょうのことを放ったらかしにしたから、死んでしまったんだと思う。体のことも、全部。あの子は一人で生きていたから、私たちは何も気を配ることをしなかった。私達は、それを全部純次に注いでいたから。」
その純次、という弟の姿は見えない。
アタシの口からじゃあ純次呼んでよ、なんて言えるわけもなく、ただ黙ってこの沈黙をやり過ごすしかないと考えた。
「…じゃあ、つまり。アタシを葬式に呼んでくれなかったのは、なぜなんですか?教えてください。分からないんです。アタシをここに呼んだ理由も、純次君のことを話したかったからなのでしょうか?」
そしてきちんと尋ねることにした。目の前にいる二人は静かではあるが動揺していて、アタシはそんな人たちからやっぱり事情を聞かなくてはいけないから、アタシの方から匙を投げることにしたのだ。
「ああ、そうだったわね。何か話している内に興奮しちゃって、話がそれちゃった。ごめんね。」
「あ、いえ。」
母親がそう言うから、私は少し笑って返した。
「純次はね、すごくいい子よ。しっかりしてるの。でも足が生まれつき不自由で、外の人とはあまり関わりが持てない。逆にね、しょうは小さい頃は誰とも上手く関われなくて、一人ぼっちだったの。私はそんなしょうのことをずっと構っていたし、でも純次が生まれてからは変わった。しょうは積極的に人と関わるようになって、あの子の昔の姿は消えてしまったようだった。でもね、それって違ったみたい。あの子は自分を殺して、だから家出なんて、極端なことをしたのよ。今思えば、私はきちんとあの子と、しょうと向き合うべきだったんだわって思うの。」
意外だった。割と人馴染みの良いはずのしょうが、本当は全く違う性格の持ち主だったなんて、知らなかったし気付くことも無かった。
しょうは、多分ずっと抱え込んできたのだろう。色々なことを、晴らす場所もなく一人で抱き続けてきたのだろう。そう考えると、さらに苦しい。
しょう…。
「それで、あなたを呼んだのはしょうを弔って欲しいの。あなたの家にも、お墓を作ってあげて。何だか深い仲だっていう話を聞いたから、もしかしたらその方が良いんじゃないかってお父さんと話してたのよ。あと、あなたを葬式に呼べなかったのは、親族が反対したからなの。…その、あなたの犯罪歴を嫌っていたんだわ。でも、私たちはあなたと会ってみて、やっぱりしょうが愛した子なんだわって思ったの。だって、私達もあなたといると落ち着くもの。家族ってそういうものよね。一目で、ただ落ち着く人、分かったわ。あなたがしょうの最期を見てくれた人で良かった、ありがとう。」
「…はい。あの、そう言っていただけてうれしいです。」
アタシは精一杯の返答をした。というか、それ以上の答えは最早思いつくことすらできなかった。
それに、アタシの精一杯はしょうの両親にも伝わったようで、お互いに頷きながらその日は家に帰ることにした。
とりあえず、しょうのお墓を作ろう。作って良いと言われたのだから、ありがたく受け取って盛大に弔おうと思う。
数日後、アタシは仏具屋に言って墓を作る準備を整えた。まあ、墓というか仏壇なんだけど、でもずっと家にあるんだから、ずっと一緒に居るような物なのかもしれない。
きちんとしたものを作ろうと決めた。
そしてあつらえた場所の前で、アタシは手を合わせる。
「しょう、安らかに眠ってよね。」
そう呟いた。
アタシは、少しだけ涙が出たけれど、もうそれですべてに区切りがついたような気持ちになっていた。
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