4-4 湖上さんのホントの気持ち(中)
好きすぎて。
宮下さんが好き過ぎて。
ぽかんと顔を上げた僕は、きっと間抜けな顔をしていたことだろう。
もしかしたら口が半開きになっていたかもしれない。
そのままお互い数秒ほど見つめ合い、「あ」と、彼女の綺麗な頬がゆっくりと色づいていく。
「あっ、すっ、好きっていうのは、友達的な意味ですよ! 性的な意味とか、恋愛的な意味とか陵辱的な意味ではなくて……!」
パタパタとクッションを叩く湖上さん。
その仕草自体はあまりに可愛らしいのだけど、そもそも性的とか恋愛とか以前に、何をもって「好き」と言う言葉が出てきたのか分からない。
誤解では?
「湖上さん。僕てっきり完全に嫌われたと思ってたんですが……でないと、あんな風に、すーっとドン引くような逃げ方しませんよね。格闘ゲームの残像みたいな動きでしたし」
「そう見えてしまったことは、本っ当に誤解なんですごめんなさい! とにかく、私は宮下さんのことを嫌う、なんてことなくて……」
自らの胸元に手を当て、はーっ、とゆっくり深呼吸を繰り返した。
自分の気持ちを、落ち着かせるように。
「私、驚いてしまったんです。フィーンテイルの作者さんと、知らない間に仲良くなっていたことに。私の憧れの人が、目の前にいたことに、です」
彼女は未だほんのりと頬を赤らめたまま、それでも僕をまっすぐに見つめて、口を開く。
……憧れの人。
それが誰のことか分からないほど、僕もバカじゃない。
「私、フィーンテイルというゲームが本当に好きなんです。宮下さんに他の同人RPGを幾つか紹介してもらって、実際に遊んで思ったのですけれど……やっぱりフィーンテイルが一番奥深くて、設定もしっかりしてて好きだなって、改めて思ったんです。
ゲーム自体もRPGとしての完成度も高いですし、やり込み要素もありますし……それに陵辱ものって私は王道が好きなんですけど、同じ王道でもやっぱり物語のキャラクターに感情移入できるほど、悲痛感も達成感も楽しめるじゃないですか。くっころ系騎士であっても、ありきたりな台詞と、大切な人を助けるために一生懸命に戦う魂の籠もった台詞じゃ全然違いますし」
わーっ、と一気に語った湖上さんが、あたふたと立ち上がり部屋のクローゼットへ手を伸ばす。
その一番下段、危ない本が敷き詰められた所から引っ張り出し、僕に見せてくれたのは――
「私、好きすぎてこれも買っちゃったんです……!」
同人RPG『フィーンテイル』、その本編の裏設定について記した設定資料集だった。
え、と目を見張る。
同人RPG、というジャンルは世間的には超マイナーな分野だ。その売上もトータル10000本を超えれば十分ヒット作であり、逆に言えばコンシュマーゲーム以上に日の目を見ることなく消えていく作品も多い。
その中で『フィーンテイル』は売上を伸ばした方ではあるけど――だからといって、設定資料集まで購入する人は珍しい。
僕の記憶が定かなら、師匠が通販専用で数十部作成した程度の、本当にマイナーな品物だったはず。
「つまり私、それ位好きな推しの作品で、私を陵辱沼に沈めた起源にして頂点なんです。そういう作品を実はクラスメイトが作ってた、って聞いたらびっくりしません!? しますよね!?」
「まあ……」
「将棋好きの友達と話してたら、実はその友達が藤井○太だったらびびりません!?」
「びびるかも……」
「友達の家に行って大好きな陵辱シチュ読んでたら『それ書いてたの僕です』って言われたら飛び上がりません!?」
「飛び上がるかも……」
「それが! 私にとっての! あなたなんです! なのにその人に向かって、ドヤ顔で陵辱論を……あああ……」
ヒートアップし過ぎた湖上さんが自己嫌悪のためか、今度はクッションを抱きかかえたままおでこを当ててぐりぐりし始めた。
丸まったアルマジロみたいだ。
……何だろう、この可愛い生き物は……と思う前で、湖上さんは顔を隠したまま、
「つまり、そういうことなんです!」
きゃーっ、と声に出しそうなくらい照れてじたばたしてる湖上さん。
その話を、僕はただ呆然と聞いて……
正直、そこまで言われると――その愛らしい本音丸出しの仕草を前にすると――
人間不信すぎる僕だって、やっぱり、理解はしてしまう。
この子は本気で作品のファンで、本気で僕の作った作品が好きなんだな、と。
上手く言葉にできない、じんわりとしたものが胸に広がり、強ばっていた口がようやく開く。
まず出てきたのは、いつもの自虐的な台詞から。
「湖上さん。僕は……言うほど、すごい人間じゃありません。どこにでもいる……いや、普通の人より全然だめな人間だと思ってます」
シナリオを書いたといっても、その中身は見ての通り卑怯者のびびり屋だ。
そのびびり具合を外に出さないよう、毎日必死に息継ぎを繰り返している水槽の魚に過ぎない。
フィーンテイルだって、僕一人でこなせた訳じゃない。あずま先生を初めとしたスタッフの人達の尽力があってこそで、僕はいつも支えられてばかりだ。
しがない引きこもりの十八歳。
勉強は多少できるけどコミュ称のド陰キャに過ぎない。
「僕は知っての通り、喋るのも苦手で……文化祭で前に立つことすらできない、びびりで。だから推しだなんて褒められるような存在じゃない……けど……」
けど、
それでも、
「けど、フィーンテイルを書いたことを喜んでくれたのは、嬉しい、です。僕一人の力じゃ何も出来ないけど、あのゲームを恥ずかしくなるくらい、好きって言ってくれたのは、う、嬉しくて……」
ああ。なんだか心がぐちゃぐちゃしていて、言いたいことが上手く言葉に繋がらない。
謙遜と自己否定が入り交じり、頭の中が混乱しながら、結局――
「それくらい喜んでくれたなら、本当に、良かった、です」
そんな小さなお礼の言葉しか、口に出せない。
僕は誰かに対して、自分の素直な気持ちや、感謝の言葉を言語化した経験がない。無さ過ぎた。
シナリオや文章でなら考えれば出てくるけど、現実で対面した相手にかける言葉なんて何一つ持ち合わせていない。
だから僕はこんな時、どういう言葉を取り繕えばよいのか分からない。
「その……えと……あ、ありがとう、というか……」
そうして僕がどうしようもなく戸惑い、沈黙し、感情の行き場をなくしたまま前髪をいじっていると。
湖上さんは相変わらずきゅっとクッションを抱きかかえ、自分の膝も一緒に抱えながら。
「私にとってフィーンテイルは、ただ面白いだけのゲームじゃないんです。……私の人生を変えてしまったゲームでもあるんですよ?」
「え」
「その……お恥ずかしい話では、あるんですけど。私、じつは――」
そうして湖上さんから伝えられた言葉は、僕の人生にとって最も理解しがたいもののひとつとなった。
「じつは私、もともと栄見第一に進学する予定でした。けど、このゲームのお陰で、いまの元部高校に入学しようって、思ったんです」
……はい?
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