4-3 湖上さんのホントの気持ち(上)


 そうして湖上さん宅に足を踏み入れ、二階にある私室に案内された僕は――

 石像のようにガチガチに固まりながらクッションに腰を下ろしていた。


(やば。僕いま女子の部屋にいるんだけど……)


 自宅ならともかく、他人様の家、それも女子の家となると、どうにも気分が落ち着かない。

 あと忘れてたけど、普通の家には母親が居るんだよね……

 一階リビングで顔を合わせ「奏、お友達?」と微笑まれた時、自宅に湖上さん以外の人がいることにびっくりしてしまった。


 落ち着かないまま、湖上さんの部屋をぐるりと見渡す。

 整理整頓の行き届いた本棚には少女漫画が目立つものの、参考書もきっちりと揃っており品の良さが伺えた。

 薄いパステルカラー色のベッド脇にはちょこんとクマさんのぬいぐるみが置かれ、可愛いもの好きの一端を覗かせている。

 そして部屋全体から、ふんわりとした心地良い香りがする。


 でも残念なことに、その彩りが僕達の緊張を解してくれることはなく。


「き、今日はいい天気、ですね」

「は、はいっ」

「…………」

「…………」

「あの、これ先生から渡されたプリントと、お見舞いの品です。風邪の方はだいぶ良さそうですね」

「すみません、心配させてしまいました?」

「いえいえ、元気そうなら何よりです!」

「…………」

「…………」


 か、会話が続かない。

 湖上さんも妙に僕を意識していて、いつもはニコニコ微笑んでくれたはずの笑顔が見事に泳いでいるし、困ったように冷や汗を浮かべている。

 明らかに態度が違う……


 やっぱり、先日の件だよなぁ。

 陵辱エロ本を趣味で楽しむならともかく、実際に書いてたなんて知られたら、気持ち悪がられても仕方無い。


 ……けど。

 ……完全に嫌われてたら仕方ないけど、話をしないと。

 小早川君にも相談したんだ。ここで話を切り出さないと、僕はたぶんまた後悔する――

 と、心の臆病さを振り切り、声をあげようとして、


「奏~? お客さんにお飲み物持ってきたわよ?」

「「!?」」


 湖上さんの御母様が顔を覗かせた。

 遺伝ってすごいんだな、と思わせるくらい湖上さんによく似た母様がわざわざトレイにオレンジジュースを乗せてきてくれたのだ。


「ちょっとお母さん!? 私取りにいくから!」

「すみませんわざわざ……」

「いいのいいの♪ じゃあごゆっくり~」


 嵐のように、母様はニコニコ微笑みながらそそくさと退場していった。

 ……。

 コホン、と一息。


 よ、よし。ちょっと威勢が削がれたけど、もう一度がんばるぞ――

 頑張れ自分。

 今度こそちゃんと話を――


「奏~? ショートケーキもあるけど食べる?」

「お母さん邪魔しないでよもおおおおおっ!」

「あら奏ったら緊張してるの? ええと宮下君だったかしら? この子、うちに男子を連れてくるの初めてなのよ」

「あ、は、はいっ……」

「うちの子ね、じつはすごくワガママだけど、ホントにワガママだから仲良くしてあげてね」

「いいから出てって! 大事な話してるんだから!!!」

「はいはい♪」


 あの湖上さんがぶち切れていた。

 母親相手に痰火を切り、それでもトレイに乗せたショートケーキはしっかり貰う。

 その御母様が出て行かれたあと、湖上さんは聞き耳を立ててないか念入りに二階廊下をチェックし、ガチャリ、と部屋の鍵を閉めてしまった。


 僕はつい、え、驚いてしまう。

 親子って……そんな会話するの? 


「……す、すごいですね」

「口うるさいだけですっ。恥ずかしいっ……」

「いえ。御母様もすごいですけど、湖上さんも凄いなぁと」


 母親に向かって口答えする家庭って、ホントにあるんだ……

 アニメや漫画では見たことあったけど、実在したんだなぁ。

 少なくとも僕には全く理解できない価値観だし、理解できたとしても実際に言える気がしない。


 そして――ちょっと、羨ましい。


「……湖上さん、御母様に愛されてるんですね」

「世話焼きなだけですっ。まあ嫌いではないですけど」

「きっと心配なんだと思います。今日も風邪ひいてたってことですし……」


 その割には元気そうだけど、たぶん良くなったんだろう。

 そう伝えると、湖上さんは「ん」と呟き固まってしまった。


 そして改めて湖上さんは僕に向き直り、長い髪先をくるくると弄りながら。


「あー……その。宮下さん。そろそろ、本題に入るんですけど」

「は、はい」


 母様の登場で空気がゆるんだお陰もあったのだろう。

 お互いの間に孕んでいた緊張もほどけ、僕は改めて姿勢を正して次の言葉を待つ。

 そして――


「すみません。じつは今日、ずる休みしたんです……」

「へ!?」

「ごめんなさい。風邪なんて引いてなくて、昨日のことについて一日考えたくてお休みしたんです」

「え……」


 すーっと静かに謝罪する湖上さんに、僕は完全に固まった。


 …………。

 え。学校ってサボれるものなの?

 僕にとって『学校に行く』という行為は奴隷が主人に従うかのように当然の行いであり、どんなに行きたくないと思っても病気でない限り出席するものである。

 そんな罪深い行為を、あっさりやったという衝撃がひとつ。

 同時に――


 ずる休みを必要とするほど、湖上さんは思い詰めていた。

 つまり僕と顔を合わせたくなかったのだろう。

 ということは……


「宮下さん?」

「……ごめん。その、ずる休みしてしまうほど、悩ませてしまったみたい、で」


 声が上ずり、気持ちがずしりと重くなる。

 目の前が真っ暗になるという表現を物語ではよく使うけど、実際に体感すると指先が震えてうまく言葉が走らない。

 いや半分分かっていたけど、やっぱり、心の何処かでショックを受けてしまった、というか。


 ……でも、それでもこうして顔を合わせたのだから、ちゃんと話さないと。

 僕が隠してたこと、彼女に嫌われても仕方無い、と。

 出来るだけ、誠実に――


「……たしかに僕は、フィーンテイルの制作者の一人、です。シナリオを実際に……女の子キャラの台詞とか、クズな男キャラの台詞とかも、書きました。そういのが湖上さんから見て、気持ち悪く見えるのも仕方無い、と思います」

「はい? え、気持ちわる……?」

「びっくりして逃げてしまうのも、分かります。僕だって、例えば隣の人が性犯罪者の多重債務者だって言われたら、面向きはいい顔しても心の中ではびびっちゃいますし」

「???」


 湖上さんは目をぱちくりさせ、呆けたようにぽかんとしている。

 ショックのあまり言葉も無いのかな……。


 けど、今さらびびって話を止める訳にもいかない。


「ですので、あの。僕と話をするのが嫌だったら、嫌だってはっきり言って貰えると嬉しいです。……もちろん湖上さんの秘密は誰にも言いません。同人RPG用アカウントの件も手伝いますし、本のお勧めの件も必要があれば手伝います。ですので――」

「あのぉ~……宮下さん。なんの話してるんです?」

「え? 湖上さんが僕を嫌いになってしまった件について、ですけど。こ、この前、僕の家から逃げるように帰ってしまったので……僕の酷い部分を見て、嫌いになってしまったのかと……」


 そう告げると、湖上さんはようやく状況が掴めたのだろう。

 宝石のような瞳に理解の色が広がり、なぜか、気まずさと呆れを両方含んだような微妙な色使いを浮かべていく。


 それから両手をぐっと握り、身を乗り出して。


「すみません。私の態度も悪かったと思いますけど……宮下さんよく考えてください。私がどうしたら、陵辱本を貸して貰って、オンライン環境を整えてもらって、人生ではじめて趣味を理解してくれた相手を嫌いになる必要があるんです?」

「冷静に考えて100%普通にあるかと」

「ADVゲームでそれだけ好感度の高い選択肢を選んでそんなことが起きたら、私ならゲーム投げ出しますよ……?」


 湖上さんはそう言うけど、趣味で陵辱本を読むのと、実際に想像してシナリオを書くのでは天と地ほどの差があると思うのだ。

 頭のおかしい人間だと思われても仕方無いし、僕には他にも言えないことが多すぎる。


 ――元引きこもりとか。実年齢が十八歳とか。

 ――期待に応えられず、受験に失敗したこととか……


 けど湖上さんはそうでは無かったらしい。

 改めて背筋を正し、もうっ、と可愛らしくふくれ面を浮かべてしまう。


「誤解させてしまったのは申し訳ありません。けど、私があのとき逃げてしまった理由は、宮下さんが嫌いだから、じゃなくて。逆だったんです」

「え」

「私が、宮下さんのことが好きすぎて、暴走してしまったんです。大変お恥ずかしいことに」


 それから彼女はあっさりと、あの日の真相を口にしたのだった。


 ……。

 ……はい?

 え。好き過ぎて、って。なんですか?

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