4-2 それでも、友達なのでお見舞いに


 昔から、考えても仕方のないことをぐるぐる考えてしまう性格だった。

 小学校の頃にはいわゆる不幸の手紙が回ってきて、明日中に手紙を出さないと死んでしまうと本気で泣きそうになっていた。

 中学の頃にはクラスメイトに人睨みされただけで「明日もあの人と顔を合わせるのか、何か言われたりしないだろうか」と想像を膨らませ、酷くお腹がいたくなったり。

 宿題をうっかり忘れた時は不安で頭がいっぱいになり、一日中青ざめていたのも覚えている。

 そんな臆病な性根は高校生になっても変わらないらしい。


「学校、行きたくなさすぎる……」


 朝の第一声がそれだった。寝起きから憂鬱すぎて胃が痛い。

 考えるのは当然、昨日のこと。

 正直、湖上さんと顔を合わせて、何て挨拶したらよいのか……。


 はあぁと溜息をつきつつ、それでも学校を休む訳にはいかない。

 先生になんて言われるか分からないし、一日休んでしまうと、翌日はもっと学校に行きたくなくなるのは目に見えてる。

 心配されるのも困るし……。


 うじうじ悩みつつ制服に袖を通し、忘れ物がないか確認したのち学校へ。

 心は鬱々とした曇り空だけど、その憂鬱さを心配されるのも嫌だ。


 という訳で、僕はいつも通りを装いつつ登校して――


*


「あー、湖上は今日風邪で休みだ。微熱らしいが念を取って休むらしい」


 郷戸先生の伝言に、ずきん、と胸が痛んだ。

 教室がざわめくのと共に、じんわりとした苦味のような味が舌に伝わってくる。


 もしかして、僕のせいだろうか?

 僕と顔を合わせたくないあまり、学校を休んでしまったとか?

 いやさすがに自意識過剰もいいところだ。湖上さんのことだから本当に、普通に風邪なんだろう。


 ――だったらお見舞いに行くべきか?

 先日、お世話になったお礼もあるし……

 ああでも、顔を合わせるのは湖上さん的にも気まずいだろうし、嫌いな相手の顔なんか見たくもないだろうし。

 でも看病して貰った恩もあるし、と僕はその日の午前中たっぷり悩んで――


*


「おぅ宮下! 学校終わったら、湖上に見舞いに行ってくれないか? プリント届けるついでにな!」

「えぇ……?」


 そんな僕の気も知らず声をかけてきたのはやっぱり郷戸先生だった。

 相変わらずの大声で呼び出され職員室に行ったら、親御さんに渡すプリントだと頼まれたのだ。


 ……なんで僕? というか。


「このプリントの提出期限、来週までですけど……べつに今日渡さなくても……」

「何言ってんだ、クラスメイトが持ってきてくれた方が嬉しいだろ? しかも友達からのお見舞いつき!」

「友達……でも僕、湖上さんとはクラスメイトというだけで、友達という訳じゃ……」


 僕と湖上さんは、単なる委員長同士の間柄だ。

 むしろ今では嫌われてるかも……と思ったが、郷戸先生は呆れたように眉をハの字にして。


「なに言ってんだ宮下ぁ。お前なぁ、自分の代わりに電話までしてくれるヤツが友達じゃない訳あるか、バカ」


 言われて少し、ハッとした。

 ……そう、なのか?

 いやでも当時は僕の正体を知らない時だから、嫌われてなかっただけで……


「こ、湖上さんは単に面倒身がいいだけかと……」

「いやアイツ面倒見よくないぞ。面倒なことは面倒ですってバッサリ切るからな! 一学期に学級委員長の交代を頼んだら断られたしよ……まあ二学期になって引き受けた理由は知らんが、とにかく、お前は湖上にとって面倒よりも仲良し度が高いってコトだ!」

「えぇ……?」

「そんな宮下が来たら湖上も喜ぶだろ? 大丈夫、先生が自信をもって約束するから安心しろ。それに、風邪のとき世話になったろ? そのぶんくらいお礼返さないとな!」


 と、ばしばし僕の肩を叩く郷戸先生。

 正直そのノリ止めて欲しいし、一体なにが安心なんだろう……。

 僕はどうにも、この先生とは相性がよくない。


 けど世話になったお礼を返さなければ、という意見は真っ当だ。

 それに僕は先生のいうことに逆らえるような人ではないし――湖上さんの家に伺う口実も、できた。


「分かりました。じゃあ届けておきます」

「おぅ頼んだぞー!」


 ……とはいえ、どんな顔して合えば良いのだろう?

 お見舞いに行きたいけど、でも嫌な顔をされるかも、という不安。本当、悩ましい……


*


 と、悩みながら教室に戻ったら、今度は小早川君につつかれた。


「宮下君。なんか世界崩壊したあとの一般市民みたいな顔してるけど大丈夫?」

「いや……この前ラスボスを倒したと思ったら、隠しボスが出てきて……逃げようと思ったら裏ボスに回り込まれて……」

「中間試験や文化祭よりも強いんだね、そのボス。で、どうしたの?」


 いつも通り柔らかく尋ねられ、一瞬、口を閉ざそうかと思った。

 けど先日、文化祭のときに少しは頼ってと言われたばかりだ。

 ……助言くらいは貰っても良い……のかな?


 周囲を伺う。まだお昼休みの続きで、教室の空気はゆるりと緩み、クラスメイト達は談笑に勤しんでいる。

 雑踏に紛れた僕らの声は、きっとみんなには届かない。


「……小早川君。これ、僕の友達の友達の話なんだけどさ。じつは友達Aが先生に、生徒Bのお見舞いを頼まれて……でも先日、そのAとBが仲違いというか、喧嘩しちゃって気まずくて……どうしたらいいかなって」

「喧嘩したの? 宮下君が? 湖上さんと?」

「喧嘩っていうか、A君に一方的に悪い部分があって、それをBさんに見られて逃げられたっていうか……」


 思い返すほど己の浅はかさに悲しくなってくる。

 そりゃあ自分みたいなヤバい性癖を持つ男に好感持つ女子なんて、居ないだろうし。


「勘違いじゃない? 宮下君が嫌われるようなことすると思えないけど」

「そこは複雑な事情があって……」

「大丈夫だと思うけどね。むしろお見舞いに来てくれたら喜ぶと思うけど」

「そう?」

「うん。宮下君って他人と壁があるんだけど、仲良くなった人にはすごく親切っていうか、こっちが申し訳ないくらい気を回してくれるからさ。嫌われること、そんなに無いと思うんだよね」


 なんか地味に嬉しいことを言われたけど、それでも僕は僕自身を信用できない。

 本当、人間関係についてはびびりだなと思う……というより、人に嫌われることを恐れるあまり、少しでも嫌われたと思うと自分自身がハリネズミのように防御してしまうのだと思う。


 と、うじうじしてる僕を見かねてだろうか。

 小早川君がやんわり笑って、椅子に背中を預けながら。


「じゃあ僕の頼み事だと思ってよ」

「え」

「宮下君って人からのお願い断れないでしょ? だから僕からお願いするよ。でまあ失敗したら僕の責任ってことにしてさ」


 そこでようやく、僕は彼の顔をはっきり見た、と思う。

 小早川君はにっこりと、なぜか僕以上に自信満々のまま目尻をゆるめている。


「失敗する気がしないんだよね。むしろなんで悩んでるのか分からないレベルって言うか」

「……本当に嫌われてたら?」

「その時は……まあ。罰ゲームに、僕のお勧めの……え、エロ本、貸してあげる」


 え、と僕は思わず目を瞬かせ、小早川君は照れたようにそっぽを向いて鼻先を搔いていた。

 小早川君は下ネタを好まない。「エロ本」なんて単語を教室で口にするタイプではない。

 当然僕も話題に出したことはなく、お互いコンシュマーゲームや漫画の話で盛り上がる間柄だった、はずだ。


 小早川君も恥ずかしいのか、あたふたと慌てるその顔がほんのりと赤い。

 女子が見れば、可愛い、なんて思うんじゃなかろうか。


「ごめん今のは忘れて。……けど、自分の恥ずかしい性癖を賭けてもいい、ってくらいには信頼できるし……こんな頼りない僕だけど、郷戸先生よりは信用できる気しない?」

「まあ、先生よりは」

「郷戸先生がさつで言葉が軽いからね。僕等とは根本的に相性が悪いんだよ」


 体育会系は陰キャの気持ち分からないよね、とふてくされる小早川君。

 その様子がなんだか可笑しくて、つい笑ってしまう。

 同時にそこまで励ましを貰ってしまうと、僕もそこはかとなく元気が沸いてきた。


 ……本当、彼には感謝してもしきれない。

 文化祭の件もあるし、小早川君には本当に、頼ってしまってばかりだ。


「小早川君。この前の文化祭でもお世話になって……本当に、ありがとうね」

「気にしないで。友達だし」

「……友達」


 その一言が、妙にストン、と胸に落ちた気がした。

 そうか。

 ……これが、友達、なのか。


 僕は小早川君と、どうやら友達という関係らしい。


「宮下君?」

「ああ、うん。何でもない」


 今さら実感したその言葉に、けれど今さら口に出すのも恥ずかしいので黙っておく。

 友達だ、なんて面と向かって言うのは……なんか、ね。


 けど、自分を手助けしてくれてありがとう、という感謝の意は伝えたくて。


「小早川君」

「ん?」

「本当、色々助けてくれてありがとう。だから、その……僕からも、お礼をさせて欲しい」


 文化祭の一件。

 今回の件。

 小早川君に頼ってばかりな自分なりに考えた、彼へのお返し。


 受け取って欲しい、と僕は財布からそれを取り出し、名刺のように彼へと渡す。

 大したものではないけれど、僕の不器用な気持ちが、どうか伝わりますように――


「なにこれ」

「iTumeカード5000円分」

「友達として言うけど、そういうところは直していこうね宮下君」


*


 そうして郷戸先生の作った口実と、小早川君の励ましをもらった僕は放課後、湖上さん宅の前までやってきていた。

 自信はない。

 けど、ここで引く訳にもいかない。

 先生に頼まれたプリントを渡さねばという義務感もあるし、ここでお見舞いにいかなかったら小早川君にも弁が立たない。


(よし行くぞ。湖上さんのお見舞い、いこう)


 湖上さん宅は二階建ての一軒家だ。

 元部駅から北側のエリア、高級住宅街が並ぶ坂道の上側――あきらかに上流階級の住人が住んでそうな土地にある二階建てマイホームが彼女の住まいだ。

 おまけに小さな庭までついており、さっそく格の違いを目の当たりにした僕だが、それ位ではもう怯まない。


(とにかく話を聞かないと。何か誤解があるかもしれないし、勘違いかもしれないし……)


 結果がどうなろうと、湖上さんと向き合う。そう決めたのだ。

 よし。

 行くぞ。

 大丈夫。僕ならできる。


 と心の中で火をつけながら、玄関前のチャイムをじ~~っと睨み付ける。


(落ち着け……早まるなよ僕。一回深呼吸を挟んで、湖上さんとの会話を再シミュレーション)


 ふーっ、と呼吸を何度も吸っては吐いてを繰り返す僕。

 これは自分を勇気づけるための準備運動だ。

 頭の中で「僕は勇気を出せばできるんだ」という妄想を何度も繰り返すことで自分を錯覚させ、最初の一歩を踏み出させるための儀式である。

 べべべ別に、び、びびっている訳ではない。

 そう、僕はやればできる。頑張ればできる、っていうかやる以外に道はない――


「宮下さん?」

「ひゃいっ!?」


 と思っていたら玄関がいきなり開いて、湖上さんがひょっこり顔を出してきた。

 心の準備が万端だった僕はもちろん完璧に対応した。


「あ、こ、湖上さん? どどど、どうして外に?」

「先程からインターフォンを十分くらい睨んでる男子がいる、と母から聞きまして。うちの制服だったので……」

「あ、いやそのっ」


 決して怪しいものではございません。

 そう説明しようとした僕の右手で、かさり、とコンビニ袋が揺れる。


 それで気づいたのだろう。湖上さんは、ぱちり、と瞼を可愛く瞬かせて。


「もしかして、お見舞いに来てくれました?」

「っ……はいっ。心配になったというか、郷戸先生に頼まれまして」

「ありがとうございます。わざわざすみません」


 丁寧にお辞儀する湖上さん。

 それに対し、いえいえ、と僕も首を振りつつお見舞い用のコンビニ袋を渡して――


「…………」

「…………」

「……あの」

「は、はいっ」

「良ければうち、あがっていきます?」

「っ……」


 妙な沈黙のあと、改めて湖上さんに誘われた。


 正直どうしたものかと、ちょっと悩んだ。

 いつものように慌てて拒否し、必要なプリントだけ手渡すことも考えたけど――

 ここで引き下がったら、せっかく来た意味がなくなってしまう。


「……はい。じゃあ、し、失礼します」


 お辞儀をしながら、湖上さんに足を踏み入れる僕。

 ……でも、自宅に入れてくれたということは、嫌われてはない……のかな?


 と、彼女の顔を密かに伺うと。

 湖上さんはどこかむず痒そうに、困ったようにほんのり頬を赤らめながら、僕にちらちらと視線を送っているのが見えた。


 あ、これ確実に警戒されてるな……と確信する僕であった。

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