3-3 お礼にはお礼を返したい


「ゼリーと飲み物、冷蔵庫に入れておきますね。体調の方はどうですか?」

「いえ全然まったくもって健康です」

「健康な人はそんな酷い顔色しませんよ!?」


 呆れて溜息をつきながら、テーブルにペットボトルを並べる湖上さん。

 その背中を見つめながら、僕は石のように固まっていた。


 ……自宅に、女子がいる……

 ……それも学年一の美少女と名高い、湖上さんが……

 幻ではと疑いたくなるけど、熱がもたらした空想ではないらしい。


 そして彼女の背中を見ながら気になったのは、部屋の惨状だった。

 流し台に貯まった洗い物。

 床に散らかる洗濯物に、部屋の角に結んだままのゴミ袋と、適当に放り出された空のペットボトルの数々。

 一人暮らしの情けなさをそのままにした惨状は、とても人様を呼べる部屋ではない。

 そのうえ僕の格好ときたら……。


「すみません、いま着替えますし、片付けします――」

「風邪ですからまずは寝ててください。熱はどうです?」

「微熱。37.1度くらいで」

「本当ですか?」


 戻ってきた湖上さんの手が、僕の額にぺたりと当てられる。

 ひんやりとした手の平の冷たさ、そして心地良い柔らかさに、どきり、と心臓が跳ね上がる。


「本当は?」

「う、えと」

「隠したらエッチなゲームの陵辱犯がするようなことしちゃいますからね」


 それは一体どんなことかと思ったが、湖上さんの笑顔がちょっと怖かったので体温計を差し出した。


「八度六分もあるじゃないですか……お薬は飲みました? 病院は?」

「病院は、これくらいで行ったら迷惑だと思って」

「行った方がいいと思いますけど、せめて薬くらいは飲んでください。薬、ありますか」


 首を振ると「買ってくるので寝ててください」と、すぐに部屋を出てしまった。

 残された僕は言われた通りベッドに潜り込む。


 もぞもぞと毛布を被りながら、彼女には本当、迷惑をかけてばかりだという罪悪感に苛まれた。

 高校生にもなって自己管理が出来てないとか、最悪だ。

 はぁ、と溜息をつきながら、彼女に迷惑をかけた今後について考える。


「きちんとお礼しないと……エロゲでいいかな……」


 もので返すのも何だけど、湖上さんなら一番喜びそうだ。

 そんなことを考えながら、僕の意識は再びストンと眠りの淵に落ちていった。


*


 目を覚ますと夕方だった。

 ん、と身体を起こすと、パソコンデスク前に風邪薬と500mlペットボトルが置かれている。

 その横にちょこんと置き手紙があり『お休みしてたのでおいておきますね』と、可愛い手書きで添えられていた。


 ……寝てる間に、湖上さんは帰ってしまったらしい。

 まあさすがに夜前だし。

 そのことにほっと息をつきつつスマホを手に取り、LIMEでお礼を言おうと思いつつリビングに顔を出して――


「あ、おはようございます宮下さん」

「……え?」

「お薬、机の上に置いておきました。調子はどうです?」


 湖上さんが、当然のようににこっと挨拶してくれた。

 ……あれ。

 なんで?


「帰ったんじゃ……」

「試験も終わりましたし、今日の予定は帰ってRPGするだけなので大丈夫ですよ」

「いや、でも」

「そういえば、この前また新しいゲームを見つけてしまって……アクションRPGなんですけど、えっちシーンがぬるぬるのアニメーション付きなんです。すごいんですよね……触手のうねうね感もよく出来てて。植物モンスターといえば、やっぱりおしべと女主人公ですよね……あ、お茶付け買ってきましたけど、食べますか?」


 呆けたまま頷くと、湖上さんはそそくさとお湯を注ぎ、テーブルに用意してくれた。

 その間にお茶をレンジで温めつつ、適当に買ってきたらしいバナナやおにぎりまで並べてくれる。

 好きなものをどうぞ、と言われ、僕はすとんと言われたまま腰掛けるしかなかった。


「顔色、すこし良くなりましたね」

「……お陰様で、はい。ありがとう、ございます……」


 直視されると恥ずかしく、思わず顔を逸らしてキッチンに目を向けると……

 台所が片付いていた。

 洗い物はすべて食器カゴに戻され、床に散らばっていた洗濯物の影もない。

 そういえば先程から、洗濯機が振動してるような音もする。


「洗濯物が貯まっていたので、片付けておきましたけど……勝手に使って、大丈夫でしたか?」


 大丈夫です。僕が恥ずかし過ぎて死にそうなことを除けば。

 ああ。申し訳なさすぎて、身が縮こまってしまいそうになる。

 ……とにかく。

 お礼を言わないと……。


「今日は本当に、ありがとうございます……すいません家散らかってて。それに色々買ってきて貰って」

「私がしたくてしましたので、お気になさらず」

「でも……あ、とりあえず買い物分のお金、渡しますので……」


 財布を探そうとした所を湖上さんに止められた。

 お茶漬けに割り箸を添えられ、にこっと笑われてしまうと僕はぴくりとも動けない。


「どうぞ」

「……本当、色々やって貰って申し訳ないというか――こんなに沢山貰って、あの。僕、どう返したらいいか」


 死んで詫びたいのだけど……

 という僕を遮るように、湖上さんが手で遮る。

 というか溜息までつかれてしまった。


「宮下さん。お礼の法則、という言葉をご存じでしょうか?」

「……いえ。なにかの格言ですか?」


 諺だろうか?

 それとも高名な御方の明言だろうか。


「あ。法則名は私がいま勝手に名付けたので、存じなくて当然なのですが……」


 ちょっと吹いた。

 湖上さん、たまにこういう天然なとこあるよね……


「宮下さん。たとえば今日、私から看病されたとするじゃないですか。そしたらどう思います?」

「えと。あ、ありがとう……かな?」

「はい。それで後日、元気になったお祝いにクッキーを貰ったら?」

「あ、ありがとう」

「次の日には宿題を見せてくれて、さらに旅行のお土産ももらって、次の日にはおねショタ純愛えっち本まで貸してもらったらどうです?」

「恥ずかしいですけど、嬉しいです。……ただ」

「ただ?」

「……貰ってばかりだと、申し訳ない気持ちになる、かも」

「それです。貰ってばかりだと、私も申し訳ない気持ちになるんです」


 きっぱり言い切る湖上さん。

 けど、僕には意味が分からない。


「私はたくさんのことを、既に宮下さんから貰っています。ですので、私にも少しくらい返させて貰いたいんです」

「お礼貰えるようなこと何もしてないですけど」

「えぇ……?」


 湖上さんがドン引きしていた。

 普段はぱっちりした瞳をじとっと水平にし、口を三角に尖らせている。

 ……あれ。僕いま何か悪いこと言ったっけ……?


「宮下さんは私の人に言えない趣味の話を聞いてくれて、オンライン環境を整えてくれて、学校でも本の件を庇ってくれて、私のために一緒にRPG選んで――」

「それは成り行きというか。僕にとっては大したコトじゃなかったし、お礼を言われるようなことでも」

「宮下さんにとって大したことじゃなくても、私にとっては大したコトなんですっ。って前にも言いませんでしたっけ……?」


 力説する湖上さんだが、実感が沸かない。

 僕にとっては本当に、大したコトじゃないと思ったのだ。

 オンラインでの購入を気軽に手伝えるのも、僕の年齢が十八歳だからという簡単な理由だし。


 そんなことで、ここまでお礼をされるのは――

 自分の中で、どうにも釣り合いが取れない。


「僕のお手伝いなんて、このお茶漬けより小さなものですし」

「私の感謝が300円にも満たないインスタントお茶漬け以下と言われると、それはそれで微妙な気持ちになりますが……」

「あ、ご、ごめっ」

「とにかくです。私は宮下さんが考えてる以上に嬉しくて、ですからお礼をしないと気が済まないのです。私が勝手にしてるので気にしないでくださいっ」

「はい……」


 なんかお礼を押しつけられてしまった。


 けど、なんでだろう。

 他人から物事を押しつけられることは、僕にとって大変苦手なはずなのに。

 嫌な感じが全くない。


 ……たぶん。

 湖上さんの親愛というか、僕をちゃんと看病しに来てくれてるっていう気持ちが伝わるから、というか。

 経験が無さ過ぎて分からないけど、押し切るほどに親身になってくれている、という心意気を肌で感じるから、かもしれない。


 その態度にどう返事をしたら良いか分からず俯いて、僕はもそもそとお茶漬けに箸を伸ばした。

 インスタントの筈なのに、梅干し入りのお茶漬けはとても温かい味がした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る