2-5 彼女に喜んで貰えるのが一番いい
本屋『春風屋』地下一階。
今日もぴっちりと並ぶエロ本の列を横目に尋ねてみると、湖上さんは、えへへ~、とほのやかな笑顔を浮かべながら今日の目的を改めて伝えてくれた。
「先日のお礼に、私からも一冊二冊、宮下さんにお礼をしたくて」
「別に、お礼なんて……それに湖上さん、金欠じゃなかったですか?」
「金欠を理由に、礼を欠いてはなりません。頂いた恩義は返すべきです」
律儀な湖上さん。
根はやっぱり育ちが良いお嬢様だよなぁ……なんて思ってしまう僕であったが、
「……というのは、建前でもありまして」
「え」
「お礼の気持ちは本当ですが、同時に陵辱ジャンルをさりげなくお勧めしようとも目論んでおりまして……いえ、苦手なら苦手で良いのですけど、やはり苦手を知るには十冊くらい学んでからだと思いますし、陵辱もののジャンルも幅が広いので監禁陵辱ものやくっころ騎士ものとかお嬢さま調教とかもありまして一冊くらいは趣味に――」
「っ、こ、湖上さんっ、声、声大きいっ。しーっ」
目をきらきらさせる湖上さん&あたふたする僕、そして密かに聞き耳を立てているお客さん。
言うまでもないが、彼女は学年でもとびきりの美女である。
そんな彼女からアレなワードが飛び出せば、周囲がざわつくのも無理はない。
……けど、店内の男性客は皆困ったように顔を逸らし、自らの性癖に没頭する。
エロ本屋の客は世界で一番優しいな、と僕は思う。
「……じゃあ、湖上さんのお勧めをお願いします……」
「はい……すみません、少しはしゃいでしまいました……」
反省します、と申し訳なさげに顔を曇らせる湖上さん。
が、その反省はわずか二分と持たず、本棚を見上げたその眼は大変きらきらと輝いていた。
口元をにんまりほころばせながら平台をなぞり、そのまま棚刺しされたタイトルを確認していく湖上さん。
本棚から視線を離すことなく獲物をねぶる獣のようにゆっくり移動していく様は熟練のハンター顔負けであり、傍から見てると怪しい所作である。
ギャップ凄いなぁ……
と、僕がひそかに関心していると、湖上さんはやがて二冊の陵辱本を選んで僕に見せてくれる。
表紙は見事なまで分かりやすい、生意気で高慢そうな女教師が男に囚われハメられている、スタンダードな本だが――
その表紙に、僕はつい声を詰まらせた。
「こちらなど如何でしょう? 一冊目は池上先生の初単行本でして、この方はだいぶ前からくっころ系同人誌やゲームを出してる方らしいのですけど最近一般商業でも書かれてるみたいで、強気な女の子がいかにもな悪い奴等に……あ、二冊目は……」
せっせと説明する彼女。
もちろん内容が悪い訳でも、選書センスが悪い訳でもない。
むしろ大変良すぎるのが、仇というか。
二冊とも、実はすでに持ってます。
――とは、言えない。
湖上さんの中で、僕は純愛派かつ陵辱系初心者というコトになっているからだ。
「宮下さん。如何でしょう? あ、もちろん無理に押しつけはしませんし、純愛系が良ければそちらを探しますので」
ひっそり汗をかく僕に、遠慮がちながら尋ねてくる湖上さん。
……どうしよう?
同じ本を貰って、湖上さんの貴重なお小遣いを消耗させるのは忍びない。
けど、自分が陵辱好きだと、バレたくない。
かといって彼女の善意を断ってしまい、悲しい顔をさせるのも申し訳ない気がするのだ。
湖上さんがせっかくお勧めしてくれた品だし、そもそも僕が陵辱好きだと口にしてないせいで、湖上さんは勘違いをしているのだし……
「いや、ん、えーと……」
「やっぱり苦手でした?」
と、密かにぐるぐる悩んで、僕として出した答えは……
「あの、こ、湖上さん。本を奢ってくれる気持ちは、とても嬉しいんですけど……やっぱり僕のことは気にせず、湖上さんの好きな本を買って下さい」
「え? いいですよ遠慮しなくて、本当に」
「そうではなく。……僕、その……自分が本を貰うより、湖上さんが自分の好きな本を買って、喜んでる方がいいなぁって思う、っていうか……」
慌ただしく、そんな言い訳をした。
僕に関わることで、彼女に迷惑をかけたくないし無駄な出費をさせたくない。
けど、本音を言いたくもない。
そんな僕のねじくれた気持ちを誤魔化す、理由付けのための台詞だった。
――はず、なのだけど。
「こういう表現が正しいか、分からないですけど。湖上さんが買い物する時とか……その、えっちな本について語る時って、すごく本気で、熱があるから……それを見てるのが楽しい、っていうか。なら僕のためにお金を使ってくれるのも嬉しいけど、自分で好きなものを買って、幸せそうに喜んでる素顔を見るのは、僕にとっても嬉しいっていうか……」
それは、ひねり出した方便ではあったけど、同時に本音でもあった。
同人ゲーム購入に目を輝かせ、楽しそうにゲームをする湖上さん。
僕に性癖を打ち明けると、言葉が止まらなくなってしまうオタクな湖上さん。
好きなことを「好き」って言えて、秘密を打ち明けられる彼女の姿は、本当に眩しいなって思うのだ。
「いやまあ僕、湖上さんと話すようになって、まだ一週間くらいなんで偉そうなこと全然言えないんですけど……僕にとって一番の恩返しは、湖上さんが楽しそうにゲームや漫画について語ってくれることなので。それに今月はお小遣いが少ないと聞いてたので、そこを無理させてしまう方が、僕の気持ち的な申し訳なさもあって……まあ、そういう、感じ的な……」
気がつくとエロ本屋で語ってしまっていた。
で、ようやく喋り終えた――というか尻切れ蜻蛉のように言葉を切らした僕は、唐突に、大変恥ずかしいことを口にしたと気付いて地中深くに沈みたくなる。
死にたい。
しかも人様に向かって、超上から目線ぽく喋ってしまった……。
おおお、と嵐のように心が荒れつつも、こっそり湖上さんを伺うと。
「………………」
呆けていた。
胸元にぐちゃぐちゃの陵辱本を抱えたまま目を丸くし、口元をほんのり開いて……
不意打ちでも受けたように、僕をじーっと見つめたまま固まっていた、その一瞬で理解した。
あ、これダメなヤツだ、と。
絶対嫌われたに違いない、と。
そして沈黙。
「………………」
「………………」
「……あ。す、すみません、私びっくりしてしまって。で、では……遠慮し過ぎるのも申し訳ないので、今日は気兼ねなく私の好きな本買っちゃいますね」
「う、うん、どうぞ……」
素直に湖上さんの新刊購入に付き合ったのち、僕らは逃げるように店を後にする。
階段を昇り出口へと向かいながら心に疼いていたのは、なんというか、大変な申し訳なさと情けなさだった。
よく考えなくても、僕みたいな地球のゴミが同級生の女子と買い物をして上手くいくはずがないに決まっているのだ。オマケに謎の分かったフリを決め、彼女にお説教めいたアドバイスをしてしまったとなれば最悪だ。
湖上さんがどうして呆けたのかは分からない。
けど僕にとって、相手の沈黙はなによりも恐ろしい叱責の証だ。
呆れて声も出なかった――とはこのことだろう。
……もう帰りたい。
帰って家でゲームしよう。やっぱり僕は一人が一番楽でいい。
そんなことを思いながら雑居ビルを後にし、ようやく大通りへと足を踏み入れた瞬間――たぶん、罰が下ったのだろう。
どくん、と心臓が悲鳴をあげた。
「……宮下さん?」
「あ、いや。その」
大通りの交差点を行き交う、人々の群れ。
背広姿のサラリーマンや年頃のお婆さん、休日で遊びに出たと思われる学生達が入り交じる賑わいの中に、とある制服姿を見つけて呼吸が止まる。
顔を逸らして見ないフリをしても、一度記憶に刻まれてしまったものはかき消せない。
僕の通う元部高校によく似た、スタンダードな半袖のカッターシャツ。
どこにでもある高校の夏服だけど、胸元に小さくつけられた『栄』という漢字のマークは地元民なら誰でも気付くだろう。
優等生の証にして、僕の敗北の証。
その昔受験に失敗した、栄美第一高校の夏服だった。
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