2-6 心配されるのは居心地が悪くて心地良い
栄美第一の夏服を着た彼等は、赤信号待ちのなかで楽しげに談笑をしていた。もちろん僕のことなんか全く意識していない。
当然だろう。彼等と僕には一切の面識がない。
引きこもりになって三年を過ごした僕には、同じ中学で過ごした元同級生なんて存在しない。
それでも鈍い痛みが走るのは、昔の失敗が尾を引いてるからだろう。
……三年前に終わったことだとは理解している。
身勝手な劣等感を抱えているのも理解している。
それでもつい、目についてしまった心の重さは忘れられない――
「……さん? 宮下さん? 大丈夫ですか?」
「え? あっ」
気付けば湖上さんにゆすられていた。
しかも駅前の交差点という目立つ場所で、周囲からもちょっと心配そうに見つめられている。
行きがかりのサラリーマンに「大丈夫?」と声をかけられてしまい、じんわりと汗が滲む。
……しまった。
迷惑を。
他人に、ご迷惑をかけてしまっている……。
「だ、大丈夫です。ちょっと考え事をしていただけで。あ、じゃあ湖上さんも買い物、ぶじに終わりましたし、今日はここで……」
僕は心配してくれた男性に頭を下げ、湖上さんとも別れの挨拶を交わすことにした。
こんな不安そうな顔を見せたら、湖上さんを心配させてしまうに違いない。それは大変宜しくない。
失敗続きだったけど、買い物をするという用件は完了した。であれば邪魔者は退散すべきだ、と、彼女に気分の悪さを見せないよう、僕はそっと背を向けて――
その背中を、くいと掴まれた。
振り返ると。
湖上さんが僕を見上げ、決して離すまいとばかりに、指先をきゅっと握りながら眉を寄せていた。
「宮下さん、顔色、悪そうですけど……」
「や、ぅ。ぜんぜん、大丈夫ですので」
「あまり大丈夫そうに見えませんけど……?」
真剣に心配された僕は、――ああ、これは大変によろしくない、と心の中で否定する。
失敗してはいけない。
迷惑をかけてはいけない。
相手に手間をかけさせてはいけない。
それらは僕が無意識に避けていることであり、他人に知られたら恥だと思っていることだ。
……けど、湖上さんはそんな僕に構わずぐいぐいと手を引き、なぜか僕を駅付近のカラオケ屋に連れ込もうとしてきた。
???
「あ、あの。本当に大丈夫なので……心配ご無用なので……」
「宮下さんはご無用でも、私が心配したいんです。いけませんか?」
その腕を強引に振り払うわけにもいかず、ああどうしようどうしようと困惑してる間に彼女は店の支払いを済ませてしまい、僕は個室へと押し込まれる。
想像よりも狭い密室やら座り心地のいいソファに驚きつつ、あの、その……
なぜ、カラオケ屋?
人生で一度もカラオケ屋に入ったことがない僕は、突然の趣旨変更が理解できず目を白黒させた。
でも、このお店が歌を歌う場所だとは理解してたので、意味が分からないまま怖々とマイクを取って彼女に譲る。
「え、と。……歌います?」
「休んでくださいっ。べつにお店だからって歌う必要はありません。休憩や、お喋りにも使いますよ?」
「でも、お金とか」
「宮下さんはまず自分の顔色を見てから言ってください!」
叱られてしまった。
そこでようやく、彼女が心配してくれてることに気付き――いやごめん、と慌てて席を立つ。
「いや本当、大丈夫です。大丈夫ですので……」
「いえどう見ても体調悪そうですし、それにもう部屋に入っちゃいましたから、今さらキャンセルは効きません」
「ぅ、でも」
「細かいことは気にしなくて結構ですので休憩です。それとも病院に行きますか? 家まで私が連れて行きますか?」
そこまで言われてしまうと、どうしようもなかった。
観念してソファに腰掛けると、本当に疲れていたのか、柔らかいクッションが背中をそっと受け止めてくれる。
いつの間にか湖上さんが頼んでくれたお茶に口をつけつつ、一息つくものの……
僕をじーっと心配そうに見つめる湖上さんのことが、大変に気になる。
……気まずい。
そもそも僕が落ち込んだ原因は、買い物に来たのに自己満足の持論を湖上さんに語ってドン引きさせたことだ。
そのうえ受験に失敗した他校の制服を見て、勝手に自己嫌悪してしまった、という実にくだらないものである。
実に身勝手な自爆というか……
そんな自分に、湖上さんを巻き込んで迷惑をかけてしまい、大変に申し訳ない、というか。
……うん。やっぱり謝らないと、ダメだと思い、僕は改めて頭を下げる。
「湖上さん。今日は迷惑をかけてしまって、本当にすいませんでした」
「へ?」
「本屋でもなんか変な話してしまって、さっきも突然気分悪くなって……なんて言うか、ごめんなさいというか……」
「変な話、ですか?」
きょとんと小首を可愛く傾ける湖上さん。
あれ?
……本屋で黙ってしまったのは、僕がヘンなことを口にして彼女の機嫌を損ねてしまったから、では?
「さっき僕の話のあと、黙ってしまったので、気を損ねることを言ってしまったかな、って……それで謝ろうかと」
「あ……ああ! 違います違います。すみません、あの時は、うまく言葉が出なくて。決して不機嫌なんかではなくて……むしろ、逆でして」
「え……」
逆。
舌先で言葉を転がすと、湖上さんはきゅっと行儀良くスカートの上で、両手を握り。
ほんのり嬉しそうに僕を見上げて、にこっと微笑んだ。
「お恥ずかしながら、嬉しくて、照れてしまったんです。私が本を買うのを見てるのが嬉しい、と言ってくれたことが」
「ふへっ」
やば、変な声出ちゃった。
慌てる僕の前で彼女はぎゅっと手元の鞄を抱き寄せ、口元にゆるい笑みを浮かべていく。
「……私の趣味って、普通の人に言えないことくらいは自分でも理解しています。当然のことだとは思いますし、普通の人に聞かれたら引かれるだろうなって自覚はあります。けど……そんな私の趣味を見て、本やゲームを買ってるところを見るのが好き、幸せになれる、なんて……言ってくれる人がいるとは、思ってもなくて」
「あ、うっ」
「びっくりして、上手く言葉が出なくて黙ってしまいました。……ああでも後になって、じんわり胸が熱くなって、ああ私って嬉しいんだなって後で思ったんですけど、それを言葉にするのが遅れてしまいました」
なんか恥ずかしい話してますね、と湖上さん。
さりげなく顔を逸らし、黒髪に隠れるようそっぽを向くも、その頬がほんのり赤く染まっているのは僕にもわかる。
……それは半分出任せで、もう半分は本音の言葉ではあったけど。
湖上さんはその言葉を素直に信じ、喜んでくれたらしい。
「ですので、気を損ねるなんて、とんでもありません」
「……そう、なんだ」
そう言って貰えると僕も嬉しい、というか……
首元に絡みついた緊張と不安がほどけ、ふんわりと安堵の気持ちが広がっていく。
良かった。
僕が空気を読めず、失敗してしまった訳ではないらしい。
「私の方こそ、無理に付き合わせてしまいませんでした? じつは今日、体調が悪かった、とか」
「いえ全然。疲れてはなかったんですけど……あまり人と買い物に行くことがなくて、緊張してたみたいです」
「すみません、気が回らず」
「本当に気にしないでください。僕が勝手に緊張しちゃっただけですし」
栄見第一のことはさすがに言えないので、あたふたと誤魔化す僕。
いやでも本当、湖上さんが不機嫌になってないと分かって良かった――と、密かに安堵していると。
「宮下さん」
「はいっ」
「もっと遠慮なく、色々言ってくださいね?」
湖上さんが改めて、僕にじっと目線を合わせてきた。
その眼差しから逃げることは、何となく失礼な気がして、僕はらしくもなく相手の顔をしっかり、見つめる。
宝石のように綺麗な瞳。
でも彼女はただ綺麗なだけじゃない。柔らかそうに見えて、意思の強さと堅さも備えている人だなぁと密かに思う。
「宮下さんは私のために、オンライン購入の環境を作ってくれました。他にもお勧めの本を教えてくれたり、先日も私がうっかり学校に本を持ってきてくれた件を庇ってくれたりと、助けて貰ってばかりです」
「いやまあ、そんなの大したことじゃなくて……」
「宮下さんにとっては大したことなくても、私にとっては大変に大したことなのですっ。なので宮下さんも困った時には、私に相談してください。宮下さんは私が好きなものに熱中してるのが好きと仰ってくれましたけど、それとは別で、私もお返ししたいのです。私では頼りないかもしれませんが、お手伝い出来ることはいたしますのでっ」
前のめりに語る湖上さん。
ぐいぐい迫られて焦る僕に対し、彼女はそれが大事なことだと熱を込めて語る。
……僕としては、大したことをした実感はないのだけど。
まあ、励まして貰えるのは、素直に嬉しいなとは思うし、頼って欲しいと言われるのは有難いことだ。
「ぅ……わかりました。ありがとうございます」
「はい。では今日はもう少し休憩してから解散にしましょうか」
それから湖上さんに「何か飲みます?」と聞かれ、遠慮しようかと思ったけど……
頼ってください、と言われたばかりで遠慮するのも、申し訳ないので。
「じゃあ、お茶をもうひとつ……」
「はーい」
それから暫く、僕らは小部屋でのんびりスマホを弄りつつ、本を読んだりして休憩することにした。
正直に言うと、悪くない時間だった。
僕はカラオケ屋のことを勝手に陽キャの巣窟だと考えていたけれど、なにもせず休憩するってのも許されるんだな……というのも面白い発見だったし。
湖上さんのような人と、ただのんびり休憩して息を整えるだけってのもアリなんだな、と思うと。
気のせいか、僕が日々抱えている緊張のような息苦しさが、ほんの少しだけ緩んだような気がするのだった。
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