2-1 僕の昔話と師匠の話
私立、栄美第一高校――
地域でも有数の名門校への受験に失敗し、引きこもりになった僕がまず痛感したのは朝日が昇ることに対する恐怖だった。
毎朝あたり前のように学校に向かう生徒達の、何気ない挨拶。
車の音。
雀の囀りと眩い日差し。
それら全てが引きこもりである僕の劣等感を煽り、あざ笑い、お前はダメな人間だと後ろ指を指しているように聞こえてひどく惨めな気持ちになる。
薄暗いカーテンの向こうには健全な人間がいて、当たり前のように学校生活を営んでいて、僕はその世界から落ちこぼれたクズ。ゴミ。劣等種。
人間のフリをした出来損ないで、生きている価値すらない害虫なのだ――
と、健全な彼等が笑っているような耳鳴りが止むことはない。
その劣等感は午前中たっぷり尾を引きずり僕の心をぐちゃぐちゃにかき混ぜ、何もしていないのに心の奥底には汚泥のような感情がどんよりと渦巻き、果てしなく疲労を溜めていく。
昼前には主婦の声にびくびく怯え、夕方から夜には少しばかり和らぐものの、そんなのは一時のまやかしだ。
そんな日々が無限に続けば、日の光を恐れて昼夜逆転するのも当然のこと。
日の下で誰かに会うことを恐れ、深夜に徘徊するゴキブリのようにコンビニでスナック菓子を買いだめをする。
洗濯物を溜め込んだ床は足の踏み場もなく散らかり、けれどゴミ出しの時に誰かと会うのが恐ろしくて、深夜にこっそりゴミを捨てにいく姿を見られないかとびくびくする。
そんな引きこもりの末路は当然のように、オンラインゲーム中毒に――ならなかった。
「昼間から何してるの?」と、ネットの世界ですら、僕は誰かに声をかけられるのが怖かったのだ。
ソシャゲは一時期ハマったものの、丸一日時間がある僕にとって、スタミナ回復を待つゲームとの相性はあまりに悪い。
結果、僕がハマったのは往年のRPGやローグライク、アニメに動画視聴にライトノベル。
そして、年頃の男らしい、十八禁もの。
……陵辱系作品にドハマリしたのは、その頃だ。
理由は自分でもよく分からないが、とにかく滅茶苦茶ぶっ刺さったし、ぞくぞくしたし、何よりオカズに使えた。
無垢な女を虐げ、泣き叫ばせ、ただ快楽のための道具として搾取する様にたまらなく興奮した。
現実ではあり得ない横暴の数々。顔や腹をボコボコに殴り、泣いて止めてと叫ぶ女を絶望に突き落としていく疑似体験には、背筋をぞくぞく駆け上がるような快楽と愉悦があった。
血に飢えた吸血鬼のように、僕はひたすらそのジャンルを摂取していったのだ。
頭がおかしいのは分かっている。
元々真面目な生徒であったはずの僕は、こういった作品は二次元でも現実でも遠ざけるべきだ。
それでも蓋をすればする程に自分の欲求は膨らみ、誰にも言えないまま性癖をこじらせ、気付けば陵辱系ジャンルを漁り――ある時期、同人陵辱RPGにハマり始める。
今のご時世、陵辱ゲームはフルプライス作品としては衰退が著しく、代わりに同人ゲームが台頭しているらしい。
そうして触れた初の同人RPG――サークル『海賊同盟』処女作RPG『アールテイル』にドハマリした僕は、なにを思ったか自分でもストーリーを書いてみようと思った。
僕もやってみたい。やるべきだ。でないと僕には生きてる価値が無い。そんなことを考えキーボードを叩き始めた。
狂っていたのだ。
完成した作品はもちろん犬の糞ほどの価値すらない駄作であり、しかし僕の中では類い希なる名作であり全世界が震撼するぞと思ったので、『海賊同盟』の公式ブログを見つけて直接データを送信した。
返ってきたのはもちろん酷評。
『視点が一人よがりすぎて意味不明、登場人物が途中で消えてるの草』
『ファンタジーなのに警察と貴族が癒着して校長先生がいるのウケる』
『大体うちライター募集なんて一言も書いてないし』
嵐のようなコメントをくれた当人、喜多園あずまは、けれど最後に小さなメッセージをつけてくれた。
『で、次回作は?』
*
それから二年が過ぎて――
「んー微妙! 悪くはないんだけど微妙! もっとさ、こう、ぐわーって感じないの?」
「ぐわーって何ですか、ぐわーって……」
湖上さんとの会話を終えた夜。
ヘッドフォン越しに聞こえた適当すぎる返事に、机に突っ伏したくなっていた。
通話相手は、喜多園あずま先生。
同人サークル『海賊同盟』代表兼ディレクター兼シナリオライターであり、僕がお世話になっている師匠である。
その実力は確かで『海賊同盟』処女作の『アークテイル』の売上は、同人RPG界隈としては有数とも言える五万本を突破。その他の作品も軒並み好調であり、またRPG以外のジャンルも手広く行っている。
ちなみに僕は師匠の素顔を知らない。
住まいが遠方らしく、聞いたのは二児の母であることと、自称美人のおねーさんである……らしいけど、その素顔は謎に包まれたままだ。
そんな『海賊同盟』の新作としてリリースされたRPG『フィーンテイル』、そのメインライターの正体こそ、僕こと宮川清正だ。
……まあ実際は、原稿の大半に師匠の修正が入っている、というか修正された部分が大半なため、僕が書いたと言って良いかは微妙だ。
しかも内容は賛否両論。
中には、こんな作品は海賊同盟らしくないと批判をしてる人もいて、僕としては胃が痛いのだけど、師匠はそんなの無視していいよと笑い飛ばす。
「んー。宮川君さぁ、なんか萎縮しちゃってる? どーせ創作物なんて犬の糞、文句言うヤツは言うんだから放っておけばいいんだよ。フィーンテイルだって、コア層は絶賛してたろ?」
「そういわれても……やっぱ気にしちゃって……」
「気持ちは分かるけどねぇ。てかさ宮下君、つぎ学園もの書きなよ! せっかく学校行ってるんだし」
ヘッドフォンの向こうで「生JK! 生JK!」とオッサンくさいことをいう師匠。
生JKって……と顔をしかめる僕。
……でも実を言うと、僕が高校生活に復帰したのも師匠の後押しによるものだ。
師匠の気まぐれでシナリオを見て貰うことになり、その後直接会話をしたときに僕が引きこもりであることがバレてしまい、
『え、キミ高校行かずに引きこもり!? 生JK拝めるじゃん何やってんの!? シナリオ作りつつでいいから復学しなよ。陵辱系作品書くのにJK見なくてどーすんの!?』
と、せっつかれたのだ。
……実際はほぼ脅迫ではあったけど、その強引な一言が僕の心でくすぶっていた『学校に復帰しないと社会的にまずい』という罪悪感と混じり合い、後押しになったのも事実だ。
……まあ、復学できたことと、学校生活が上手くいってることは別だけど。
「てか宮川君、友達できた?」
「……まあ、ときどき喋る男子が一人……隣の席以上、友達未満みたいな……」
「いやもっとラブコメしなよ! エロゲしなよ! キミ学年成績一位なんだろ? んで現役ライターで収入あってクラス委員長に任命されたって、その時点で無駄にスペック高いエロゲ主人公くらいステータスあんのにさぁ」
「でも陵辱作品書いてる十八歳高校生って時点って、世界で一番あり得ないって思うし……」
「んもーほんっと客観性ないよなぁー君は! 陵辱ものだって需要があるからジャンルとして成立してんだよ? 男子にエロゲ書いてるとか知られたら超ヒーローなのに」
「あり得ないですって……」
簡単に言ってくれるけど、エロゲのライターなんて事実を知られて喜ぶ相手など絶対にいない――
と否定しつつも、頭の片隅にかすめたのは湖上さんのことだ。
陵辱ガチ勢です、とカミングアウトした委員長の相方。
彼女は僕がライターであることなど知らず『フィーンテイル』を勧めてくれた、クラスメイトで――
「んー? 宮下君、心辺りでも?」
「い、いや別に……」
「まあそこは君の自由だけどさぁ。せっかく華の高校生活なんだし、チャンス逃すなよ? てか恋しなよ恋。人間、恋すると世界が変わるってのは本当だよ? こう、空が色づいてキラっきらして、道歩いてても、あれ、あたしの歩いてた場所ってこんなに色づいてたんだ、ああ世界ってこんな感じなんだーって思うのよ」
突然なに言ってるんだろう、この師匠は。
第一、僕が誰かを好きになるとかあり得ないし……。
仮に、万が一好きになったとしても、自分の趣味について打ち明けるなんて絶対ない。
「というか、師匠はその色づいた世界のなかで、どうやって旦那さんにエロゲの話したんですか」
「え、普通に『こういうの書いてます』ってプレゼントしたけど? ごりごりのエロ陵辱見せたら旦那に、おお超すごいじゃんって話になって、シチュ真似てやりたいってそのままベッドインって感じ?」
で、うちの子が生まれたのさ、と冗談みたく笑う師匠。
思わず顔が赤くなってしまう僕。
ホントに冗談……かは剛胆な師匠なので分からないけど、まあ、少なくとも。
「僕は間違っても、陵辱エロ持って好きな人のところに行ったりしませんので……」
「どうかねぇ~。君、熱くなると見境無くなるから、案外やらかすかもよ?」
けらけら笑う師匠だが、まったくもって冗談じゃない。
誰がそんな馬鹿なことを……と思いながら、改めて僕らは勉強を兼ねた短編シナリオ作成の話を進めることにした。
……まあ、そんな馬鹿げた恋の話はともかく。
僕が湖上さんと、今後どう会話をしていけば良いかは、本当に悩み所だった。
結局、どうすれば良いんだろう――?
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