1-6 伝説のスマホ事件


「おはよう宮下君。ずいぶん眠そうだね」

「お、おはよう小早川君。……昨日ちょっと、眠れなくて」


 翌朝。あくびをかみ殺しているところを、登校した小早川君に笑われてしまった。

 しまったと思いつつも眠気には抗えず、騒がしい早朝の教室を横目にさっそく仮眠を取る。


 寝不足の原因はもちろん湖上さんとの一件だ。

 エロ本を貸して貰う……なんて、同級生の女子と本当にやっても大丈夫なんだろうか、という不安がぐるぐる渦巻いてしまって眠れなかった。

 考えても仕方のないことだけど……。


 んん、と机で唸っていると「悩み事があったら、たまには相談してよ」と小早川君にさりげなく言われた。有難い提案だけど、残念ながら他人に話せることじゃない。

 ……まあ、急いで結論を出さなくても大丈夫か。

 本を借りるのは、もう少し先だろうし。

 湖上さんも昨日の今日で、例の本を持ってきてたりはしないだろう。


 ……しないよね?





 と、悠長に構えていた僕であったけど現実は小説より奇なりであった。


「あー、急で悪いが手荷物検査するぞー。正直先生も面倒なんだが、他のクラスで問題があってなぁ。という訳で全員カバンを机に置くようにー」


 早朝のHR。郷戸先生の一声にクラスがざわつくなか、僕の頭の中でも、妄想の一端がひょこりと顔を覗かせた。


 ……まあ、湖上さんがエロ本を学校に持ってきてるなんてコトは、無いだろう。

 あの清楚で真面目で、誰にでも愛される湖上さんがまさか昨日の今日で、学校に……なんて天地がひっくり返って隕石が衝突して人類が絶滅するくらいあり得ない。

 絶対ない。

 百パーセントありえない。

 ……とは思うけど、妄想癖の強い僕は、つい、斜め前方あたりに着席している湖上さんをこっそり伺う。



 カタカタカタカタ



 めちゃくちゃ狼狽えていた。

 周囲の女子が「湖上さんどうしたの?」と声をかけ、湖上さんは愛想笑いを返しているけど明らかに青ざめてるし、机下に隠した手元は小刻みに震えている。

 どう見ても動揺しまくりであった。


 ……。

 いやいや。

 単なる体調不良、風邪かなにかで震えてるだけかもしれない。

 けど、遠目で僕が見ても分かるくらい、その……。

 ついでに朝、湖上さんが教室へ現われた時には動揺が無かったと思うので、手荷物検査、の一言が明らかに引き金になっているような。


 ……いやまあ、だからって僕が何かできるかと言われると、た、大変に、困るというか……。

 そもそも彼女の鞄に本がある事実は確定してないし、僕にできることは何一つとして無い。


 ――と、大人しく黙っていれば良かったのだけど。

 残念なことに妄想癖の強すぎる僕は、更なる不安要素に気付いてしまう。


(あれ、これ不味くない?)


 たとえば……

 もし彼女の隠していた本が露見して。

 湖上さんが青ざめた顔で「宮下さんにお渡ししたくて……」なんて言い出したら。


 僕、公衆の面前で女子からエロ本を渡される恥ずかしい男になるのでは!?



 気付いた瞬間、ガタッと席を立っていた。


 つまるところ僕は勇気を出して彼女の窮地を救いたいとか、格好つけたいとかいう思いは微塵もなく、圧倒的な保身、びびりと妄想を拗らせた末にうっかり腰を上げたのである。

 これは不味い。どうにかしなきゃ僕が死ぬんじゃない!? と。


 しかも勢いで席を立ったので、完全にノープランだった。


「どうした宮下。手荷物検査は先生がするから大丈夫だぞ? それとも何か、ヘンなもの持ってきたかー?」

「あ、いや、そのっ……ななな、なん、でもっ……」


 皆の注目を浴びていまい、口が空回りしてヘンな声が出てしまった。

 でも席を立った以上、何かしらのアクションをしないと不自然に思われる。


 ええと、ええと……

 ここから挽回するには――そうだ。


「あ、す、すみません。なんでもない……」


 慌てて着席しつつ、引き出しの下でスマホを操作。

 汗だくになりながらも思考をフル回転させ、”師匠”から貰った『おはようボイス音声』をスマホのアラーム機能にセット。三分後に一度だけ鳴るようスタンバイしつつ引き出しに突っ込み、ごくっ、と唾を飲み込んだのちもう一度立ち上がる。


 手荷物検査は既に始まっており全員が着席してるため、僕の行動は超目立つ。

 ヤバイ。

 これは本当にキツイ。

 けど……や、やらないと、僕もまずいし湖上さんもまずい。


 どっ、どっ、と荒ぶる心臓を抑えながら、あの、と郷戸先生に手を挙げる。

 それから自分のお腹に手をあてて腹痛を装い、すみません、と。


「せ、先生すいません。やっぱりトイレに行きたくて……か、鞄は置いていきますし、気になるなら制服のボディチェックとかして貰って良いので」

「お、じゃあ行ってきていいぞ。まあ宮下なら大丈夫だろ!」


 日頃の信頼が役に立った。

 僕はいかにもな脂汗――本当は緊張による冷や汗を流しつつ、さりげなく、湖上さんがいる前方へと歩いて行く。

 その途中、がたっ、とわざと湖上さんの机に足をひっかけ、ぶつかったフリをして静止。


「あ、すみません湖上さん」

「いえ。……大丈夫ですか?」

「あ、はい。でもちょっと気分が悪くて吐き気が……」


 と会話しながら、僕は手の平に隠したメモをさりげなく見せる。

 湖上さんの顔色が、さらに青くなったその時――



『おはよ♪ ん、んっ♪ ……え? なにって、お目覚めの朝フェ○だよぉ……さ、朝おっきしちゃおうね、お兄ちゃん♪』



 引き出しに仕込んだスマホから、大音量のお目覚めアラームが鳴り響いた。

 誰もがぎょっとして首をすくめ、視線が教室後方に集中する。

 音声は一度きり。

 すぐにしんと静まりかえり、教室中が妙な空気に包まれて――


「おい誰だよやべー動画開いてんの!」

「先生に喧嘩売りすぎだろ超笑うんだけど!」


 大爆笑。

 男子はげらげらと大笑いし、女子は「え、なに今の」「超ウケる」「ちょっと男子ぃーってレベルじゃねーし!」と笑い転げ、あるいは顔を赤らめ不快そうに眉を歪ませる。郷戸先生は「はい静かにー。おいおい朝から元気だなぁ先生に喧嘩売ってんのかぁ?」と手を叩き、その間に僕は湖上さんに目配せしてするりと鞄から封筒をかすめ取る。


 笑いと混沌が渦巻く中、僕はシャツの内側に無理やり封筒をねじこみ、お腹を抱えて教室を後にしたのだった。


*


 で。

 トイレに籠もってようやく、一息ついて――

 緊張し過ぎて吐いた。


「はああぁぁぁあ~~~っ」


 ぶっちゃけ死ぬかと思った!!!

 まだ心臓のバクバクが止まらない。

 ぼふん、と便器に腰掛けたままぐったりと背を預け、天上を仰ぎながら息をつく。


 一応、何とかなったけど……己のメンタルがクソザコすぎて悲しい。

 ホント、こういう時にびびらない度胸が欲しい。

 そして猛烈に胃が痛い。


 ……教室に帰ったらなにか言われるかなぁ。

 スマホ、見つかってないと良いけどなぁ、と今ごろ不安がと浮かんだけど、もうやらかしたのなら仕方が無い。


 震える手を押えつつ、トイレで用を足したのち保健室へ。

 ちゃんと休みましたよという建前を作りつつ、胸元にエロ本を抱いたまま保健室で薬を貰うという、人生においても大変恥ずかしい瞬間を過ごしたのであった。


 寿命、十年くらい縮んだかもしれない。

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