1-5 陰キャは人と話すだけでMPが減るんです


「つ、疲れた……」


 ファミレスから帰宅した途端、どっと疲労が押し寄せてきた。

 鞄を放り捨て、制服のままベッドにぽふんと突っ伏してしまう。



 いまの僕は1LDKのマンションで一人暮らしだ。

 両親は大分前に離婚しており、親権をもつ父親は長らく単身赴任、というか僕のことを放置している。

 幸いお金は振り込まれてくるので、部屋は散らかり放題だったり洋服や本で地面が埋まっているものの生活自体には困っていない。


 それにしても、濃厚な一日だった。

 ただでさえ疲れる夏休み明けの始業式に、クラス委員の話に、湖上さん……。


 はあぁ、と制服のまま重い重い溜息をついて瞼を閉じる。

 ぶり返してくるのは、今日の会話に対する悔いだ。


 ――湖上さんに、エロ本好きとか話して良かったのか……?

 ――ファミレスでつい湖上さんの口を塞いじゃったけど、あれ明らかに嫌われる行為だよなぁ……。

 ――そもそもなんで委員長を引き受けちゃったんだろう……?


 思い出すほど後悔が押し寄せてきて、あああ、と一人ベッドで悶絶する。

 何事にも失敗を恐れる僕は、誰かと会話した後いつも「もっと上手くやれたのでは?」と悔いてしまうし、明日顔を合わせた時にまた何か言われないかと怖くなってしまうのだ。


 ゴロゴロ。ゴロゴロ。

 ベッドの上で一人悶絶しつつ、ぐるぐると巡る後悔の嵐。

 同時に、湖上さんへの返答をどうするか、僕の中ではまだ結論が出ていない。


「どうしよう……」


 ――クラスメイトの女子のために、電子でエロ本を買ってあげる。

 手順自体は難しくない。

 僕はとある事情により十八歳未満禁止の壁を乗り越えられるため、援助をすることに物理的な壁はない。


 けど、メンタル面は別である。

 現実で女子にエロ本貸すってどう考えても恥ずかしいし、先生に知られたら一発アウトだし、クラスメイトにバレたら顰蹙を買うこと間違いない。

 危険すぎるし、僕自身にメリットがない。


 小早川君に聞かれたら「完全にギャルゲで女子と仲良くなるフラグだよね」と笑われそうだけど、それは女子と仲良くなりたいと思っている一般男子のフラグだ。僕は人と仲良くなれる自信もないし、そもそも他人と仲良くなる資格も無い。おまけに相手はクラス一の美少女こと湖上奏さん。

 格が違いすぎる、というか非現実的すぎるというか……。


 ……やっぱり断ろう。

 僕が変なことして迷惑かけたら、申し訳ないし。

 僕から本借りるとか、気持ち悪いと思われそうだし。


 頭のなかで否定の材料を山ほど積み上げ、それしかない、断って当然と理解する。

 そもそも僕なんかが協力して、湖上さんが喜ぶとは思えないし。

 うん。

 そうしよう。断ろう。っていうか僕自身、会話するのが怖いし。



 ……ただ。

 ただなぁ――


(湖上さん、嬉しそうな顔してたんだよなぁ)


 エロ本について語るあの笑顔だけは、本物だったよなぁとも思う。


 ……学校で、女神様、天使様と呼ばれる麗しい彼女には近づきたくないと思ったけれど。

 ファミレスで見せた、幼い子供が初めてゲーム機を買って貰ったような。

 喜びの感情をぎゅっと詰め込んだ、ぱああっと瞳を輝かせた素顔には、生き生きとした魅力が詰まっていたと思う。


 見惚れた、とかでなくて。

 それを断ってしまうのは彼女を悲しませてしまいそうだし、なんとなく罪悪感すら覚えてしまう。


(断ったら、悲しまれる気もする……期待されてたし……)


 学校で目立ちたくない、先生に叱られたくない僕なんか嫌われて当然という葛藤と、でも湖上さんの期待をへし折るのはカミングアウトしてくれた彼女に申し訳ない、という迷い。

 付け加えて僕自身の気持ちもぐちゃぐちゃに混じり合って、どうしよう、とベッドで足をパタパタさせ――




 ……そのまま昼寝してしまい、起きたら夕方前だった。

 相当疲れていたのだろう、ベランダから差し込む日差しはすっかり傾き、遅い夕暮れが僕の頬を照らしていた。

 目頭を押さえながら身体を起こし、シャワーでも浴びようかなと起き上がって、ふと、スマホに着信があることに気付く。


 湖上さんからのメッセージだった。


『宮下さん。本日は無理を言ってしまってすみませんでした』

『改めて考えたのですけれど、人様にオンライン購買用のアカウントを貸してくださいって、無茶を言ってるなと自分でも思い直しまして』

『無理だと思ったら遠慮なく断ってください。私は気にしませんし、今日の話も絶対秘密にしますので』

『あ、でも、オンラインの件がなくても、これからも普通にお話できると嬉しいです』

『クラス委員長として、今後ともよろしくお願いします』


 つらつらと並んだ文章には、湖上さんらしい丁寧さが含まれていた。


 その文面を見ながら、ふと、僕にメッセージを送ってくる相手なんてそう居ないなと思い返す。

 僕のスマホには小早川君から事務的なメッセージが来るか、或いは”師匠”からお仕事がくる程度だ。

 家族との繋がりが途絶えた僕のスマホに長文が並ぶのは新鮮で、しかも彼女が真面目に考えてくれた気配もある。画面の向こうで湖上さんが一生懸命ぽちぽち文章を入力してるんだなと思うと、自分もちゃんと返事しないとなぁと思ってしまう。


 ……一休みして、頭がすっきりしたのもある。

 彼女なりに気を遣い、無理しなくていい、と声をかけられたお陰で気が楽になったのもある。


 ……まあ……不安は、ゼロではないけれど。

 断るのも、申し訳ないし……。


 悩んだ末、僕もまたメッセージを入力する。


『電子購入の件は、こちらで手続きしてみます。期待に応えられるかは分かりませんが、僕なりに協力させてください。クラス委員長として、これからもよろしくお願いします』


 その一文を書くのに、二十分悩み。

 送信する前にシャワーを浴び、夕食のコンビニ弁当を片付け、宿題を片付けつつ悶々と考え。

 これで本当に良いか? と二時間ほど自問自答した末、えいっ、と送信ボタンに手をかけた。


 ……送ってしまった。

 これで僕と湖上さんは、秘密の共犯関係。


 どっ、どっ、と心音が高鳴るなか返信を待つと、湖上さんからの返事はすぐに来た。


『すみませんご迷惑をおかけしますがよろし』

『よろしお願いします!』

『よろしく、お願いします!』


 テンションのおかしな返信がきて、つい吹き出しそうになる。

 そして彼女が喜んでくれるなら、まあ……僕自身もやっぱり嬉しい。


 ふぅと息をつき、とりあえず今日は乗り切ったかな――と、パジャマ姿のまま横になったところで。

 ぴこん、と新着メッセージが画面上部に表示された。


『宮下さんばかりにお世話になるのは申し訳ないので、私の方でもお礼させてください』

『それで、私からのお礼を何にするか悩んだのですが』

『委員長として考えまして』

『宮下さんの性癖に合うか分かりませんが、私の持ってるえっちな本を貸します! よろしくお願いします』


 ……。

 …………。


 え?

 僕、クラス一の美少女から、えっちな本借りるの……?


 まあお礼としては論理的にはおかしくない気もするけど。


 でもさ、その……

 男子がエロ本を読む理由って、エロを楽しむなら当然、生理現象を解消するために読む訳で。

 その素材を、クラス一の美少女からお借りするって……どうなんだろう……?


 ていうかこれ、本を借りた感想とか、伝えなきゃ不味いよね。

 ってことは僕、クラス一の美少女相手に「この本のシーンが性癖によく刺さってイケました」とか言うの……?


 スマホを片手にしたまま完全に固まり、僕はその夜一晩中、悶々と悩んだまま寝付けなくなってしまうのだった。

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