二人とひとり②——アリエス
十五分前————。
ご主人様、つまり、ちさとにハハオヤと紬を見張るよう命じられてから、しばらくして。
ちさとは無事に自宅に帰ったようだった。
アリエスは、黒猫に擬態し、いまだ会話を続けている二人を少し離れたところから見ていた。正確には見ていただけではなく、盗み聞きをしていた。
「学年一位なんてすごいじゃない。さすがね」
「ありがとう。お、お母さん」
「ちさとも、もう少しやる気を出してくれると良いのだけどね」
「兄さんと比べたらあたしなんてまだまだっていうか。あ、あたし、そろそろ帰らなきゃいけないんだけど……」
「え、もうちょっと。もうちょっとお話ししましょう? 一ヶ月ぶりなんだから」
どちらかと言うと、紬は帰りたいのに、ハハオヤがそれを引き留めている図だ。
紬が困ってる。助けたい。でも……。
——今のワタシの力じゃどうしようもできないじゃない。
黒猫の擬態に加え、外見を気にしたご主人様は自身の左腕を汚さないという条件を持ち出した。つまりは、アリエスが完全に感覚を奪い、真っ黒にしてはいけないというわけだ。
アリエスは面倒だなと思う反面、仕方ないとも思っていた。肌は、ニンゲン色していた方がいいだろうと、なぜかそんなことを思ったのだ。
ただ、まだまだ未熟なアリエスは、本来の力を引き出すため、ニンゲンの肌さえも必要不可欠であった。ゆえに、ちさとの肌をそのまま残すことは、アリエスを放っていながら、アリエス自身は無力であることを示していた。
なにか策はないだろうか。そんなことを考えて、数分。
本能だ、ピリッと冷ややかな感覚が走る。
本能ともいえるこの感覚は、ちさとと通じている。ちさとの強い感情が、アリエスに伝わってくるのだ。
——この反応……恐怖ね。
ちさとが、いま、恐怖に陥っている。ただ、彼はもう家に着いたのではなかったか?
遠隔式の武器もしくは能力か。黒猫姿のアリエスは非常に耳がいい。近くのお手洗いから、男性の怒声が漏れてくる。
何を言っているかはっきりとはわからない。だが、怒声が止むと、ピリピリとした感覚が消えた。
——なるほど、恐怖はあの男の影響。
その男がトイレから出てきたのは、ちさとの恐怖心が和らいですぐのことだ。太った中年の男だが、どこか威圧感があり、ヤクザだと言われてもおかしくない容姿だった。
その男は紬とハハオヤに近づくと、ハハオヤの胸ぐらを掴んで叫んだ。
「手前何考えてる?! お前のような汚れたものが紬に寄るな! 失せろゲス女」
元夫婦の喧嘩だろう。だが、それを娘の前でやるだろうか。
アリエスは考える。この男の性格はわかった。この男が、紬の父親であり、ちさとの実の父であることもわかった。だが、この性格では……。アリエスは先ほどのちさとの恐怖心をやっと理解したのだった。
アリエスは立ち上がり俯く紬を見て、いたたまれなかった。
あの男をまず、消そう。
そう思って、擬態を解き、男を襲おうとしたときだ。
またまた本能だった。
——落ち着けアリエス!
しまった。無意識に、力を発揮しようとしてしまっていたらしい。おそらく、ちさとの腕が黒くなったのだろう。
まあ、今は生かしておいてやる。
だが次はない。次ちさとの感情を恐怖に貶めたなら、紬を悲しませたなら、殺してやる。
いつものように。
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